風の嫁取
は目覚めた。
目覚めると同時に、腹と腕がじんじんと痛んだ。
熱も持っているようだ。
天井は簡素なつくりで、城ではないことが分かる。
部屋は畳敷きで、戸が開け放たれていて風が通っている。
その部屋の真ん中に蚊帳がつられ、
一人ぽつねんと
は寝かされているのだった。
風魔と思しき男が縁側に座っている。
立っているか、しゃがんでいるか、
今までそのどちらかしか見たことが無いことに気がついた。
その向こうで犬が数匹駆け回っているが、
そのうちの一匹がこちらを見て「わん!」と吼えた。
風魔がこちらを見る。
「気がついたか」
風魔は立ち上がり、部屋の中に入ってきた。
犬は部屋に上がらないよう躾けられているのか、
遊ぶのに夢中なのかこちらには近寄ってこない。
「ここは」
「我らが使っている薬草畑の小屋だ」
小屋と言う割りには畳敷きの部屋がある立派な建物である。
風魔は蚊帳を持ち上げ、中に入ってきた。
「甲斐姫様は」
「熊は城まで無事に戻った」
風魔は
の腕を取り、サラシをはずした。
「皆は」
「小田原は篭城戦に持ち込んだ。
忍隊は武田の兵站を潰している最中だ。
我はこれから上杉まで書簡を届ける」
はほっと胸をなでおろした。
後先考えずに甲斐姫を助けたが、無事に戻れたのなら本当に良かった。
風魔が越後に行くのも、
上杉から武田の背後が突くなら今だという書簡に違いない。
戦は順調に進んでいる。
「っ!!」
風魔は傷の具合を見て、傷口をなでたのだった。
痛い。
「数日中には糸を抜けそうだ」
風魔は手を伸ばして枕元の手桶で絞った手ぬぐいで傷口を拭いた。
慣れた様子なのが奇妙に見える。
何せ、相手はあの風魔小太郎である。
傷口を拭き終えると、今度は貝がらを取った。
「それは」
「風魔の秘薬だ」
開くと、中から不気味な紫色の膏薬が見えた。
「そんな顔をするな、よく効く」
つい顔に出ていたらしい。
風魔は楽しそうにその膏薬を指ですくい、
の傷口に塗りつけた。
「痛たたたたたたた!!!」
風魔は
の必死の抵抗を無視して膏薬を塗り終え、
新しいサラシを腕に巻いた。
必死の抵抗といっても、口だけである。
無傷の手足を動かすのにも腹に力を入れているらしく、
うまく動かせない。
「元気なことだ。
次はそちらだ」
そちら。
風魔の鋭い爪が
の胴体に巻かれたサラシを裂いた。
「ちょっ!?」
肌が。
「経過は良好だな。
うぬはもしかすると熊より強いやもな」
の羞恥心などまるで意に介さないようで、
風魔は腕と同じように薬を傷口に塗りたくった。
「年頃の娘を何だと思ってるんですか」
「手当てをしたのも我だ。
今更気にしてどうなる」
「……助けてくれたんですか」
風魔が。
この、人間とは思えない男が。
「少し遅れたが」
裂けたサラシを集めて、
風魔は
を抱き起こして器用に新しいサラシに取り替えた。
作業はすぐに終わり、再び
は布団に横たえられた。
「ここの者は信頼して任せて良い。
よく食い、よく休め。
それがうぬの役目だ」
風魔が
の目を覗き込んだ。
真正面から顔を見たのはこれがはじめてかもしれない。
青白い顔の奇妙な色の虹彩がぴたりと静止してこちらを見ている。
その瞳孔がきゅう、と絞られらた。
その途端、
は急激な眠気に襲われた。
「何で……」
助けたのか。
その問いを口にする前に、
の意識は再び途切れたのだった。
「よろしいですか?」
おずおずと老婆が部屋を覗き込んだ。
風魔は顔を上げ、頷いた。
「傷口が多少熱を持っているが、意識は戻った。
峠は越えたな」
風魔は蚊帳から外へと出た。
「良うございました。
もう発たれますか」
「ああ」
老婆はそれ以上無駄口を叩かずに、
風魔が取り替えたサラシを回収して引っ込んだ。
余計なことを聞かない人間というのは無駄が無くて良い。
が目覚めていたことで、
ここに立ち寄った目的は達成された。
少し休憩する予定だったが、もうこれ以上滞在する意味も無い。
(早々に終わらせよう)
風魔は軍神上杉謙信への書状を渡すべく、
小屋を出たのだった。
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