不忠
戦場に出たり、近侍としての仕事を長谷部に教わったり、
すべきことが増えると日が経つのが早い。
引継ぎが終わると長谷部は今まで以上にはりきって内番をこなすようになった。
働く以外の時間の過ごし方を知らないかのようである。
「蜻蛉切さん、お買い物に付き合ってください」
主が珍しく買い物に出かけるというので、
蜻蛉切はそれについていくことになった。
お出かけだからと主が選んだのはわんぴーすという洋装だった。
「荷物持ちでしたらお引き受けします。
ですが主、その格好では脚が」
「え、脚?
大丈夫大丈夫、そういう服だから問題ありません」
そんな破廉恥な格好で大丈夫な訳がない。
何故誰も注意しないのかと思ったが
、町に出てみると様々な格好の、
それこそ蜻蛉切が初めて見るような格好の者も多く、
主の格好は比較的マシなように思われた。
「若い子は良いよね。
流石にこの年でホットパンツは無理です」
すれ違った女性審神者は太ももまで露な格好をしており、
それを見た蜻蛉切が顔をしかめたことに気づいたのだろう。
主が笑いながら言った。
「おやめくだされ」
「しませんしません」
万屋に入った主が向かったのは片隅にある筆が並んだ場所だった。
「蜻蛉切さん用に新調しようと思って。
書きやすいのを選んでください」
「よろしいのですか?
自分は何でも構いませんが」
「実は、着付けもですけど筆も苦手なんです。
鉛筆とかボールペンとかならまだマシですけど」
主がにやりと暗い笑みを浮かべた。
「それがどうか致しましたか」
「代筆をね、お願いしたいんです」
「自分がですか」
「そう、字が変わった理由に“筆を変えたんで”という言い訳を用意しています。
だからまず、筆を買ったという事実を作りますから選んでください。
あと、長谷部さんには内緒で」
長谷部なら「自分が教えます」と言いそうで、蜻蛉切は苦笑した。
「自分も上手とは言えませんが」
「私より大丈夫なはずです」
「……承知致しました。
主の命とあらば」
蜻蛉切がそう返事をすると、
主は嬉しそうに「ありがとう」と今度は普通に微笑んだ。
真面目に筆を試し、
手ごろな値段で手に馴染む一本を選び主に渡した。
買い与えてもらう立場であることが気恥ずかしいが、
これでまた更に役に立てるのだと思うと嬉しくもある。
戻ったときの言い訳にと細々したものを買ってから店を出る。
街中には様々な審神者と近侍が行き交っていた。
中には蜻蛉切をつれている審神者もいるし、
まだ主は手に入れられていない別の男士を連れている審神者もいる。
服装も性別も様々な審神者たちは誰も主を見ていない。
「蜻蛉切さん、何かありましたか?」
主が振り返る。
「いえ、このような賑やかなところは初めてで」
「珍しい?」
「主の身を守らねばと少し構えておりましたが」
「ありがとう。
ここは安全だから、安心してね……おっと」
避けたつもりが避け切れなかった誰かに押されて主がよろめいた。
蜻蛉切は慌てて主を抱き寄せた。
「油断大敵、ですね」
「申し訳ありません、往来で自分が立ち止まったせいですな」
「蜻蛉切さんのおかげで怪我もないから大丈夫。
お土産買って帰りましょう」
「はい」
蜻蛉切は一瞬躊躇しつつ、主の細い肩をはなした。
「ちゃんとぶつからないよう流れに乗りますね」
主が前を歩く。蜻蛉切はそれに続く。
(今、自分は何を考えたのだろうか)
この身を得たことを喜んでばかりいたが、
ここにきてそれが本当に幸せだったのかという疑念が生まれた。
(主に対して)
「あそこの豆大福が美味しいらしいんですよ。
お土産にはちょっと重いかもしれないんですけど、
蜻蛉切さん半分お願いしますね」
「自分が全てお持ちします」
なんとか平静を取り繕う。
「いえいえ、私もちょっとは持ちますよ」
主はふらふらと大福屋に吸い寄せられていく。
いつもの主だ、大丈夫、問題は何もない。
肩に視線をやるのが憚られて足元を見たが、
白い二本の脚が裾から伸びているのを目にし、
間違いだったと蜻蛉切は後悔した。
「主、自分が前を歩きます。
そうした方が歩き易い」
「ごめんね、ありがとう」
主の前に出る。
こうすれば何も見えない。
人数分の大福を購入して本丸に戻ると、
遠征組も出陣組も戻っていた。
「お土産買ってきましたよ、評判の豆大福!」
主が豆大福の入った紙袋を掲げる。
結局主は荷物を持つことを諦めなかったので、
小さい方の包みを持ってもらうことになった。
「お茶をいれた方が良いね」
燭台切がすっと立ち上がる。
皆のいつもと変わらない様子に蜻蛉切は日常に戻れたことに安堵した。
「そういや、最初に会うたときもそがな格好しちょったか。
着物姿もようやっと様になったっちゅうに」
陸奥守が冷やかす。
主が何か言い返していたが、
長谷部が蜻蛉切に話しかけてきたので聞き取れなかった。
「何か珍しいものを手に入れられたのか」
筆のことを考えたが、長谷部には内緒だと主が言うので内緒である。
「特に合戦に関わるようなものは何も」
「仲間を増やす気になっていただけたのかと思ったのだが」
長谷部が渋い顔で言う。
「主のお考えもあるだろう」
「その通りだ。
だが、政府からはもっと積極的に出陣するようにと通達があったはずだ。
物資や錬度は十二分に準備しておいたはずなのだが」
確かに、長谷部は主が戻る日を心待ちにしながら皆に指示を出していた。
主は厳しすぎると長谷部を評したが、
蜻蛉切にはそれが長谷部の忠誠の示し方なのだろうと思われた。
そして、それを理解できぬ訳でもない。
ふと、蜻蛉切は気になったことを聞いてみた。
「そういえば、主は和装が苦手であったと聞いたが」
蜻蛉切の言葉に長谷部は「そうだ」と真面目な顔で頷いた。
「主の世界では、特別な日くらいにしか和装はしないそうだ。
和装のいろはも教わらなかったらしい。
しかし主の希望に沿う形で初期刀剣の陸奥守は着付けを手伝っていたそうだ」
「男の陸奥守が手伝っていたと聞いても長谷部殿は穏やかだな」
それが率直な感想だった。
てっきり知らないものだと思っていた。
知っていれば烈火のごとく怒り狂うのだとばかり。
「何を言う。
主を助けるのが我らの使命だろう。
むしろお前がどうした」
長谷部が蜻蛉切の顔をじろじろと見ている。
「いや、何でもない。
長谷部殿はご存知ないのかと思ったのだ」
「確かにその役目を陸奥守が、という点はいささか不満が残る。
しかし、我らは刀剣。
主が恥をかかずに居られれば誰でも同じだろう」
その言葉は「自分がお手伝いしたかった」と言っているようにも聞こえた。
蜻蛉切が思っていたような邪な意思ではなく、
単純にお役に立ちたかったのだという口ぶりで。
「話より先に、主が選んでくださった豆大福だ。
残すなどという不忠は許さんからな」
秋田に手を引かれてゆく主の背を長谷部が追いかける。
主も言っていた。『他の皆も呆れただけだったんですよね』と。
当時本丸に在籍していた男士だけがそうだったのかと思ったが、
潔癖そうに見える長谷部も別に異論は無いようだった。
自分がおかしいのだ、
というあまり認めたくない結論に落ち着くしかなかった。
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