不忠
翌朝審神者が宴会会場に戻ると、
そこには死屍累々と……という惨劇は広がっては居なかった。
皆節度を持って楽しんでくれたらしく、
昨晩撤退したときとあまり状況は変わらない。
「おはようございます、あるじさま」
五虎退が眠そうに目をこすりながら入ってくる。
「おはよう。
よく眠れなかった?」
「頑張って早起きしたんです。
あるじさまはきっと早くいらっしゃると思って。
もうすぐ皆も来ます」
心遣いにじんわりと心が温かくなる。
「ありがとう、お片づけ頑張ろうね」
「はい!」
五虎退と皿を集めていると、
小夜や秋田も少し眠そうながらも姿を見せてくれた。
手分けして集めた皿を運んでいると、
昨晩潰れなかったと思しき面々が揃って現れた。
「遅刻かの?」
「いいえ、こちらが少し早く出てきただけです。
長谷部さんと山姥切さんはまだお休み中ですかね」
「まあ、しゃーねーわな」
同田貫がにやりと笑って言う。
「お酒も空っぽでしたもんね」
審神者が言うと、陸奥守が頭をかいた。
「それはワシと蜻蛉切じゃ」
「申し訳ありません……」
「今更だけどね」
笑う陸奥守と燭台切とは対照的に蜻蛉切がしゅんと小さくなる。
「いえ、冗談です。
楽しんでくれたのならそれで。
午後から少しは出陣できるよう頑張って片付けましょう」
そういうことで、皆で黙々と後片付けをした。
厨の鬼となった燭台切はものすごい勢いで皿を洗い、
短刀たちがそれを拭いてゆく。
高い所にしまうものは蜻蛉切が預かり、
掃除を同田貫と陸奥守がしている。
全ての作業が終わりそうな頃合で、酷い顔色の山姥切が現れた。
余りに酷い顔色だったので水を与えて座らせている間に、
同じくよろよろの長谷部が現れた。
「申し訳ありません、主……」
「長谷部さんもが楽しんでくれたのならそれで」
そう伝えたが、悔しそうにするばかりである。
気を利かせた小夜が水を持ってきてくれたので、
それを長谷部に飲ませる。
片付けが終わり、
とりあえず山姥切には部屋で一日休んでいるように伝えた。
長谷部にも休むよう言ったが、出陣の準備をと食い下がる。
仕方が無いので審神者は長谷部にもう一杯水を出しながら、
近侍交代の話をさてどう切り出したものかと考えていた。
宴席での言葉どおり、長谷部は資料を作成して提出してくれていた。
彼の事務処理能力とやる気は審神者も認めるところであるが、
そのやる気が度を越しているとも思うことも多い。
だからこそ近侍の交代を考えたのだが、
真面目に作戦を立案・遂行してくれているだけに伝えづらい。
ただ、今日に関しては二日酔いで苦しんでいるようなので、
いつもの半分くらいしか圧迫感が無い。
「大丈夫ですか?」
「回復して参りました。
面目次第もございません」
「昨晩資料には目を通しました。
確かに刀剣の収集にも本腰を入れる頃合かもしれませんね」
「そうなのです!
主の指示通り過ごして参りましたが、やはりもう少し」
がば、と顔を上げた長谷部の目の下には立派なクマがある。
留守は自分がと言ってくれたから研修に出てみたが、
負担が大きかったに違いない。
皆に指示を出し、自らも出陣し、
審神者のために調査を怠らない。
それは彼の性分ではあるが、甘えすぎたことは間違いない。
「長谷部さんにばかり負担をかけてすみません」
「ありがたいお言葉です。
ですが、お気になさらず。
近侍の役目でございます」
それはたぶん違う。
「ですがいつまでもおんぶに抱っこでは駄目だと思うんです。
そこで少し他の者にも仕事を割り振りたいと考えています」
長谷部が目を見開く。
「負担だなどと思ったことはございません」
「長谷部さんだけができても意味が無いと思いませんか?
強い敵に遭い、長谷部さんが深手を負ったとき、
本丸が大混乱では早期の復帰もままなりません。
ですから一度近侍は別の者に変えます」
「……主命とあらばこの長谷部、異論ございません」
異論があるのが分かる顔で言う。
こちらの心が挫けそうだが、今回はそうもいかない。
「不慣れな近侍の補佐も必要です。
その役目は長谷部さんにお願いします」
「主は次の近侍を既にお決めになっているのですね?」
「蜻蛉切さんにお願いしようと思っています」
「適任と思います」
切り替えが早いのか、長谷部は頷いた。
長谷部が思う近侍の役目は短刀には可哀想であり、
陸奥守や同田貫は辞退してしまいそうだ。
山姥切は耐えるかもしれないが、そのまま倒れかねない。
そういう意味でも変えるならば蜻蛉切しかいない。
では蜻蛉切にとってはどうなのかという疑問も残るが、
彼の性格ならば長谷部ともうまくやってくれるだろうし、
まじめに仕事もこなしてくれるだろう。
こういうとき、頑丈そうな見た目は割りを食うのかもしれない。
「余裕ができれば、長谷部さんにも休んでもらえます。
皆、それぞれ楽しく健康で居られるのが一番です。
無理はしないでくださいね」
審神者が言うと長谷部は驚いたようだったが、
困ったように笑って「ありがとうございます」と言ってくれたのだった。
その日も一通りの任務をこなし、
一番重労働を課された蜻蛉切を審神者は部屋へ呼びつけた。
「蜻蛉切、ただいま参りました」
蜻蛉切は鋭い視線を投げつける長谷部をにも頭を下げた。
前もって打診してあっただけに状況の飲み込みが早い。
「お疲れのところすみません。
近侍の交代をお願いしようと思います。
しばらくは長谷部さんが仕事を教えてくれると思いますので、
よろしくお願いしますね」
「主の命とあらば。
長谷部殿、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします」
「出来る限りのことはさせてもらう」
長谷部の出来る限りでは普通は過労死するのではないかと思われたが、
審神者は黙っておいた。
「私も仲間を増やすために頑張ります。
出陣も増えるかと思いますが、空いた時間に引継ぎをお願いします」
「「承知致しました」」
これで良い。審神者はにっこりと笑って、
明日からの予定を調整して二人を部屋へ帰した。
これ以上長谷部の機嫌を初日から損ねては困るので、
その日届いた書簡の整理にとりかかる。
政府からの通知のほかに、友人からの手紙も混ざっていた。
審神者の世界に引き込んでくれたありがたい先輩である。
「“またお茶でも行きましょう”ね」
回避できない研修の後、
行きつけの喫茶店に行こうという約束をとりつけておく。
彼女のところにはこちらと比べるべくもなくたくさんの男士が居るし、
審神者歴も長い。
会えばきっと有益な指導が得られるだろうと思いながら、
それ以外の話も楽しむつもりで審神者は返事をしたためたのだった。
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