不忠


蜻蛉切はもやもやとした気持ちを抱えたまま、
どうしても欠席できないという研修に出席する主に随行することになった。

「今度は人ごみじゃないから大丈夫」

と主は笑っていた。
その主はわんぴーすではなくすーつを着ていた。
確かにこれは長谷部の服に近い。

「脚の形が……」

「皆そう言うから出かけの格好も基本的にスカートなんです。
 ワンピースは一枚で完結するので良いですよね。
 サロペットも良いかも。
 これのスカートはタイトだったので、
 こっちの方がマシだということになりました」

主の着付けは誰だろうと気にしないというのに、
服の形にはこだわった誰か知らない仲間に喝采を送りたい気分だった。
本丸を出て、
政府の施設に到着すると玄関口には人がわらわらと集まっていた。

「お気をつけください」

「大丈夫、ありがとう。
 ここでたむろしているのは待ち合わせをしている人ばかりだから、すぐに減ります」

 主はきょろきょろと周囲を見回す。

「主もどなたかお探しですか?」

「友人が居るはずなんです。
 近侍は蜻蛉切さんらしいので一緒に探してください」

蜻蛉切も視線を周囲に走らせる。
人ごみからぽこりと出た頭のうち、
赤毛のを探せば自分であろう。

「自分は他に5人ほどおりますな」

「隣に私と同じ年くらいで、同じような格好で……」

「1人手を振っておられる方が右前方に」

「嘘、あ、いたいた」

主が駆け出す。

「久しぶりー!!」

「蜻蛉切さん出たんだ、すごいすごい」

「ありがとう、そっちはどう?」

「おじいちゃん……全然来てくれない」

二人とも次々に言葉が飛び出してくる。
もう一人の自分と目が合い、互いに苦笑して会釈した。

「主、お時間は」

「おっと、行きましょうか。
 今日は蜻蛉切さんも一緒に話聞く研修だから一緒に」

「どっちの蜻蛉切さんも頑張りましょう」

「「主の命とあらば」」

言葉が揃い、くすくすと二人の主が笑う。
研修は主の傍で大人しく聞いた。
大まかにまとめると歴史修正主義者の影響力が増しているので、
審神者はもっと対抗する力を揃え抵抗するように、とのことである。
近侍まで研修に入れたのはその審神者の苦境を忠誠心ある近侍に知らせることで、
より一層使命を果たされたし、という意味合いらしい。

(もしこの研修に長谷部殿が出ていたら)

そう思うと蜻蛉切は少し笑ってしまった。
彼ならばおそらく出陣の必要性を説き、
敵勢力を調査し、効果的な出陣の方法を提案するだろう。
蜻蛉切はそこまでできないが、
主が戦に挑むというならば持てるすべての力で勝利をもぎ取る以外無い。

そこから活躍の目覚ましい審神者の表彰であるとか、
鍛刀の際のコツ、刀装の作成のコツなどという講習が続いた。

「あ~~~~~…疲れた!」

長い研修が終わり主がうん、と伸びをした。

「いつになく長かったねぇ」

ご友人も疲れたようにがっくりと肩を落す。
そうは言うものの、帰還の予定時刻よりもまだ随分早い。

「ああ、蜻蛉切さん、今からお茶に行きますので。
 疲労回復に糖分摂取です」

時計を眺めていたことに気がついた主が言う。

「ちょっとこちらの話以外もあるので、
 悪いんですけど席は別でお願いしたいんです。
 良いですか?」

「近くで居られるならば」

「ありがとう。
 他の本丸の方とゆっくり話が出来る機会なんて余り無いので、
 色々頼ってください。
 向こうも蜻蛉切さんだからきっと教えてくれます」

自分の評価の一端を聞いたようでつい口元が緩む。

「そう致します」

「予約の時間もうすぐから急ぐよ!」

ご友人に呼ばれて主が「はーい」と返事をする。
審神者は仕事だと聞いたが、
今は仕事ではない時間に近いのかもしれない。

主とご友人が予約していたのは落ち着いた雰囲気の茶店であった。
席と席も適度に離れ、間仕切りもあり、
大男二人が座っても別に視線に晒されることも無い。
当然主の姿も間仕切りの向こうにしか見えないので、少々落ち着かない。

