不忠
蜻蛉切りの“お願い”が功を奏したのかは不明だが、
手入れ部屋での会話があってから数日後、
政府の研修がひと段落したからと主が食事の席に現れた。
「主、政府から審神者の交流会の通知があったのでは」
長谷部が困ったような顔で言う。
「断りました。
せっかく研修で得た知識をそろそろ実地で確かめたいんです」
燭台切がそつのない動きで上座に席を設け、そちらに主を座らせる。
「研修も交流も暫くお休みです。
新米審神者で頼りないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
きり、と引き締まった表情で主が言うと、
居並ぶ男士に否と言う者など居るはずもなく、
それぞれに程よい緊張を顔に浮かべて頷いた。
「なんですけれど、先に蜻蛉切さんの歓迎会を開催します。
食材や諸々の手配は昨晩済ませました。
今日はきっちり働いて、明日は皆でぱーっと遊びましょう」
主の楽しい提案に、短刀たちの笑顔がこぼれた。
蜻蛉切が本丸に来て、初めて主自らの采配で出陣の命が下された。
これで誰が負傷するのだろうかと思われる程の甘い采配であったが、
それでも他でもない主からの命であると思うと素直に従うことができた。
案の定刀装もほとんど損なうことなく帰陣すると、
主は残っていた同田貫と秋田と三人で届いた荷物を解いていた。
「お帰りなさい、今日はもうこれで終わりです。
燭台切さんの指示に従って、明日の歓迎会の準備をしてください。
歓迎される側の蜻蛉切さんは今日はのんびりしてくださいね」
「お言葉ですが、主の慰労会でもあるのでは?
それを手伝わぬのは道理に合いません」
蜻蛉切がそう言うと、同田貫が「違いねぇ」と笑った。
「……そうでした。
お願いします」
奥から人の気配に気づいたらしい燭台切が出てきた。
「帰陣した者はまず風呂に入ること。
打刀は厨へ、短刀はメモの通りに部屋を片付ける。
遠征組はもうすぐ戻るから、作業は揃ってからで良いよ」
「自分は何を」
蜻蛉切が尋ねると、燭台切は「おっと」と笑った。
「主のお守りかな」
「お守りって……」
「冗談だよ。
主も君ももてなされる側だからね。
ぶらぶらしてくれて問題ありませんが、強いて言うなら……」
うーん、と燭台切がわざとらしく間を取る。
「短刀の監督をお願いします」
「やっぱりそれ、何もすること無いじゃないですか」
主ががっくりとうな垂れる。
「主が戻ってきてくれて僕達は嬉しいんです。
打刀以外でやっと来てくれた蜻蛉切も歓迎したい。
こちらの気持ちも汲んでいただきたいのですが」
駄目ですか、と燭台切に見つめられて主が渋い顔をする。
「……そういう事なら」
「では決まりです。
蜻蛉切は長谷部の準備が整うまでに風呂から戻ること。
たぶんそれでお小言から主を守れます。
二人でお話でもしていてください」
「承知しました」
そういう事になった。
風呂に入って汚れを落とし、
遠征組がどやどやと入ってくるのと入れ違いに蜻蛉切は風呂から上がった。
遠征組の方に長谷部が居たからである。
内番用の楽な格好に着替えて戻ると、
主は縁側で足をぶらぶらさせて座っていた。
隣に団子とお茶があるので、
燭台切は本気でそこから動かさないつもりなのだろう。
「蜻蛉切、ただいま戻りました」
「うん、お疲れ様。
お隣どうぞ」
「では」
団子をはさんで隣に座ると、主が手ずからお茶を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ。
良いお茶っ葉使ってくれたみたいで、とても美味しいですよ」
一口すすってみると、確かに美味い。
「蜻蛉切さんはお酒とかお好きです?」
「さて、試したことがございませんので」
「ああ、そうか、そうでした。
陸奥守さんが皿鉢料理を作ってくれるみたいなんです。
お酒とそれが楽しみで」
えへへ、と主が笑う。
「主は酒を嗜まれるのですか?」
「本当に嗜む程度なんですけどね。
今居る人だと断然陸奥守さんが強くて、
燭台切さんと同田貫さんが続く感じでしょうか。
長谷部さんと山姥切さんはあんまり強く無いです。
短刀たちには飲ませたことないですね、
付喪神ですけど犯罪っぽいし……」
宴席といっても、よく考えれば子どもの形の短刀もいる。
主同様のんびりとした宴会となることだろう。
「楽しみですな」
「本当に」
ぱたぱたと短刀たちの足音が近づいてくる。
どうやら隊長は秋田のようで、先頭を意気込んだ顔で歩いている。
「主君、明日はこちらの部屋を使うのですね?」
「そうです。
今から掃除ですね?」
「はい!
大きなお部屋は最近使っておりませんでしたので。
ホコリが立ちますから主君のお団子が危険です。
場所を移していただいた方が」
燭台切に与えられた任務は短刀の監督だったが、
この様子では不要だろう。
蜻蛉切は少し笑ってしまったが、主も同じく苦笑していた。
「お気遣いありがとう。
よろしくお願いします」
「はい!」
短刀たちが掃除に取り掛かる前に、
団子と茶器がのったお盆を持って立ち上がってはみたものの、
主が掃除している彼らの様子をにこにこ眺めているので動く訳にもいかない。
そこへ同田貫がふてくされたような顔でやってきた。
「どうしたんですか」
主が声をかけると、
「厨の仕事は手が足りてるんだと」
それで掃除班に参加することになったらしい。
短刀の中に一人打刀が、しかも同田貫が入るとなんだか妙である。
大きさもあるが、人柄が一番の問題である。
「あんまり見てると同田貫さんが可哀想かもしれません。
行きましょうか」
主が頑張って笑いをこらえるような顔でそう言った。
行き場を失ってしまったので、
とりあえず主が起居する離れの縁側に落ち着いた。
隠していた和三盆を出してくれて、遠くから楽しそうな掃除班の様子を眺める。
「この本丸には慣れましたか?」
「皆良くしてくれるので随分と。
自分の錬度が足りず迷惑をかけるばかりですが」
「結果は追々で構いません。
槍は大器晩成型だと聞いています」
「勿体無いお言葉です」
「これからなんです、焦らず一緒に頑張りましょう。
私が臆病者なので成果はすぐに上げられないと思いますが」
「我らは皆、主をお支えしたいと思っております」
「今は何の褒美も出せないですが」
「立派な審神者におなりください」
「蜻蛉切さんって本当に……」
そこで主はため息をついた。
「自分が何か」
「近侍をする気はありませんか?」
主の言葉に蜻蛉切りは湯のみを取り落としそうになった。
「自分が、ですか。
一番の新参者ですが」
「初期刀の陸奥守さんは私の思うようにやれといってくれます。
今の近侍の長谷部さんは、効率を考えて進言してくれます。
どちらも良いところがあるんですけれど、
ちょっとバランスをとりたくて」
「ばらんすとは」
「均衡とか、釣り合いとかですね。
その当り蜻蛉切さんなら具合が良さそう」
ひょい、と主は桜の花びらを模した和三盆を口に放り込んだ。
「お願いできませんか」
蜻蛉切はからかわれているのだろうかと主の方を見てみたが、
真剣な面持ちで視線を返された。
「……ご命令とあらば」
「ありがとう。
長谷部さんにはきっちり話しておきます」
ふい、と主は短刀たちの方を見た。
優しい横顔ではあるが、芯の強さも感じさせるまなざしであった。
(この方を天下一の審神者に)
蜻蛉切はその思いを新たにした。
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