不忠


審神者はぼんやりと、自分はどうしたいのだろうと考えた。
考え始めると、考えるのを止めることができない。

頼りの友人はあてが外れた格好である。
目の前で資料を読み込んでいる蜻蛉切は、
審神者の心のうちなど知らず凛々しい横顔を晒している。
好きだと伝えたいような、伝えたくないような。
はっきりと決められない。

もし伝えたとして、断られた後のことを考えると怖い。
だが、伝えなかったとしたら、
今の状況が諦められるその時まで続くということである。

(歌仙はどうして告白なんてしたんだろう)

友人が好きだと言った特別な歌仙。
歌仙にも特別な歌仙がいたように、
蜻蛉切にも特別な蜻蛉切は居るのではないだろうか。
目の前の蜻蛉切がもし特別な蜻蛉切だとしたら。

一度考えるとその考え方がやめられない。
恋は盲目というが、まさしくその状態だと自分でも思う。
何故可能性の低いほうに賭けるのだ。
馬鹿じゃないのか、と。

どうして友人のところには特別な歌仙が居たのだろう。
そんな話がなければ後は諦めるだけだったのに、
ここにきてそんな可能性を与えないで欲しい。
諦めきれなくなってしまったではないか。

(いやいや、いけない。
 何を考えているんだ)

諦めたい。
諦めきれるようなきっかけが欲しい。
とても辛い。
審神者は今日何度目か分からないため息をついて、
窓の外の美しい庭を眺めた。





蜻蛉切が顔を上げると、主は物憂げに窓の外を眺めていた。
昨日から様子がおかしいのだ。

「お疲れのようですな」

「え?
 そ、そうですね、少し」

びっくりしたように目を見開き、主は困ったように微笑んだ。

「明日に回せるものは明日に回し、今日は休みませんか?
 指示は既に頂いておりますから問題無いかと。
 夕食は主の好きなものを作ってもらいましょう」

そう申し出たが、主は首を横に振る。

「ちょっと考え事をしていただけです。
 大丈夫ですよ」

「お顔が蒼いです。
 失礼ですがご友人から何か」

「心配しなくても友人は関係ありません。
 ちょっと疲れがたまっているのかもしれません。
 蜻蛉切さんがそう言ってくれるなら、休ませて貰おうかな」

主が首を動かすと、ごきりと鳴った。

「そうなさってください。
 夕食に何かご希望は」

「ありがとう。
 そうですね、デザートに果物か何かお願いします。
 それ以外はお任せで」

主はにこりと笑って自室に戻っていった。
蜻蛉切は書類を整理して棚に戻し、
出陣した燭台切が戻ってくるのを待って主からの希望を伝えた。

「任せてよ」

との心強い回答を得たのでお願いすることにした。
蜻蛉切とて主の体調が心配ではあるが、出来ることは少ない。
前の見合いの一件や、
主の友人の表情から察するに気苦労が重なったのかもしれない。

「今剣殿、主の部屋に膳を運んでもらえないだろうか?」

「ぼくでいいんですか?」

きょとん、とした顔で今剣が言う。

「明るい今剣殿のお顔を見れば、主も気が晴れるだろう」

「とんぼきりさんがそうおもうなら」

わーい、と厨の方に今剣が駆けて行く。
蜻蛉切とてお加減を確かめるために膳を運びたいとも思ったが、
気鬱ならば短刀に運んでもらったほうが気がまぎれそうだと思ったからである。

(大事なければ良いが)

そう思いながら。
その背を見送りつつため息をつく。

蜻蛉切の心配は杞憂に終わらず、
翌日も主の顔色は良くないままであったので一日休養を取ることになった。

「医者を呼びますか」

蜻蛉切がそう尋ねると、主は「いりません」と首を横に振った。

「心配をかけてすみません。
 本当に疲れているだけなんです。
 出陣は昨日と同じ内容でお願いします。
 くれぐれも――…」

「怪我はしないよう、ですね。
 伝えておきます」

主はくしゃりと笑って「ありがとう」と言った。

「ゆっくりお休みください。
 病は万全に回復させねば長引きます」

そう伝えて部屋を出た。
主が二日も続けて臥せっているのは初めてのことで、
気の小さい五虎退はやはり泣きそうになっていたし、
短刀の中でも落ち着いている薬研も表情を曇らせていた。

長谷部は医者を呼べと怒り出したが、
主自身が要らないと言ったと言い聞かせ、
なんとか落ち着かせた。

「最近根をつめて働き、休日もご用が多かった。
 疲れておられるようだ」

そう説明した。それ以外に聞いていないからだ。
蜻蛉切自身も不安に思いつつ主の部屋を訪ねた三日目、
調子は悪化しているらしく昨日よりも白い顔をしていた。

「主、今日もあまりお加減がよろしくないようですな」

蜻蛉切がそう言うと、主は顔を横に振った。

「いえ、今日は覚悟を決めたから気分はずっと良いです。
 蜻蛉切さん、少しお話があります」

主が厳しい顔で言う。もしや自分の下心がばれたのだろうか。

「何でございましょう」

「顔を見て話す勇気が無いのでごめんなさい、
 私に背を向けてもらえませんか?」

近侍の解任だろうか。
しかし、顔を見て話せないとなるとやはり。

「承知しました」

蜻蛉切は主に背を向けて座りなおしながら、刀解だろうと思った。
さすがに「死ね」と同義の言葉を言うには勇気がいるだろう。

「蜻蛉切さんにとって、非常に困る話だと思いますが」

主はそこで一度ためらうように言葉を切った。

(刀解だ)

「私は蜻蛉切さんのことが好きです。
 共に戦う仲間としてではなく、それ以上に」

主の言葉に、蜻蛉切は我が耳を疑った。

「戸惑われるのも分かります。
 刀剣男士はその、恋愛感情みたいなものが無いらしいって。
 それは知ってるんです。
 だから、むしろこの話は気持ち悪い部類の話題になると思います」

言葉が出ない。

「そういう感情があるのかもしれない特別な人も居るみたいですけれど、
 それが特別であるとも知っています。
 でも、私は愚かな人間だから、言わずには居られなかった」

主が立ち上がり、歩く音がする。

「主――…」

「振り返らないでください」

いつになく厳しい口調に反射的に動きを止めてしまう。

「軽蔑されたと知るのが嫌なんです。
 だから、こちらを見ないで」

背後で主が膝をつき、蜻蛉切の背に触れた。

「私は馬鹿だから、悩みすぎて疲れました。
 蜻蛉切さんは優しいからどう答えようか迷ってるんだと思います。
 断ってくださって全く問題ありません。
 馬鹿だと笑ってくれればそれで。
 ただ、このことは誰にも言わないでください。
 それから、しばらくこうしていることを許して」

じんわりと背に重みがかかる。
主がそこに居る。