不忠
「主の研修の終了と、蜻蛉切の顕現を祝って!
乾杯!」
陸奥守が杯を高く掲げた。
「「「乾杯!」」」
わっと全員が同じように掲げる。
ただ、その杯に注がれている中身には違いがあり、
短刀たちは甘酒をくいっと口に流し込んだ。
主が今日は仕事をしないで宴会の準備に充てると宣言したことで、
机の上にはたくさんの料理が所せましと並べられていた。
手に入れた日本酒に合う料理でという注文があったらしく、
燭台切が得意とする洋食の姿はあまりない。
夕食のために一日せっせと準備をするのもおかしな話かとも思われたが、
楽しく準備しているところに水を差す理由もない。
夕食とはいえ八つ刻を少し過ぎたあたりから宴が始まったこともあり、
仕方の無いことだったのかもしれない。
「おんし、中々張り込んでくれたんじゃのう。
良い酒じゃ!
蜻蛉切殿も一献」
陸奥守が主と蜻蛉切の猪口に酒を注ぐ。
「長い研修が終わって浮かれてました」
主はそれに口をつけ、蜻蛉切も倣って同じように口に入れてみた。
食事に酒がつくことが今まで無かったので初めて飲んだが、
水のようだがふわりと米の香りもし、喉がかっと熱くなる。
少し驚いたが、癖になりそうだ。
蜻蛉切が酒を味わっている間に、主は陸奥守に返杯していた。
「おおっと」
ぐい、と陸奥守はそれを一気にあおった。
「くぅー……っ!
蜻蛉切もいける口のようじゃし、仲間が増えてワシも嬉しいぜよ」
「酒飲み仲間ですか」
主が笑う。
「今までいうほど飲んじょらんかったき」
「自分も強いのかどうか」
蜻蛉切の言葉に陸奥守が笑う。
「おんしの形で弱い訳が無いじゃろう!
今日はしこたま飲んで確かめるとええ。
こんな甘露は滅多にお目にかかれん」
よく見ると、陸奥守の猪口には脚が無い。
蜻蛉切の視線に気づいたのか、陸奥守は猪口を掲げた。
「そらきゅうち猪口じゃ。
中身があるうちは置けんっちゅう奴で、
今日は飲むんじゃと決めたから出しちょる。
良かったらおんしにも見繕うて来るぜよ」
ししし、と悪巧みするように陸奥守は笑い、山姥切の方へ歩いていった。
陸奥守が去ると次は長谷部、その次は同田貫、
と次々に主に酒を注ぎにくる。
本来は自分も回るところだろうと思ったが、
主の席が隣にあるので皆順繰りに蜻蛉切の所にも来てくれる。
短刀たちも来てくれたが、
まだ一緒の当番に当たったことのない小夜には距離を感じた。
「よろしく頼みます」
と、大げさに頭を下げるとようやく少しだけ笑ってくれた。
一通り挨拶も済み、つまんでいた料理に本格的に手をつける。
主が言うだけあってどれもおいしく、酒が進む。
「あー……ほんと幸せ。
審神者って良い仕事だわー」
主がうふふと笑いながら酒を飲んだ。
蜻蛉切が徳利を取ると、「ありがとう」と主は猪口を手に取った。
「他の仕事もなさっているのですか?」
「元々はね。
友人の紹介で審神者の試験を受けてみたんだけど、通っちゃって。
政府から提示されてるお給料も良かったし、転職したところです」
主が空になっていた蜻蛉切の猪口に酒を注いでくれる。
そのとき、派手な音をたてて陸奥守に付き合っていた山姥切がそのまま横に倒れた。
何事かと思ったが、誰も驚いた様子は無い。
慣れた様子で五虎退が水の入ったグラスを取ってくる。
「山姥切さんはたぶん寝落ちです。
お酒を一口飲むくらいでああなるので大丈夫です。
陸奥守さんと話してると試してみたくなるみたいなんですよね。
あと、お給料って禄のことです」
主はうっとりと猪口の酒を眺めた。
「おかげで私も一国一城の主って訳ですよ」
「良き選択でございました。
それに皆、主が戻られるのを心待ちにしておりました」
「ありがとう。
元の職場はあんまり環境が良くなくって。
自分が管理職になったからには楽しく働いてもらいたいんですよね。
お世辞でも褒めてもらえると嬉しいです」
「こちらこそ過分なお心遣い感謝しております。
自分の我がままも通していただいて」
「それはね、私も研修に飽きてきたからという側面もあります」
主は悪戯っぽく笑った。
「主」
顔を真っ赤にした長谷部が戻ってきた。
「長谷部さん、随分飲んだようですね」
「いえ、それほどでは。
これまでの成果と、今後の目標を書面にしてあります。
明日にでもご覧いただければ」
ここまできて仕事の話なのかと蜻蛉切は驚いたが、長谷部は止まらない。
「やはりもう少し戦力の拡充が急がれるべきかと。
資材を集め易い場所を探しておきました。
参考までにお使いください」
「長谷部さん」
「何でしょうか」
「今は宴の席です。
楽しんではもらえなかったでしょうか?」
主が困ったように言うと、長谷部がぶんぶんと顔を横に振った。
「滅相もございません」
「そのお話は明日、編成の前にしましょう」
「はっ!!」
「長谷部ぇ、おんしゃ飲み足りんのじゃろう?」
がし、と陸奥守が長谷部の肩を抱いた。
「何をする!?」
「ちくとこっちへ来とおせ」
「今日は随分元気そうじゃねぇか」
悪い笑みを浮かべた同田貫が陸奥守に加勢し、
長谷部を引きずるように呑ん兵衛の輪につれてゆく。
主はうふふと笑いながらそれを見送った。
頬に朱がさしているので、おそらく酔っているのだろう。
「蜻蛉切さんもあちらに参加すると良いと思います。
私は短刀たちと遊んでから休みますね。
片付けは明日みんなで頑張りますから」
「承知しました」
蜻蛉切りは猪口を持って酒を飲む打刀と太刀の輪に入った。
そういえば、あまりゆっくりと話をしたことが無かったことに気づく。
既に死に態の長谷部はすぐに眠ってしまったが、
残りの面子で昔の主の話で盛り上がった。
本田忠勝という人間の武勲については皆の知るところらしく、
蜻蛉切も懐かしく思いながら思い出話をした。
その最中に陸奥守と返杯を繰り返していたが、
それができるのは随分と酒に強いということらしく、
「面白い杯が他にもあるき、それを贈るぜよ」と背中を叩かれた。
主の方は宣言どおりに短刀たちと暫く遊んだあと、
良い時間で皆で撤収したようだった。
だらだらと雑談に興じていたものの、
明日のためにと酒が尽きる頃合で散会となった。
それでもそこそこの時間になっていたので、
眠ったままの長谷部と山姥切を運び出し、
それぞれの部屋に適当に布団を敷いて放り込んだ。
「じゃ、また明日」
ぶっきらぼうながらどうやら人の良い同田貫が部屋に引っ込む。
蜻蛉切も部屋に戻ることにしたが、
酒の力なのか足元が少しふわふわする。
一本の槍であったときには何も思わなかったが、
美味い酒を飲み、美味い飯を食い、仲間と語り合い、
笑うということがそれだけで褒美のように思われる。
(人の身とはなんと素晴らしきものか)
その上、新しい主にも恵まれた。
心優しい主である。
どんな主であっても誠心誠意仕えるつもりにしているが、
支えたいと心の底から思える主でよかった。
(自分は果報者だ)
蜻蛉切りはふわふわとそう思いながら、床に就いたのだった。
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