不忠


蜻蛉切は首にかけた手ぬぐいで額の汗を拭いた。
畑仕事をすることに対しては、
鍛錬の一つだと思っているので別に苦ではない。

内番の小夜は主の持ってきた冷たい水を飲んで木陰で休んでいる。
長谷部が立てた作業目標に到達するには休んでいる場合ではないが、
小夜一人にそれを任せるのは忍びない。
彼には休みを与えて、代わりに蜻蛉切が鍬を振っている。

「頑張ったねぇ」

「すみません、あるじさま」

「私も実際に体を動かしたことが無かったからよく分からなくて。
 無理を言ってごめんね。
 塩飴どうぞ」

わしわしと主が小夜の頭を撫でる。
長谷部は長谷部なりに頑張って計画や目標を立て、留守を守っていた。
そのおかげで資材は十分にあるし、
効率的に錬度も上がっているように思う。
しかし、短刀には少し厳しいかもしれない。

「これぐらいで十分でしょうか」

「うん、あんまり手伝って小夜が困るのもねぇ」

小夜は既に困ったように主を見上げているが、
主はにこにこと頭を更に撫で回した。

「次は厩ですね。
 今日は留守番は短刀が多いのかな?」

「いえ、厩には同田貫もおります」

主の質問に蜻蛉切は頭の中にぱらぱらと眺めた内番表を思い出す。
満遍なく、色々な組み合わせになるよう組まれていた。

「そうだったっけ?
 まあ、行こうか」

小夜に見送られて厩の方に向かう。
朝から主は「内番の様子が見たい」と言い、
長谷部に出陣の指揮を任せて蜻蛉切を手元に残した。
何か話があるのだろうと蜻蛉切は身構えたが、今の所何も無い。

「長谷部殿は主のために効率を求めておられたようで」

そう水を向けてはみたものの、

「それは痛いほど分かるんだけどね。
 うーん……迷うなぁ」

そんなぼんやりとした呟きしか引き出せなかった。
主の考えは蜻蛉切にはまだわからない。
厩に到着すると、秋田と同田貫が馬を洗っていた。

「お疲れ様」

「別にサボってねぇよ」

同田貫が悪態をつくが、顔がわずかに綻んでいる。

「主君、あちらに燕の巣を見つけましたよ」

と、秋田がぴょこぴょこと走る。

「本当?
 落ちないように棚を……お願いできませんか?」

ちら、と主が蜻蛉切を見る。

「主の命とあらば」

蜻蛉切が苦笑まじりに言うと、
「大変だなぁ、おい」と同田貫が鼻で笑った。

軒先に作られたツバメの巣の下に、
雛が落ちたり巣が壊れないように棚をつくる。
やはりというか、何というか、同田貫も多少手伝ってくれた。

「これで燕も安心ですね!」

秋田が嬉しそうに燕の巣を見上げる。

「ここは余裕がありそうね」

「まだ馬も少ないからな」

同田貫の言葉に主が力なく笑った。
その反応を見て同田貫は慌てていたが、
「まだまだこれからだろ!?」と最後は怒鳴り気味だったので、
上手く取り繕えたとは言い難かった。

