不忠
「蜻蛉切さんですね、よく来てくれました。
初めて槍の方にお会いできました」
そう諸手を挙げて歓迎してくれた主に、蜻蛉切は頭を垂れた。
「ただ今馳せ参じました。
蜻蛉切と申します。
いつでも出陣の準備は出来ております」
「楽しみにしています」
本当に嬉しそうな声音でそう言ってくれたのだった。
ただの道具であった自分に体を与えてくれた、
この方の力になれるよう一所懸命頑張るのだ。
と蜻蛉切りはそう心に決めたのだった。
その肝心の主は、しかし、あまり本丸で姿を見ることは無かった。
初期刀剣の陸奥守吉行の話によればどうやら主は審神者としては新米で、
政府が用意する研修に出かけてみたり、調べ物に出かけたりと忙しくしているらしい。
「話は長谷部が聞いてくれちょるから、心配することは無いき」
近侍のへし切長谷部は、
そういえば主からの指示を伝える際には書付を持っていたような気がする。
内番やその他男士のおおまかな世話は陸奥守が、
遠征や出陣に関しては長谷部が仕切っているようだった。
その長谷部の指示がまた非常に手ぬるく、
蜻蛉切としては少し物足りなく感じるものであった。
遠征に出るにしてもこれだけも手は要らないだろうと思われる人数であったし、
出陣にしても刀装が厳しくなった所で撤退ということもままあった。
長谷部自身の指示ではないのだと聞くと納得である。
「ここだけの話じゃが、主は手入れが下手じゃ。
それで怪我する前に撤退するよう言われちょる」
そう言った陸奥守の顔が馬鹿にしたようなものではなく温かなものであったので、
手ぬるい指示も主の人柄なのだろうと思われた。
同田貫あたりもくさしていたが、
「主にはお前も大事な一振りなのだ」と言うと言葉に詰まっていた。
照れていたらしい。
短刀たちはあまり気にしていないのか、
それとも陸奥守の世話が上手いのか、
あまり不満を口にしている様子は無い。
そんな調子で本丸に来て一週間が経とうとしても、
主と会ったのは最初のときだけだった。
廊下を歩く後姿を見ることはあっても、お声をかけてもらえることはない。
まだ手柄を上げるほど強くもないのだと自分を叱咤するよりない。
しかし、気にはなるのだ。
「主はどのような方なのだろうか」
「お優しい方ですよ!」
馬の世話をしているときだったか、
一緒に当番だった五虎退がにこにこと教えてくれた。
「前は虎君たちと遊んでくれたりしましたし、お花見をしたり。
今は忙しそうで、無理は言えませんけれど……」
きゅう、と抱えていた一匹を抱いてうつむいてしまった。
「一所懸命働き、お支えしなければいけないな」
「……はい。
一緒に頑張りましょう」
泣きそうな顔で五虎退は頷いた。
蜻蛉切の顕現を喜んでくれた、不器用で優しいはずの主。
(目に留まる武功を)
そう、少し焦っていたのかもしれない。
「蜻蛉切。
今のお前では少し厳しいかもしれないが、どうする」
長谷部が出陣する面子を選ぶときに、声をかけてくれた。
鍛錬に近い出陣ではなく、敵を狩る為のものである。
「ぜひ」
「では、よろしく頼む」
主から長谷部がおおまかに頼まれているおかげで、
出陣する部隊の編成もそこそこ自由意志がきく。
もし主が指示を出していたならば、
その戦には蜻蛉切をまだ連れて行くとは言わなかったかもしれない。
後からそう思ったのだった。
結論としては、長谷部の予想は正しかった。
蜻蛉切が同行するにはいささか敵の攻勢が厳しく、
攻撃を防いだつもりでも防ぎきれず、怪我を負った。
「まだ、まだ戦えます」
撤退を口にしかけた陸奥守にそう押し切った。
まだ折れるには早すぎる。
少しの怪我が疲労を倍加し、更なる隙が生じ、
敵の首領を討ち取って戻るときにはそこそこの怪我になっていた。
その様子を見て長谷部はため息をついて手入れ部屋行きを指示した。
さすがに蜻蛉切は大人しく従うことにし、
無理を容れてくれた陸奥守に礼を言って手入れ部屋に入った。
(さて、どうしたものか)
手入れといってもこの体になって初めて手入れをする。
道具はあるが、どうやって手入れをしたものか。
そう思いながら道具を眺めていると、
遠くからどたどたと身軽さを全く感じさせない足音が近づいてきた。
「蜻蛉切さんっ!!」
すぱん、と勢い良く襖が開いて、主が現れた。
肩で息をして、酷く慌てた様子である。
「心配は無用です。
この程度、怪我のうちには……」
「怪我する前に帰ってきてって言っておいたのに……!
