不忠


本丸に戻った翌日、
審神者が定時に起きて定時に食堂に入ると、
いつもは人影もまばらなのに皆が揃っていた。

「あれ、どうしました?」

審神者が尋ねると皆貼り付けたような笑みを浮かべて首を横に振った。

「別に何もありませんよ。
 朝食は何にしますか」

燭台切が椅子を引いてくれる。

「ご飯で」

「すぐにお持ちします」

歌仙がさっと厨に入る。
何なのだろうか。

「主君、お茶です」

秋田がお茶を出してくれる。

「ありがとう、でも、何で?」

尋ねると秋田は視線をさまよわせて、
ばつの悪そうな顔をした。

「主君がまた暫くおでかけになるのかと」

飲みかけたお茶が気管に入る。

「げぇほごほっぅえっ!!!」

「主君!?」

目の前で咳き込み始めた審神者に秋田が慌てる。
暫くむせてから、何とか立ち直る。

「大丈夫、ありがとう。
 もしかして皆気にして集まってくれたんですか?」

背中を秋田にさすってもらいながら顔を上げると
、困惑したような笑みを浮かべるものから、
視線を逸らすものから、
とりあえず居心地の悪そうな様子だった。

「――…近侍殿があんまり心配そうだったから、俺はてっきり」

沈黙を破った山姥切のいつもどおりの発言に蜻蛉切の方を見ると、
蜻蛉切は青い顔をしていた。

「蜻蛉切さん?」

「申し訳ありません……」

山姥切の口ぶりから、
出かけた目的が見合いだったことは知れ渡っては居ない様子である。
しかし本丸を留守がちになるような理由で出て行ったのだ、
と伝わる程度に漏れていたらしい。

「今回は急な不幸事で実家に戻りましたけれど、用は済みました。
 まだまだ審神者としての仕事は山積していますので、
 皆さんこれからもよろしくお願いしますね」

嘘ではない。
審神者にとって不幸な出来事だったのだから。
良かった、と皆が今度こそ本心かららしい笑みを浮かべる。
蜻蛉切も安堵したような顔をしていたが、
視線が合うとすぐに顔を背けられた。

「とりあえず朝ごはんをしっかり食べましょう。
 今日も忙しいですから!」

審神者の言葉に「はーい」と短刀達が元気な声で返事をする。
珍しく賑やかな朝食は、いつもより少しだけ長引いたのだった。

食事の後、
審神者は仕事部屋に入って蜻蛉切がまとめてくれた報告に目を通した。
お願いしたとおり内番はきっちりと順番に回してくれている。
妙ないざこざもなく、皆大人しく休みを満喫してくれたようだ。

「蜻蛉切、ただいま参りました」

「入ってください」

いつものきびきびとした所作ではなく、
どこか腰が引けているような雰囲気である。

「留守番お疲れ様でした。
 お願いしていた内番もきっちりしてくださったようですね。
 ありがとうございます」

「近侍として当然の働きをしたまでです」

嬉しそうに言った次の瞬間に思い出したのか、
申し訳なさそうな顔になる。
別に責めたい訳ではない。

「先日の件も黙っていてくださってありがとうございました」

「良いお相手でしたか?」

「そうですね、私には勿体無い方でした」

審神者はそう答えると、蜻蛉切は笑みを浮かべた。
浮かべたが、眉を八の字にして困りきっているようにも見える。

「祝言の日取りは」

「結婚はしません。
 お断りしましたから」

相手と話をしていてもずっと頭の中に蜻蛉切が居たせいである。
そういう意味では蜻蛉切は現世まで近侍としてついてきた訳で、
見合いの相手には「私に興味が無いようですね」とまで言われてしまった。

翌日お断りの電話を仲人に入れると、
母が「なんで断ったの」としつこく聞いて来たので、
逃げるようにして本丸に戻ってきたのだ。
どっと疲れた。

「そ……そうでしたか。
 早とちりで失礼を」

蜻蛉切は頭を下げたが、
下げる直前には笑みを浮かべていたようにも見えた。
おそらく気のせいだろう、自分の方が歪んでいるのだ。

「構いません。
 皆に喜んでもらえて良い選択をしたと実感しています。
 蜻蛉切さんも今後ともよろしくお願いしますね」

「は!」

「では今日の遠征と出陣の参加者ですが――…」

審神者が指示を出すと、蜻蛉切はいつもの通り手配をしてくれた。
居残りは居ない。
見送りに出ると、全員勢ぞろいで審神者のことを待ってくれていた。
「怪我はしないでくださいね」と声をかける。
口々に「もちろんです」やら「当たり前だ」やら、
返事が返ってきた。
長谷部の口調に力がみなぎってはいたものの、
目の下のクマがなくなっていないことが気にかかる。

全員がそれぞれの戦場に向かったことを確かめてから、
審神者は友人への手紙を準備することにした。

一番の目的は、彼女のお気に入りだった歌仙について。

話のつかみは『予言どおり見合いは散々だった』ということにしておく。
その話の愚痴をどうしてもということで、
万屋近くの茶屋の席を予約したと付け足しておく。
蜻蛉切もまた話を聞きたがっているから、とも書いた。
そう書いてあると知れば、蜻蛉切のことなので友人を説得してくれるだろう。

すぐに来た素早い返事は『もちろん大丈夫だよ!』というものだった。
蜻蛉切を連れて約束の日時に万屋近くの茶屋に来てくれるらしい。

見合いの前の手紙で、
彼女は『びっくりするくらい心動かないから楽しみにしておいて』と書いていた。
ということは、
彼女自身も見合いをしたが“びっくりするくらい心動かなかった”訳である。

審神者の心が微動だにしなかったのは、
現実の男よりも蜻蛉切が男前過ぎたからだ。
それを見越して茶化したのだとしたら、
彼女も誰かに心奪われていたから見合いを反故にしたことがあったのだろう。

昔は『歌仙兼定が素敵すぎて!』という話ばかりしていた気がする。
審神者の仕事の話は聞いていたので、
職場の素敵な男性の話というノリでその話を聞いていた。
一緒に買い物に来てくれるだの、
お高い着物を褒めてくれただの、『彼氏か!』と突っ込んだ記憶がある。
最近は歌仙の話が全く出ない。

別のお気に入りが出来たのかと思っていたが、
きっとそれは勘違いである。
以前ほど誰か一人の男士について語ることが無い。
ステータスについて話はすれども、
日常の出来事については皆無である。

「会えるのを楽しみにしています」

貴女はいったいどうやってこの心を殺したの。
どうやってこの苦境を乗り切ったの。
些細なことで期待してしまう浅はかな自分をどうやって。

「そちらの話も聞かせてね」

封筒に入れて糊をして、郵送に出す。
一刻も早く会って話したかったが、
時間はいつも通りにしか流れることはなく、
手持ち無沙汰になった審神者は皆の帰りを待ちながら、
合戦のデータを収集して時間を潰したのだった。