厩からの帰り道、主はため息をついた。

「やっぱり、早く進めないとですね。
 鍛刀も積極的に太刀を狙ってみないと。
 蜻蛉切さんは奇跡が起きただけなのでもう冒険しません」

うん、と主は自分で言った言葉に自分で頷いた。

「良い刀剣が出来ますよ、きっと」

「クジ運の悪さは折り紙つきなんですよ……はぁ。
 出陣した皆で良いのを見つけてくれるのに賭けたほうがマシかも」

どちらも変わらず博打であるが、
主はどこまでも自分の運を信じていないらしかった。

「それにしても今日は日差しが強いですね、夏みたい」

「本当に」

雲ひとつない青空が広がっている。
主が手をかざしつつ空を見上げた。
暑くなりそうだと出掛けに上げた髪を止める髪留めが日の光を弾く。

「雲でてこーい」

暑さが相当嫌なのか、主が脱力した声で呼びかける。
当然雲など湧いてでては来なかったが、
露になっている首筋を汗が一筋流れた。

「はぁ……やっぱり和服暑いです。
 蜻蛉切さんの黒ってもっと暑そうですけど」

「自分はこれで慣れておりますから。
 主の世界ではお着物は全く違うのですか?」

主が笑いながら振り返った。

「どっちかというと蜻蛉切さんのよりは長谷部さんのに近いでしょうか。
 まあ、ちゃんとした格好なんてあんまりしないんですけど」

「そうでしたか」

「審神者になったからには和装とか思って用意したんですけどね?
 笑い話なのは着付けができなかったっていう話で」

「綺麗に着ておられます」

「陸奥守さんにかなり馬鹿にされながら教わりました」

「……陸奥守殿に?」

「かなり呆れられたんですよ、着れなくて。
 『おんしは何がしたかったんじゃ』って笑われて。
 確かに私は審神者にかこつけて着物着たかっただけですけども!」

「一応刀剣とはいえ、陸奥守殿も男です」

蜻蛉切が呆れて言うと、主はきょとんとした顔で蜻蛉切を見た。

「何か」

「いいえ、他の皆は呆れただけだったんですよね。
 何やってんだとか下手糞とか。
 まあ、短刀たちに慰められたほうが辛かったんですけど。
 だから窘められると思ってなくて。
 当然ですよね、
 見たくないもの見せられた陸奥守さんには後で謝ります」

ははは、と主は笑っていたが、
笑い事ではないのではないだろうか。
蜻蛉切はもやもやとそう思ったが、
書類の仕事が待っていると急かされたので、
先に水で汗を流してから主が仕事をするのに使っている部屋に入った。

部屋の中は畳を上げてあり、奥に大きな机が一つ、
手前に小さいのが二つ向かい合わせに置いてある。
先に戻っていた主は奥の席について、
政府から送られてくる通知文に目を通したり真面目に作業をしている様子だった。
蜻蛉切は邪魔をせぬよう「参りました」と小さく声をかけて宛がわれた席についた。

山積みにされた資料に目を通す。
長谷部は主が不在中の記録をかなり仔細に残してくれているので、
それを追うだけである程度方向性が分かる。
効率重視の、限界を狙っているとしか思えない采配である。

「その報告すごいでしょう?
 長谷部さんにはもうちょっと休んでもらわないといけないですよね」

顔をあげると、主がこちらを見て笑っていた。

「自分にここまで出来るかどうか……」

「そこまでしなくて良いですし、しないでください。
 私がいないから長谷部さんが気を使ってくれただけです。
 そろそろ皆戻ってくる頃合なので、一旦休憩にしましょうか」

そう言われて報告書の束に栞をはさんで閉じる。
遠征帰りの者たちのために冷えた茶の用意をして、玄関で待つ。
用意をしたのは主の方で、蜻蛉切は主に荷物持ちである。
夕食の仕込みがすでにしてあったのは、燭台切の采配だろう。
彼は万事にそつがない。

「おかえりなさーい」

主が戻ってきた面々に声をかけた。

「ただいま戻りました!」

五虎退が駆けてくる。

「お茶をどうぞ」

主がお茶をついで皆に差し出す。

「子虎殿には水を」

蜻蛉切が水を入れた皿を出すと、虎たちがわっと水に群がった。

「ありがとうございます。
 虎君たちも暑かったみたいで」

「主のお心遣いです」

「蜻蛉切さんも、です」

にこにこと五虎退が言う。
その後ろで山姥切と陸奥守が日陰に座り込んでお茶を飲み、
長谷部がお茶のグラスを片手に報告をしている。
皆暑そうだが、特に五虎退の顔が真っ赤で休憩が必要なようだ。

「五虎退君はお休みで、蜻蛉切さんと交代してください。
 少し休んでから同じところへ」

主も気がついたのか指示が飛んでくる。

「は、責務を果たします。
 準備をして参ります」

やっと戦場に出られる。
人の身を持つからには多少内向きの仕事もしなければと分かってはいるが、
本分は戦場での武働きである。
蜻蛉切はうきうきと戦支度を済ませて合流する。

「いってらっしゃーい!」

「お気をつけて」

主と五虎退に見送られて出陣する。
きっと素晴らしい戦果を持ち帰るのだ、
と蜻蛉切は意気込んで門を潜った。