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不忠


審神者は家に向かう電車に乗りながら手の甲を見下ろしていた。
そこに触れた、柔らかな唇の感触を思い出しながら。

(顔から火柱どころじゃない)

頭が爆発するかと思った。
しかもあんな切なそうな顔でそんなことをしないでほしい。
勘違いしてしまう。
相手は駄々をこねる妹のご機嫌取りをしただけなのだ。
こんなことになるならば大人しく数珠を借りておけば良かった。

審神者仲間の友人に「お見合い強要された」と手紙を出したら、
『びっくりするくらい心動かないから楽しみにしておいて』
というぶっとんだ返事が今朝一番に届いた。
彼女とはもう少し踏み込んだ話が必要であると思われる。

驚いたことにその友人の未来予想は的中した。
実家に到着してすぐ渡された見合い写真を見ても、
本当に心が一ミリたりとも動かなかった。
びっくりするくらいに無感動である。
そして、釣書を見て驚愕した。
何せ普通であれば自分には勿体なさすぎる条件が並んでいたからである。

「……私の釣書に何書いたのよ」

「嘘は書いてないわよ?
 一応公務員じゃない、あんた」

母がしれっと言う。
確かに政府に雇われて審神者をやっているのだが、
言うなれば契約社員のようなものであって正社員ではない。
人によっては審神者としての能力を失う者も居るらしいから、
定年まで雇用が約束されている訳ではない。
ただ、母の苦悩も分からないでもない。
誰が書くだろうか、“職業:審神者”と。

「これ以上無い条件よ」

「分かってる」

柔和な表情の男性が微笑んでいる写真を眺めながら、
意思の強さなど微塵も無さそうだと思っている自分に驚く。
おそらくこれ以上の見合いは無い。
それもわかっている。

(でも物足りない)

欲しいのは優しさだけではないのだ。
それこそ切っ先のように鋭い視線に、
己の使命を全うしたいという強い意志。
あの本丸で自分の帰りを待っている刀剣たちのような。

『自分の忠義はいつも主のもとに』

具体的に言うと、手の甲に口付けをして忠誠を誓ってくれた蜻蛉切のような。

(本当に参った)

手の甲の唇の感触と、
その手を見る切なげな表情が脳裏に焼きついている。
忘れられないというより、そればかり思い出している。

(どうして私は人間なんだろう)

老いて、朽ちてゆく生物である。
未来永劫その若さをとどめている彼らにとって、
自分はなんと醜く卑小な存在なのだろう。

「分かってるわよね、これ以上ないお話なのよ?」

母の言葉に黙って頷く。
理解してはいるのだ。
受け入れられないだけである。





手合わせの内番にお邪魔しつづけて三日目、
その日は五虎退と愛染の組み合わせであった。
初日の山伏と同田貫のときと同じように相手をする訳にもいかず、
素早い彼らの動きをいなしながらどう対処するかを体に覚えこませる。

「うわぁ……っ!!」

蜻蛉切は力の加減を誤り、
おもいきり槍の柄をぶつけてしまった。

「大丈夫か!?」

慌てて動きを止める。
尻餅をついた五虎退は泣きそうな顔で頷いた。

「大丈夫です。
 続きをお願いします」

「おい、無理すんなよ」

愛染も心配しているらしく立ち上がるのに手を貸し、
落ちた短刀を拾って五虎退に握らせた。

「すみません……僕じゃ相手にならなくて」

「無理をお願いしているのはこちらです。
 五虎退殿はご自身の責務をお考えください」

蜻蛉切はそう慰めたが、五虎退は首を横に振った。

「蜻蛉切さんにはいつもお世話になってます。
 だから僕に何かできればと思ったんです。
 でも何もできなくて……」

「おい、泣くなって」

子虎の一匹が五虎退の足首に首をすりよせた。

「今日のこの手合わせに参加させてもらえただけで、自分には十分です」

蜻蛉切がしゃがんで目線を合わせると、五虎退は潤んだ大きな瞳を蜻蛉切に向けた。

「またあるじさまもお忙しくなるんじゃないかって」

「不安に思う気持ちは自分にもよく分かります。
 ですが、今日中には戻られるとのこと。
 五虎退殿も報告で一日泣いて暮らしていたとは言えますまい」

そう励ましながら、
これは自分に向けて何度も言った台詞だなと思った。
一日不安に押しつぶされそうになっておりましたとは言えないし、
言いたく無い。

「はい……すみません」

五虎退の目からぽろぽろと涙がこぼれた。

「うわっ、何だよ、泣くなって、大丈夫だって!
 今日戻ってくるって主さん言ってたじゃんか。
 信じろよ!」

愛染が慌てた様子で言う。
彼は主が元々研修だ何だと留守がちだったことを知らないが、
おそらく五虎退はまた主が居なくなることを心配しているのだろう。
あのときも彼は主の帰還を心待ちにしていた。

「うう……すみません。
 泣くの、我慢します。
 あるじさまが戻ってきたら、褒めてもらうんです」

「良い心意気です」

蜻蛉切は微笑んだ。
そのつもりだった。微笑めたのだろうか。

「では、続きを」

二人は驚いたような顔をして頷いた。
驚かせたのは悪かったが、
そのたおかげで五虎退の涙が引っ込んだのは怪我の功名だろう。

たっぷり手合わせをして、
風呂から上がったところで主が戻ってきた。
疲れ果てたような顔をして、
「疲れてるからごめんね」と五虎退の頭を一撫でして部屋に篭ってしまわれた。

『良いお相手でございましたか』

『祝賀の宴はいつごろに』

『祝いの――…』

(無理だ)

到底祝えそうな心境ではない。
どちらかというと相手を呪い殺してしまいたい。
主が話を蹴ってくれたなら、
むしろ逆に祝いの席を設けてしまいたい。
「残念でしたな」と満面の笑みで言うのを堪えなければならないだろう。

詳しい話を主の口から聞きたいが、
部屋で休むと言っていたのでそれも叶わない。
若い女性の寝所に夜半に押しかけるのは自分の倫理観に悖る。

『留守番ありがとうございました』

『お見合いの話はやっぱり断りました』

その二言が欲しい。
撫でてもらった五虎退に嫉妬するほど蜻蛉切はそう思っていたが、
嬉しそうにしている彼に対してそれを露にするほど子どもではない。

「頑張った甲斐がありましたな」

声をかけると、
五虎退は嬉しそうに顔を上げて「はい」と満面の笑みを浮かべた。