不忠
もう一人の蜻蛉切から聞いた話にうまくケリがつけられぬまま、
主は友人と二人で連れ立って本丸への手土産を購入し、
本丸にそれぞれ戻った。
「今日のお土産はみたらし団子です!」
主がみたらし団子の入った包みを掲げる。
出迎えてくれた短刀たちにそれの準備を頼み、
着替えてくるねと離れに向かった。
「蜻蛉切、顔色が悪いね?」
燭台切が目ざとく蜻蛉切の変調に気がついた。
「いや、珈琲の味がまだ口に」
適当な嘘をつく。
「珈琲か、良いね。
主が和菓子ばかり買ってくるから遠慮してたけど……。
君でもそんな顔になるならやめて正解だね」
「良い香りではあったのだが」
気を使わないで良いよ、と燭台切は苦笑した。
その日の夜、
部屋で一人きりになるとあの蜻蛉切の言った言葉が思い出された。
『自分を片手に戦場を駆け回った元の主のようになれると思った』
武働きでそれを為すのはまだ難しいだろう。
しかし、いずれ。
幸いにして自分を優先的に出陣させて強化を図ってくれている。
『主が肉の身を持つただの人間の男と結ばれ、子を成すのが耐えられぬと』
ふと、主が角隠しをして白無垢を着て、
誰か別の男の手を取っている姿を想像する。
主は人で、自分は刀剣なのだ。
当然そうなるだろう未来である。
紅を引いた唇で柔らかな笑みを浮かべる相手は自分ではない。
(嫌だ)
その男をどうにかして追いやって、
自分がそこに入れ替わるというのもまた違う。
主が選んだのだから、
それを後押ししてやるのが自分の役目だとも思われる。
『武勲を重ねる合間にそのような感情を持つ暇は断じて無い』
日々精進し、武功を上げ、
そのうちに主が誰かの手に渡ったとなれば正気で居られる自信が無い。
それを諦められるときが来るのだろうか。
(いましばらくは無理だ)
今は到底受け入れられない。
時間が解決してくれるのだろうか。
いつか自分もそのような、
悟りを開いたような境地に至れるのだろうか。
否、至らねばならぬ。
(何故自分なのか)
おそらく件の歌仙も思った問いが浮かんでくるが、
どう頑張っても答えなど出るはずが無い。
蜻蛉切は鬱々とした気持ちでその日の夜を過ごした。
「調子でも悪いんですか?
もしそうなら今日はお休みでも大丈夫なので言ってください」
翌日、編成の話をするべく主に顔を合わせた瞬間にそう言われた。
「自分はそれほど酷い顔色でしょうか」
「心配する程度には。
もしかしてあの蜻蛉切さん、合いませんでしたか?」
あの蜻蛉切からはまだ、主に話は回っていないらしい。
「いえ、随分気を使ってくださいました。
あのような席を設けて頂いて感謝します」
「こっちも友達と話したいことが沢山あって長引いてすみません。
やっぱり、蜻蛉切さんは今日は一日休んでおいてください。
明日は次の合戦のクリアを目指そうと思いますので、
よろしくお願いしますね」
「申し訳ありません。
代わりに長谷部殿を呼んで参ります」
「ありがとう、お願いします」
主の許しが出たので、長谷部に代役を頼んだ。
いつでも準備は万端であったようで二つ返事で了解を取り付けた。
最近大人しくしていると思っていたが、
彼の部屋の中には書付の山ができていた。
主に何かしら進言するつもりなのだろう。
自室に戻り、息を吐く。
今の自分には迷いしかない。
こんな状態では武功どころか無事に帰ることすら危ういだろう。
部屋で休んでも気が休まる気配が無いので、
道場の方へと顔を出した。
手合わせの当番で山姥切と秋田がいたので相手をお願いした。
迷いを断ち切るために無理をお願いした形だが、
二人とも快く引き受けてくれたのだった。
自分は一本の槍でしかないのだから、
まずは槍としての役目は果たさねばならない。
審神者が蜻蛉切の様子がおかしいと感じたのは研修の翌日であったが、
更にその翌日には元通りに戻っていた。
長谷部曰く“鬼気迫る形相”で歴史修正主義者を駆逐し、
早く次の合戦に挑みたいと言っていたそうだ。
(そんなに感化されるような内容の研修だったっけ?)
