風の嫁取


が風魔の嫁になると決意してから数日後、
ようやく風魔の許可が下りて城に戻ることになった。
結局薬草園の老夫婦とは必要最低限の会話しかしなかった。
挨拶をしようとしたが、
風魔が「必要ない」と言ったのでそれきりになった。

旅支度をして、庭先に立つ。
歩く程度ならばもう問題は無い。

「どう行くのですか」

「可愛いよ。
 悪いがうぬでもここがどこなのか知られる訳にはいかないのだ」

風魔が近づいてくる。

「目隠しでもしますか」

「少し眠っていてもらおう」

風魔が目を覗き込んでくる。
これは。

「またですか」

「そうだ」

きゅう、と瞳孔が引き絞られる。
急激な眠気がを襲う。

「うぬが歩くには少し険しい山道でもある」

風魔が言い訳のように言うのが聞こえたが、
は反論する前に意識を失った。

次に気がついたときにはもう小田原の城が見えるような場所であった。
以前から風魔との稽古に使っていた高台である。

「よく眠れたか?」

風魔が枝の上に立っている。

「眠れましたけれど」

は立ち上がって、城を見下ろす。
城から戦支度をした兵士が列を成して出て行くのが見えた。

「少し遅かったようだ」

風魔が笑っている。

「分かってて遅れたんじゃないんですか?」

は半分怒りながら言ったが、無視された。

「我はあれと出かける予定になっている。
 良い子だからお留守番をしておけよ」

が上を見上げると、風魔はそこから姿を消した。

「お留守番……」

頑張って回復してきたものの、
まだ戦える状態ではないとが一番知っている。
ため息をひとつついて、は人間が歩ける道を通って城へと戻った。

城門には、兵士の出立を見送っていた早川殿が居た。
門をくぐると大きな目を更に大きく見開いて、駆け寄ってきてくれた。

!!
 やっと治ったのね?」

「はい。
 まだ戦に出られるほどではありませんが」

「傷はどんな具合なの?
 あ、お父様に言わなくっちゃ。
 ああ、でも、お母様も心配していたから……」

思いついた順に口にする様子を見ていると、
皆に心配をかけていたのだと痛感する。

「ご心配をおかけしました」

「帰ってきてくれたから良いの」

早川殿の笑みはいつも花が咲くように可憐である。
申し訳ないのと同時に、照れくさい。

「そうだわ、お医者様をお呼びしなくっちゃ」

そう言って人を呼びかけた早川殿を、は止めた。

「大丈夫です、ほとんど治っておりますから。
 それよりも先にお父様にお話があるのです」

風魔の嫁になると言わねば。
早川殿はの言葉に何かを察してくれたのか、
お医者の準備を整えておくからと氏康の居場所を教えてくれた。






氏康は城の一番高い部屋から甲斐姫の出陣を見送って、
やれやれと手すりに腰掛けた。
風魔は一応甲斐姫に帯同することになっているので、
の様子を知る術がなくなってしまった。
報告させろと命じることもできるがさてどうしたものか、
と思っていると、慌てた様子で近侍が走ってきた。

様が戻られました!」

「何だと!?」

風魔を後で叱っておかねばならない。
戻らせるなら早く言え、と。

「お通ししますか?」

「当たり前だ!」

そう言って追い返す。
すぐにがやってきた。
幾分痩せたように見えるが普通に歩いている。

「ただいま戻りました」

「ド阿呆が!!!
 無理するんじゃねぇよ全く……。
 もう動いて大丈夫なのか?」

は困ったように微笑んだ。

「はい。
 戦に出られるほどではありませんが」

袖口から真新しい傷跡が覗いている。
消えそうな気配は微塵も無い。

「本当に生きて帰ってくれて何よりだ」

かしこまっているに近づいて、ぐしゃぐしゃと頭をなでた。
二度とそうすることができないと思ったこともあったので、
嬉しくて顔がにやける。

「その様子じゃまだ来たばっかりだろう?
 カミさんの所にも早く行ってやってくれ。
 かなり心配してたんだ」

旅支度のまま、急いで会いにきてくれたのが分かる。
しかし、あまり旅をしてきた風ではないのが不思議だが。

「いえ、その前にお話が」

「何だ、風魔に何かされたのか」

嫁にほしいなどと言っていたから。
先に手でも出していたとかいう話ならば容赦しない。
氏康が尋ねると、は真面目な顔で居住まいを正した。

は、風魔様の所へ嫁に参りたいと思います」

ははっきりとそう言った。

「風魔の嫁に?
 言わされてるんなら早く言えよ?」

氏康の反応に、が苦笑した。

「自分の意思で風魔様の嫁になりたいと思っています」

「口を開きゃ混沌だのなんだのとか言う奴だぞ?」

「今後の北条のためになると考えています。
 風魔様は北条家ではなくお父様と契約されているのでしょう?」

そんなことを考えていたのか。
いや、同じ方向性では考えていたのだが、
その相手から氏康が除外した人物である。
除外どころか、最初から数に入れていなかった。

「だからってあんな野郎の嫁になる事ぁねぇ。
 お前が熱心に槍の稽古してるってことも皆知ってる。
 北条のためなら、そっちじゃ駄目なのか」

「風魔様が居なければ死ぬような腕前の人間です」

は悲しそうな顔でそう言った。
そんな顔をさせたくて言うのではない。
氏康はとにかく思いとどまらせるために脳みそを全力で稼動した。