不忠


主は見合いの話を蹴った。

その事実が蜻蛉切の沈んだ心を随分軽くしてくれた。
戦場でも思う様槍をふるうことができ、誉もとって帰還した。

「また友達とお茶することになりました。
 万屋で買い物もしたいのですけれど」

戦果の報告を終えると、主は労いの言葉の後にそう言った。

「荷物持ちですな、承知致しました」

「それもあるんですけど、もう一つ。
 またあちらの蜻蛉切さんも来てくれるらしいです。
 ちょっと口実に使わせてもらったので、
 相談すること何か考えておいてくださいね」

すみません、と主は事も無げに言ったが、
蜻蛉切は「考えておきます」と先延ばしにする返事しか出せなかった。

あの蜻蛉切に相談する内容など一つしかない。
 
問題は何を話したのと主から聞かれたときの対処である。
最もらしい話も考えておかねばと、風呂に入りながら、
食事をとりながら、部屋に戻ってからも考えたが妙案は思い浮かばない。
また明日にしようと蜻蛉切が寝床の準備をしていると、陸奥守が顔を見せた。

「よう、夜分に悪いんじゃがどうじゃ?」

くい、と手で杯を傾けるような仕草をする。

「良いですな」

「短刀を起こしても何じゃし、
 道場の方なら静かで月もよう見えとるき、そっちへ」

単純に酒の誘いかと思ったが、そうでも無いらしい。

「雅ですな」

「歌仙が来るから言うたらいかん」

陸奥守はおかしそうに笑った。

二人でこそこそと酒盛りの準備をする。
といってもそれぞれ隠し持っている物は無いので、
鬼の居ぬ間に厨から一升瓶とつまみになりそうな漬物を回収する。
明日の朝あたり燭台切が怒るかもしれないが、
腹に入れてしまえばどうしようもない。

無事に目的のブツを回収してから道場に入り、
縁側の適当なところにそれらを広げた。
雲ひとつ無い夜空に満月がぽかりと浮かんでいる。

「前に言っちょった猪口じゃ」

陸奥守が懐から小さい箱を出して来た。

「かたじけない」

受け取って箱を開ける。
中に猪口が入っていたが、
夜目の利かない蜻蛉切の目で見ても穴が開いているように見える。

「飲み干すまで置けんっちゅう奴の別のじゃ。
 穴を指で塞いで、空けるまで置けん」

「中々厳しいですな」

「おんしなら大丈夫じゃ」

がはは、と笑って自分は前と同じ猪口を用意していたようだ。
一升瓶の栓を開けて、先に蜻蛉切が陸奥守の猪口に注ぐ。
その後返してもらって乾杯をした。

「……お話とは」

「気の早い事じゃのお」

「酔う前に伺った方が良いのかと」

「ま、酒は口実じゃからそれで構わん」

陸奥守は手の中の猪口を見下ろしながら言った。

「おんし、何か相談したいことは無いがか?」

あるにはあるが、その相手は陸奥守ではない。

「……悩んでおるように見えましたか」

「おんしは主が出かけてから自分の顔を鏡で見んかったがか?
 初期刀剣のワシが心配するのはやりすぎとは言わんじゃろ。
 本丸でワシが主のために出来るんは今はこれくらいじゃ」

蜻蛉切は陸奥守の方を見ることができなかったので、
空に浮かぶ月を見上げた。
心配してくれているという陸奥守に何も言わずには居られない。
だが、本当の意味が伝わるとは思えない。
蜻蛉切は言葉を選びながらぽつりぽつりと話した。

「自分は――…近侍に相応しく無いのだと思います」

「何故じゃ。
 皆おんしを信頼しちょるし、相応の働きをしてくれちょる。
 あの長谷部ですら仕事に文句を付けんしの」

「仕事のいろはは長谷部殿から教わりましたので。
 そうではなく、自分の素質の問題です」

「ワシはそうは思わんが」

それは蜻蛉切の悩みを理解できないからだ。
知ってはいても、根本からは理解できないあの蜻蛉切のように。

恋慕の情の無い相手に状況だけでも理解してもらうにはどうしたら良いか、
と思いながら少し悩み、
酒を互いに注いでからようやく口を開いた。

「陸奥守殿は……もし主が何かを決断なさるとして、
 それがよろしく無い選択だと思うときにどうなさる」

「止めるじゃろうの」

「それがもし、我ら刀剣には理解しえぬ感情が理由であれば」

「何じゃそれは」

陸奥守が首を傾げる。

「色恋の話ですな」

蜻蛉切がそう言うと、陸奥守は「あー…」と声を漏らして天を仰いだ。

「確かにそれは難しい問題じゃのお。
 知ってるのと分かるのは違うじゃろうし」

「他所の刀剣と待ち時間に話をする機会がありましてな。
 近侍を長く務めておる者だというので一番困るのは何かと聞いたらそんな答えが」

「じゃが、それは誰しも同じじゃろ」

「気づいてしまうと自分には向かぬのだとしか」

「おんしはまっこと真面目な男ぜよ」

ぐい、と陸奥守は酒を煽る。

「ほんで、主はそがな悩みをおんしに打ち明けたがか?」

「いや、まだそういう訳では」

「なら悩んでも無駄じゃ。
 主もおんしがそういう話ができんと知っちょるよ。
 おんしは思うたより小心者じゃのお」

陸奥守は笑っているが、
この話はその構図をずらすことで今の自分達に重ねることができる。
色恋の情を理解する蜻蛉切と、そうでない陸奥守。
それが分かっているから相談できないのだ。
彼が本当に心配してこうして場を設けてくれたことが理解できるだけに、
自分の本心を理解してもらえないことが辛い。
ただ、その心遣いは嬉しい。

「まだまだ精進が足りぬようです」

「ま、色恋以外のことでは主を頼むぜよ。
 ワシはそっちに関しても後方支援しかできんしの。
 ほれ、もう一杯」

ふと、歌仙はきっと想いの丈を主に吐露したのだろうと思われた。
あの蜻蛉切はきっとどれほど辛いか理解していないが、
想い続けることよりも、拒絶が一番恐ろしい。
そして、それが受け入れられなかったから折れることを選んだのだろうと。

(それが自分にとっても主にとっても良いことか)

一度は耐えると決めたが、それはもう無理そうだ。
もう一振り蜻蛉切が見つかったらそうしよう。
蜻蛉切は心に決めたのだった。

歌仙に倣って主に思いを伝え、
付喪神などの告白が受け入れられる訳もないだろうから、その後折れる。
そうすることにする。
主がご友人と会う約束を取り付けて、
しかも蜻蛉切があちらの蜻蛉切に話があることを装ったということだったので、
それだけは終わらせてからにしないといけないだろう。

そうと決めるとこの月見酒も最後の酒になるのかもしれなかった。
自分を心配してくれる陸奥守の酒が最初で最後となるのは少し寂しく、
精一杯楽しむと決めた。

結局酒が無くなるまで取りとめのない話をして飲み、
つまみも無くなったのでお開きとした。
翌朝空になった一升瓶と無くなった漬物を確認して、
燭台切が絶望したような顔をしていたので、
陸奥守が「漬物が美味くてのお、つい」と誤魔化していた。
良い手だと思ったがそれで燭台切が誤魔化されてはくれず、
二人して朝からお小言を頂いてしまったのだった。