風の嫁取


は幸村に押し込まれるのを何とか横に流して攻撃をかわし、
じりじりと後退していた。
幸村相手に残れば終わりであることははっきりしていたが、
甲斐姫の背後から迫る幸村の攻撃をはじく以外の選択はできなかった。

彼の背後の矢の雨が止まった。
三郎も離脱したのだろう。
その向こうから兵士達がじわりと進んでくる。
それを率いているのは真田信之である。

風魔も馬鹿力だと思っていたが、その比ではない。
こんな馬鹿力の男と打ち合ってはじき返す甲斐姫とは何なのか。
まともに受けると槍が折れてしまいそうだ。
何十貫もある全てが鉄製の槍ならばまだしも、
そんなものはの腕では持ち上げられもしない。

「……あ」

思わず声が漏れた。
幸村が槍を振るう。
受ける前から自分の動作が失敗したことを悟った。

思い切りまともに受けた攻撃に、は落馬した。
馬がを置いて走り出す。
できる限り素早く立ち上がり、
そこから何合か耐えてみたが限界というものがある。

「ご覚悟!」

幸村がの槍を弾き飛ばした。
回転しながら空に槍が飛んでゆく。
馬の嘶きが聞こえる。
空に、槍と共に赤い飛沫が飛んだ。






幸村は甲斐姫の代わりに残った将の槍を跳ね上げた。
呆然としている彼女の心臓を一突きに、
と思ったが、突然馬が棹立ちになった。

「ぬおおおっ!?」

片手で手綱を引き、もう片手で槍を相手にむけて出す。
とっさにかばうように出された手に、振り上げた槍がかかった。
手甲にそってぞろりと穂先が肌を裂く。
致命傷ではない。
馬の前足が下りると同時に、上から首を突き刺すように狙う。
が、倒れかけた彼女の肩から袈裟懸けに切るような形になった。

悪いことをした。
これでは暫く苦しんでから死ぬことになるだろう。
将は仰向けに倒れた。
すぐに首級に、と槍を持ち直す。

「戯れはここまでだ」

上から声が降ってきた。
見上げると、声だけではなく大男が落ちてきた。

「風魔小太郎か!」

音もなく大男が着地する。
どこから現れたのか、などという質問は無駄である。

「いざ勝負!」

槍を構えなおす。
幸村はいつでも戦い始められたが、風魔にその気は無いようだった。

「クク……うぬの相手をしている暇はない」

風魔はひょい、と将を担ぎ上げた。
弱っている人を担ぐには少し乱暴ではなかろうか?
などと幸村が戸惑っている間に風魔は姿を消した。

「幸村、無茶をするな!」

後ろから追いかけてきた信之が追いついた。

「ああ、兄上、すまない」

「くのいちが敵の忍隊と交戦していたが、
 どうも数人突破されて兵站が一部燃やされたようだ。
 一度被害状況を確認するために戻るぞ」

信之に促されて幸村も馬首を転じる。
幸村が斬った将の血のあとが残っていたが、
将の体も、それを回収した風魔も居ない。
まるで化かされているかのようだと幸村は思った。





風魔はを忍が使っている隠れ家のひとつに運んだ。
応急処置なしに城までは持たないと踏んだからである。

「う……あ……」

の顔が歪み、油汗がにじむ。
ずいぶん気前良く斬られてやったものだ。
あの甘い若武者ならば毒の類は使わないから、その点は安心である。

「少しの我慢だ」

逃げるために軽装だったのも良くなかった。
簡単なつくりの鎧を脱がせ、服を切り裂いて傷口を露にする。
よく見れば傷は長いが深くは無い。
手の方も似たような感じである。

の口に気付け薬を流し込み、
木の枝を噛ませて焼酎で傷口を洗う。
呻くが、ここならば多少うるさくしても問題ない。
止血薬を塗り、少し傷が長すぎるので針で縫う。
上からもう一度止血薬を塗る。

傷口に触れるたび、針を刺すたびが悶える。
手元が狂いそうだが、押さえつける手が足りない。
慎重に、できるだけ早く縫い合わせる。
腕も同様にする。
最後に綺麗なサラシで腕と胴をぐるぐると縛って終わりである。

処置が終わって顔を上げると、の目から涙がこぼれていた。
大抵はもっと呻くが、かなり我慢強い方らしい。

「良い子だ」

よほど力を入れてかみ締めたらしく、顎が固まっている。
風魔はの顎に手を添えて動かし、
歯型のついた枝をはずした。

「少しの辛抱だ。
 拷問を受けることを思えば楽なものだ」

の柔らかな頬をなでる。
これから高熱にうなされることになるが、
すぐに城まで運ぶのは難しい。
相手の忍にこの近辺を探られても面倒なので、
もう少し辛抱してもらって少し離れた拠点に移るべきだろう。

(傷跡が残るか)

サラシにじわりと血と体液が滲んでいる。
さすがに元通りとはいかないだろう。
手の方は動きが悪くなるかもしれない。
戦場に出れば命を失うこともあるのだから、
生き残れたのは僥倖だと思ってもらうしかない。

そして、自分にとってもこの傷は幸運だったと風魔は思ったのだった。