大丈夫ですか」
「大したことはございません」
「嘘ですよね、それ。
私さっき聞いたんですよ、中傷だって。
とりあえず座ってください」
なら何故聞いたのかと思ったが、口には出さないでおいた。
「しかし」
「座りなさい」
ぎろりと睨まれて、蜻蛉切は仕方なく椅子に座った。
主はどうやら手当ての手順は分かっているようで、
道具を並びかえて蜻蛉切りの腕に触れた。
「傷口洗うので、ちょっとしみるかと思います」
我をした当人は蜻蛉切であるが、主の方が痛そうな顔をしている。
傷口を洗い、必要があれば縫い、薄い布をあてて包帯を巻く。
いつか陸奥守が言っていたようなほど不器用だとは思わなかったが、
どうやら過剰なようで出来上がりは不恰好である。
陸奥守が言う“下手”とはこういう意味なのだろう。
「お手間を取らせてしまいました」
「それは全然構いません。
それよりも、怪我した姿を見るのは心臓に悪いのでやめてください。
もうただの道具じゃないんですから。
ただの道具だとしても」
「しかし」
道具を片付けた主が蜻蛉切の向かいの椅子に座り、手を取った。
自分の骨ばった大きな手に比べてほっそりと小さな手をしている。
「もし蜻蛉切さん本人が納得して死んでしまったとしても、
また別の蜻蛉切さんに会えることでしょう。
でも、最初にお会いした蜻蛉切さんは貴方だけなんです。
無理は絶対にやめてください。
戦に勝つことよりもこんなことを願うのは間違っているかもしれません。
落ちこぼれ審神者かもしれませんが、私からのお願いです」
主はまっすぐに蜻蛉切を見つめて言う。
真面目に、己の思う信念に従って、
皆の安全を考えながら頑張っていることがよく分かる。
誰も声をかけられずに居る理由が少し分かった気がした。
研修も必要なのだと皆がわかっているから戻るのを静かに待っている。
「承知致しました」
蜻蛉切が微笑むと、厳しい顔をしていた主の顔が緩んだ。
「良かったです」
「交換条件という訳ではありませんが、自分からもお願いが」
「何でしょう?」
忙しい主の時間を自分の手入れにつぎ込んでもらっていることは承知であるが、
それでも一つだけ。
「主がお忙しいことは重々承知しております。
ですが、上手く回っていても、やはり主のお姿が無い本丸は寂しいものです。
我らが主と一緒に居られる時間をもう少し頂きたい」
主は一瞬きょとんとして、そして笑った。
「そんなことで良いんですか?」
「皆の願いです」
「今受けている研修の課題が多くて迷惑をかけていますね。
ですけど、もうすぐ終わります。
終わったらぱーっと歓迎会を開きましょう。
遅くなっちゃいましたけど」
「自分の歓迎会など不要です」
「私が開きたいんです。
あと、研修の打ち上げも込みで。
楽しみが出来ました」
そう朗らかに笑う主を見て、誰も嘘をついていなかったのだな、と蜻蛉切は思った。
「自分も楽しみになりました」
「あ、でもその前に。
長谷部さんを慰めるの手伝って下さいね。
自分の失敗だって落ち込んでるはずなんで」
思えば長谷部も辛い役割なのかもしれない。
「微力ながらお手伝いいたします」
「ありがとう」
(主は我らを道具だなどとはひとかけらも思っていない)
おそらく蜻蛉切を名乗る槍は他の本丸には居るものと思われたが、
自分はこの本丸の、
この審神者の元に顕現できたのは幸福なことだと蜻蛉切は思ったのだった。
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