風の嫁取


むせる氏康というのが面白くて暫く見ていたが、
このまま流されても困る。

「我は傷など気にしない」

「いや、おい、お前、本気かよ?」

少し涙を目に浮かべながら、氏康は机の上に置いてあった茶をあおった。
それで一息ついたのか、座りなおした。

「冗談なら今すぐ撤回しとけ」

「冗談を言ったつもりは無い」

苛々しているのか、煙管を手でくるくる回している。

「なんでなんだ」

「うぬは自分の娘が可愛いと思わないのか」

「可愛いに決まってんだろうが!」

氏康の反応につい笑ってしまう。
笑ってしまっていたらしく、
氏康は風魔を見て顔をしかめた。

「そもそも、手前ぇにそんな相手が必要なのか?」

「必要でなかったら何のために言うのだ」

「そりゃそうだが、
 手前ぇなら『生贄に』とか言ってくれた方が納得だ」

氏康の頭の中を表現するかのように、
煙管が回ったりとまったりと忙しい。

「安心しろ。
 うぬが我にを渡したくないと言ったからといって、
 を返さない訳ではない」

「当たり前だ!!」

氏康が怒鳴る。
激しすぎた自覚があるのか、
一度深呼吸して気を落ち着けた。

がそれを望むなら話は別だが、望む訳ねぇだろ」

随分な言いようである。

「望むなら、だな?」

風魔が繰り返すと、氏康は不機嫌そうに「おう」と言った。






は布団の上でぼんやりと天井を見上げていた。
闇が凝っているが、
しばらくそうしていたのでうっすらと梁も見える。

闇を見ていると、そこから風魔が現れるのではないかと思う。

数日前の風魔を思い出して顔が熱くなった。
何度思い出しても恥ずかしい。
どれだけの間唇を重ねていたのか分からない。
風魔が止めてくれて本当に良かった。

意外すぎてよく分からない。
風魔が自分をそういう相手に思うとは思っていなかったし、
それもあってそういう相手として風魔を認識していなかった。
しかし。

(嫁に貰ってくれるのか)

腕も胴も、どちらも目立つ痕になりそうな大きな傷である。
の腕では武人として大成することは無いだろうし、
そんな実力も省みずに戦場に出て大怪我を負うような女を誰が娶るのか。
そんな向こう見ずな人質を氏康が出すとも思えない。
つまり、が考えていた道筋はほとんど閉ざされた訳である。

(風魔ならば)

手当てをした上、経過まで見ている風魔である。
痕になることくらい承知である。
その上での発言なのだとしたら。

そんなことをぐるぐると考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
目が覚めると外から朝の気配がしている。
ゆっくりと立ち上がり、戸を開ける。
もうその程度なら体を動かすことはできるし、
その程度で老婆がを畑の肥にしないことは分かっている。

外はからりと晴れていた。
ずいぶん良い天気である。

「早いな、

その爽やかな朝日に似合わない男、風魔が立っていた。
いつ休んでいて、どうやって移動しているのだろうか。
聞いたところで教えてくれるとは思えない。

「おはようございます、風魔様」

聞かねば。
彼の真意が知りたい。

「お聞きしたいことが」

「何だ」

「私を貰い受けて、嫁にしてくれるのですか」

風魔は首を傾げた。

「氏康もそれを問うたが、
 うぬを貰い受けてそれ以外にどうするというのだ」

「私は北条氏康の娘です。
 もし風魔様がお父様との契約が終わって他所へ行ったら……」

北条氏康の娘を嫁にすることは足かせとなるだろう。
そんな計算ができない筈もないだろうに。

「うぬが我の嫁となり、願うならば氏康の死後も手を貸そう」

「私が願うなら」

つい復唱する。
風魔の口が細い月のように笑みを形作った。

「可愛いの望みなら叶えてやる」

氏康はどうやってこの男と契約したのだろうか。
は風魔をまじまじと眺めた。
突っ立っていた風魔はに近づき、手を引いた。

「我に触れられるのは嫌ではないのか?」

頬に風魔の手が触れる。
青白い顔も、不気味な瞳の色も少し恐ろしいが。

「嫌では……」

ない。
昔から見慣れているからだろうか?

「闇を忌むのと同じように人は我を忌むが、
 うぬはそうではないらしい」

「風魔様は私を助けてくださるような方ですから」

風魔は笑いながらの髪を手で弄んだ。

「我の嫁になってくれるのか」

風魔は戦力だ。
彼を引き止められるならば。

「なります」

「クク……もう少し治れば城に戻してやる。
 氏康はうぬが望むならば我に呉れると言っていたから、
 戻ったら言っておいてくれないか」

「分かりました」

「良い返事だ」

風魔と再び口付けた。
嫌ではない。
嫌悪している訳でもない。

(利用する、ということになるのだろうか)

身を差し出して風魔と契約を交わすということになるのか。
唇が離れた。
至近距離で風魔の顔を見つめる。
不思議な色の瞳を覗き込む。

「風魔様は私を好いてくれているのですか?」

「わざわざ氏康にかけあったというのに、
 うぬはそれを疑うか」

風魔が笑う。
はその笑みに初めて罪悪感を覚えた。