lost
リュウケンはまだ戻らない。
ジャギも数日前に顔を見せて以来、やはり戻らない。
その日は雲ひとつない晴天で、久しぶりの洗濯日和であった。
ここぞとばかりに洗った洗濯物を干し終わり、
一息ついているところにラオウが戻ってきた。
「お帰りなさい」
「うむ」
きょろきょろを辺りの様子を伺っている。
「リュウケン様は一月ほどの外出の途中、トキとケンシロウは道場に、
ジャギは出かけたまま戻りません」
「そうか」
ラオウとの会話が長続きした記憶が無い。
別に彼が無口である訳ではないのだが、
必要の無い会話をあまりしないというだけである。
そして、
とラオウが会話する必要自体あまり無い。
そのまま道場に向かうのかと思いきや、
ラオウは風にはためく洗濯物を眺めている。
「何かありましたか?」
「……お前は外へ出たくないのか?」
その質問がラオウの口から出たことに驚く。
最近は特に、彼の視界に
が入っていると思わなかったからだ。
「そりゃあ、ずっとここに居る訳にもいかないと思ってますけど」
「いつまでも師父の世話をしてやる必要もあるまい」
「そろそろリュウケン様に追い出されそうな感じですけどね」
この返答はラオウを失笑させた。
彼のような屈強で頑強で頑健な体と、
北斗神拳の力と技があれば治安など関係ないかもしれないが、
はか弱い乙女なのだ。
「連れ出してやろうか」
「え?」
びゅう、と強い風が吹いて洗濯物がばたばたと音をたてた。
その昔、
がまだまだ子どもで、
ラオウがまだ人ごみに紛れる程度の大きさだったころ。
その頃から治安は徐々に悪化していっていた。
出かけたいと主張する
に、
リュウケンは冷たく厳しく単独での外出禁止令を出した。
その
を連れ出してくれたのはラオウだった。
『連れ出してやろうか』
その時もそう言ってくれたことを唐突に思い出した。
思い返せばラオウも外に出るついでだったのだろうと思う。
一人だけ行動を制限されていることを不憫に思ったのかもしれない。
単に無断で抜け出された後の尻拭いをしたくなかったのかもしれない。
がトキと昔から親しくしていたからかもしれない。
真相は分からないが、ラオウは時々手を貸してくれる。
「ありがたいですけれど、
リュウケン様に育ててもらった恩も返したいですし、
伝承者が決まるくらいまでは居残ろうかな、と」
「そうか」
「ああ、でも」
それで話が終わりかけたので、
は慌てて付け足した。
「もしタイミングが合えばお願いしたいです」
トキはきっと伝承者になる。
ケンシロウはユリアと共に暮らす。
ジャギは頼まれてくれないだろう。
いかつい見た目の割りに過不足なく親切なラオウなら、
出て行く切欠としては丁度良いかもしれない。
「覚えておこう」
「お願いします。
そうだ、道場に行ってあげてください。
トキが修行の相手をしてもらいたいって、
最近こぼしてましたから」
「……それは楽しみだ」
ラオウはにやりと笑いながら道場の方に向かって歩いていった。
多少話を誇張したが、トキがラオウを待っていたのは確かである。
は洗濯籠を抱えて母屋に戻りながら、
自分が凡人でよかったと久しぶりに思った。
トキやケンシロウ達のような拳士であったなら、
ラオウは親切心の欠片も見せなかっただろう。
反対にユリアのような女性であったならば、
ラオウの彼女に対する愛し方には賛同しかねるので、
やはり今のようなやり取りをすることも無かっただろう。
そう考えると
は凡庸な女であったおかげで、
ラオウに親切にしてもらえるという身分を得た訳である。
道場を出て、どこかに定住したならば、
二度と彼の姿を見ることは無いだろうけれども。
その日の夜、食器を洗っているとトキがやって来た。
「
、ラオウに何か言ったな?」
えらく上機嫌である。
「何かって?」
「最近修行の相手をしてくれなかったんだが、
今日は気が変わったようだったから」
「私が言って何か変わると思ってるの?」
蛇口を閉め、タオルで手を拭きながら振り返る。
「昔からラオウは
には甘いからな」
「そうなの?」
「ラオウと私には妹が居るらしいんだが、
その妹の代わりなのかもしれないな」
「居るらしいって?」
薬缶に水を入れ、火にかける。
「私は覚えていないからな」
少し残念そうに。
「別にトキも私のことを妹と思ってくれて良いのよ?」
茶葉を急須に入れる。
茶器を温めたりした方が良いのは分かっているが、
手っ取り早さを優先した結果である。
それほど高級な茶葉でもない。
「妹が居た記憶がほとんど無いんだ。
は
だ」
トキが食器棚から湯のみを出してくれた。
「それはどうも」
自分で言っておきながら、
妹と言われたかったのか言われたくなかったのかはっきりしない。
ただ、なんとなくほっとしている。
「ラオウは暫くここに居るの?」
「そのようだ」
「嬉しそうね」
「嬉しいとも」
トキが笑みをこぼす。
そう喜ぶ程度にラオウはトキの相手をしなくなっている。
時間とともに歯車が狂い、人間関係に軋みが生じている気がする。
これ以上悪化しないでほしいと、
は心の底から思った。
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