審神者はそう疑問に思ったが、真面目な蜻蛉切のことである。
真面目に受け取って、決意も新たに働いてくれているのかもしれなかった。
頑張らなくて良いよとは言えず、
怪我はしないでねと言い含めるにとどめている。
今も審神者が頼んだ政府への報告書を代筆してくれている。
背筋をぴんと伸ばし、真剣に紙を凝視し、
一字一句丁寧に書いてくれている。
そこまでしなくて良いよと伝えるべきかとも思ったが、
その真剣な横顔を見ていると声がかけられない。
友人に先日はありがとうと手紙を出すと、すぐに返事が来た。
話した内容は現世でのあれやこれやで、
主に親族からの結婚へのプレッシャーや、将来の不安である。
ほぼ愚痴である。
手紙にはこちらこそ楽しかったという文章と、
蜻蛉切から蜻蛉切へ気遣いの言葉があったという報告が載っていた。
(無理をさせているのかな)
蜻蛉切はとにかく紳士的である。
荷物があれば審神者に一つたりとも持たそうとしないが、
持ちたいのだと駄々をこねれば軽いのを一つだけくれる。
人ごみを歩くときは歩き易いよう前を歩いてくれるし
、万屋で商品を買おうか迷って悩んでいても急かしたりしない。
仕事も長谷部が納得する程度にこなし、
皆から吸い上げた意見も伝えてくれる。
優しく真面目で、そして仕事が出来る。
長谷部とは違った意味で頼りすぎている。
審神者がそう思うには理由がある。
『おんしはワシら刀剣男士の妹みたいなもんじゃき、
頼られて嫌な気はせん。
立派な審神者になっとおせ』
着付けなんて嫌だったでしょうと謝ったら、
陸奥守は笑いながら言っていた。
妹。
そう、妹なのだ。
蜻蛉切は下心無くただ真面目に自分の職分をこなしているだけなのである!
不出来な妹を助けるために!
おおらかさ100%の陸奥守が近侍のときは資源の管理もうっかりが多く、
重傷の手入れがおぼつかないときもあった。
反動で長谷部にお願いしたが、
今度は自分の管理までされてしまった。
これでは誰が審神者か分からない。
だから、真面目な蜻蛉切ならば、とお願いしただけだったのだ。
申し訳ないがそれほど期待はしていなかった。
長谷部ともうまくやってくれそうで、
そこそこ働いてくれればそれでと思っていた。
しかし、蜻蛉切はその予想を上回る優良物件であった。
完全に頼りきりである。
審神者はただ出陣やら遠征のシフトを考え、
効率を上げ、そうして次の合戦を目指し、
内番の皆の様子を眺めるためだけに時間を使っている。
何せ書類の作成まで手伝ってくれるのだ。
堕落した審神者であることに気づいて、
向こうの蜻蛉切に相談したのだろうかと思うと、
恥ずかしくて顔から火が出るどころでなく火柱が立ちそうだ。
(どうして蜻蛉切は刀剣で、私は人間なんだろう)
審神者でなければ蜻蛉切に出会うことは無かった。
刀剣では審神者になることは出来なかった。
だから人間で良かったのだと思う反面、自分だけが老い、
死んでいく定めにあることが呪わしかった。
もし彼が人間だったならば、
おそらく自分は職場の片思いに悩むことになっただろう。
妹は嫌だ。
だが、それおを伝えて嫌われるのはもっと嫌だ。
たった今芽生えたばかりの思いではあるが、潰える命運である。
審神者に必要なのはこの片思いに始末をつける方法を考える時間だった。
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