「政府のお膝元で不逞を働くやからも居るまい。
 落ち着いて構わんだろう」

自分とは比べるべくもない錬度のもう一人が笑う。

「いや、お恥ずかしい」

「そちらの主は最近審神者になられたとか。
 我が主は随分喜んでおられた」

品書きを見ても何が良いのかいまいち分からず、
もう一人が頼んだ物と同じ物を注文する。

「そちらの主は審神者になられて長いのですか」

「もう二年にはなろうか。
 自分は拾われた身だが、大事にして頂いている。
 そちらは慎重な方だと聞いているが、歯がゆくはないか」

「自分の錬度が足りぬのです。
 主は皆が折れることを酷く心配しておられる」

「政府はああ言っては居るが、
 もし喫緊の課題があればこうものんびり研修などするまい。
 気にせず励むことだ」

黒い液体が運ばれてきた。
口をつけてみると非常に苦い。
顔をしかめたのが面白かったのか、相手が笑う。

「珈琲は苦手か」

「……こちらの本丸では緑茶が多いですな」

「多少個体差はあるだろうが、燭台切は好むと思う。
 慣れればこの苦さも美味い」

砂糖とミルクを勧められたが、両方入れた。
適当な雑談をしていたが、ふっと相手が真顔になった。

「……もっと気になることがありそうだが。
 主らに伝わることを気にしているのならば心配いらぬ。
 こちらはこちらの悩みもあろう」

有無を言わさぬ、という強い口調ではないが、
気遣ってくれていることが痛いほど分かる
。相手も同じ蜻蛉切であるだけに。

「やはり、自分相手に隠し事は難しいか」

「まあ、そういう事だ」

蜻蛉切は二人で苦笑した。

「自分はどうもおかしいのです」

相手が静かに先を促してくれる。
蜻蛉切はもう一人の自分に最近感じた己の異常性を告げた。

「主に触れると苦しいのです。
 他の誰かが触れるのはもっと。
 主は和装が苦手であったようで、
 仲間の一人が着付けをしたそうなのだ。
 皆は主の装いを正すのは助けとなることだからと言うが……。
 自分はどうにも」

もう一人は困ったように微笑んだ。

「ほう」

「あの長谷部殿ですら許せるというのに自分はいったいどうしたのかと」

「誰かが不逞を働くのではないのかと」

通じた。良かった。
蜻蛉切は頷いた。

「人はそれを恋慕の情と呼ぶ」

恋慕。

「我ら付喪神は神の一種で、普通はそのような情は無い」

崖から突き落とされたような気分であった。
理解が得られたと思った直後だったので尚更である。

「そのような情は、無い」

「自分は主のことをわが子のように思っている。
 刀によっては姉や妹と。
 そして仕えるべき大切な主である。
 それ以上の情は無い」

頭の中をぐるぐると言葉が回る。

「だが、まれにそのような感情を持つ者も居る。
 自分はお前以外に一口だけ知っている。
 我が主の初期刀であった歌仙兼定だ」

もう一人の自分は眉間に皺を寄せた。

「歌仙は主にお前と同じように情を寄せた。
 他の刀が現れるたび、主を取られるようで気が狂いそうだと言っていた。
 主が肉の身を持つただの人間の男と結ばれ、子を成すのが耐えられぬと。
 何故己は刀剣なのかと」

蜻蛉切は手に嫌な汗をかいていた。
主を姉や妹、ましてや子などと思ったことは無い。
その苦しんでいたらしい歌仙の言葉の方が心に刺さる。
主が自分以外の誰かを選ぶなど、身を切られるような気分だ。
否、手入れで元通りになるだけの身を切られてもそう辛くはない。
身を切られるより辛い。

「歌仙は耐えられず、折れることを選んだ。
 傷を隠し、大丈夫だと進軍し、そして折れた。
 主は悲しんだが、すぐに別の歌仙が現れた。
 歌仙が戻ったと喜んでいたがそれはもう別の歌仙だ」

「折れるなと」

「お前の主の道のりは長い。
 蜻蛉切が武勇で主の道を切り開く時は必ず来る。
 自分は歌仙にかける言葉を持たず見殺しにした。
 だがお前ならば、蜻蛉切であるお前ならば違う。
 まずは武勲にてお役に立て。
 それが唯一の使命とお前ならば分かるはずだ」

ゆっくりと、噛んで含めるようにもう一人が言う。
それはきっとその説得が通じると信じているからだ。

「自分が蜻蛉切だから」

「忠義とはそういうものだと分かるはずだ。
 武勲を重ねる合間にそのような感情を持つ暇は断じて無い」

その言葉からは、
自分と同じ蜻蛉切ならばそれができるはずだという信念が感じられたが、
蜻蛉切には残念ながら不可能だとしか思えなかった。

「かような相談を二度も受けるとは思わなかった。
 一度目は失敗したが、二度目こそは」

険しい顔でもう一人が言葉を切った。
もう一人にはもう一人なりの苦悩があるらしい。

「あまり参考にはならんかもしれんが」

「いや、他にも自分と同じ思いを持つ者が居ると知れて良かった。
 かたじけない」

「こうして血肉のようなものを持って、
 自分を片手に戦場を駆け回った元の主のようになれると思った。
 自分はそうなりたいと思っていたのだ。
 だが、少し違った。
 折れさえしなければ傷も治り、心はあれども人とは違う。
 正直なところ、より人に近いお前が少し羨ましい」

もう一人の蜻蛉切はそう悲しげに笑って言った。