不忠
もう一人の蜻蛉切は蜻蛉切の心中を察したように悲しげに笑った。
「元気にしていたか」
「おかげさまで」
「ですが折角以前お話をうかがったのに、
自分はそれを生かすことは難しいようです」
「……そうか。
やはり自分には理解しきれていなかったか」
「元々無い感情を理解しろ、というのは難しいはずです」
もう一人は珈琲を、蜻蛉切はお茶を頼んだ。
「先にいくつかお聞きしたいことが」
「何だろう」
もう一人がにこやかに頷く。
そこから手入れのコツや、
休暇を頂いたときの過ごし方や、
長谷部の休ませ方などを聞いた。
特に長谷部について口にしたときは、もう一人は声をあげて笑った。
「薬でも盛って縄で縛って転がしておく他無いだろう。
あれが諦めるほどきつく縛る必要があるからな?
そちらの主はお優しい方のようだが、無理なものは無理だ」
そこまでしないと休まないのであれば、
今大人しくしているあの長谷部はこっそり何かしているに違いない。
あれほど主が休めというのに頭が痛い。
「あと、あの歌仙殿が折れた後に困ったことは」
「初期刀剣であった歌仙殿は主の扱いを心得ていた。
その役目を他の誰にも渡さなかったから、それで少し。
歌仙殿のことを知っていたのは自分だけであったから、
皆悲しみはしたが混乱はしなかった」
「ならば良かった。
こちらの本丸では近侍は長谷部殿も陸奥守殿も経験しておられる。
自分はいつでも折れることが出来る」
「折れるか」
「やはり耐えられませぬ。
主のための武功も、その主を慕う心があってのもの。
その慕う心がどうしても純粋には保てない。
自分はだから、武功を立てても苦しいだけなのです。
こうしてお話をうかがえたこと、誠に感謝しております。
これが最後になろうかと思いますが」
「もうお前に何を言っても無駄なのだろう。
寂しくなるな……。
そちらの主の方がよっぽどだろうが」
「そう思っていただけると良いのですが。
折れるのはもう一口蜻蛉切が見つかってからにしようと考えております」
「それが良かろう。
お役に立てと伝えておけば我らのことだ、粉骨砕身励むだろう」
「そう思います」
「ところで、我らが主の話は随分長引いているようだな?」
しんみりなる前に、もう一人が主たちが入っている部屋の戸の方を見た。
つられて蜻蛉切もそちらを見る。
「『女子とーくを盗み聞きしたら怒るから』と仰せでした」
“女子とーく”が何なのかはいまいち分からないが、
“盗み聞き”は分かる。
「こちらも似たようなことを仰せであった。
ではまだ、暫く待機だな」
「そのようです」
そこからはもう、適当な話しかしなかった。
五虎退の虎の世話を手伝った話であるとか、
陸奥守と酒を飲んだ話だとかである。
日本号は虎が苦手だという話を聞いたが、
今の本丸の状態を考えても自分は彼に会うことは叶わぬだろう。
天岩戸のような個室の戸が開いたのはそれからしばらくしてからで、
主のご友人はぎこちない笑みを浮かべて帰っていった。
主自身もどこか物憂げで、何を話したのか尋ねるのは憚られた。
「今日の手土産は水羊羹にするのでしたな」
蜻蛉切は当たり障りのない話題かと思って口にした。
主は「そうだったね」と蜻蛉切を見上げて微笑んだ。
手土産のことを失念するのは初めてだったので、
蜻蛉切は少し不安に思いながらも菓子屋で人数分の水羊羹を買った。
「私も持ちます」
主が大きな袋の方に手を伸ばしたので、
それを横から掠め取って小さいほうを残す。
「いつもありがとうございます」
主は何か言いたげだったが、苦笑のような笑みを浮かべた。
「蜻蛉切さんは本当に気を使いすぎですよ」
そんな言葉が欲しいのではなく、いつもの優しい笑顔が見たかった。
本丸に戻り、皆で水羊羹を食べてから、
蜻蛉切は長谷部の部屋をたずねた。
彼の部屋の書付は更に量が増え、
そして自作らしい本が机の上に乗っていた。
「長谷部殿に教えて頂きたいことが」
「何だ」
「蜻蛉切が手に入る戦場は何処だろうか」
蜻蛉切の言葉に長谷部は眉間の皺を深くした。
「ここにはお前が居るだろう」
「いや、自分は鍛刀で顕現したが、普通はどのあたりなのかと」
「そういう事なら少し待て」
長谷部は机の上の本をとって頁をめくった。
「……この辺りだ」
「これはまた……しばらく先のことなのだな」
「そういう事だ。
それで、何を企んでいる」
じろじろと長谷部が蜻蛉切に険のある視線を向けてくる。
「少し気になっただけなのだ。
長谷部殿ならば答えをご存知だろうと」
「当然だ。
主がいつどの刀剣を求められても即座に答える用意がある」
「もしや、今までの休暇はこれに」
蜻蛉切が素直に驚いたのを見て、長谷部は自慢げに胸を張った。
「鍛刀も、合戦での入手も、色々と調べた。
隊長になることも多く十分な時間が割けなかったがようやく形になった。
貸さんぞ」
「いや、結構。
主にはそれとなく伝えておこう」
「で、何を企んでいる」
本日二度目の問いに、蜻蛉切は首をかしげた。
「先程も申したが」
「妙だと思わないか?
休めとばかり言ってきたお前が、
その休みの間に作った物を小言もなく褒めるとは」
長谷部の妙な勘の良さにため息が出る。
「主は調整役としての近侍を求めているようだ。
お前が適任だろう、何を考えている」
「長谷部殿の杞憂だ。
他意はない」
「なら良いが、他の蜻蛉切を得るのは諦めるんだな。
槍は資源を多く使う。
何本も所有できるほど余裕は無いし、育成にも時間がかかる。
もし手に入れるならば他の槍だ。
代役はいらん。
それが主のためだ」
「面映いな」
面と向かって褒められると恥ずかしいものである。
「自覚を持て、俺を差し置いて近侍を務めているのだから」
「気を使わせたな、すまん」
それで話は打ち切りになった。
部屋を出るとき、
長谷部から主に伝えるのはもう少し時間が欲しいと言われた。
まだ完成では無いと本人が言うので、
そうまで言われて伝える理由も無い。
部屋への廊下を歩きながら、
蜻蛉切はまだ暫く自分は折れることが出来ない現実にため息が出た。
ただ、楽になりたい。
そのためだけにより一層励むという微妙な構図になってしまうが、
それより他の道は無い。
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