coward
鼻をすすらない限り、
息を乱さない限り、
シュウは
が泣いていることに気が付くことは無いはずである。
彼の顔は
の方を向いていても、
彼の目が
の顔を見ることは無い。
は声を出すまいと、唇を噛みながら泣いた。
シュウの言葉は、彼の性格からも信ずるに足ると知っている。
しかし、サウザーはどうか。
彼のことは殆ど何も知らない。
困っている
に手を伸べてくれるまで会話したこともなかった。
シュウは短期間に両親の所在を突き止めてくれた。
サウザーが言っていたように実際に調べてくれていたら、
もっと早くても良いはずだ。
そう考えると、
全ての言動が
を懐柔するための言葉であったのだと分かる。
虚言を弄して、
を引き止めて、利用するために。
それを見抜けなかった自分も阿呆である。
「……ありがとう、シュウ様。
おかげで、目が覚めました」
声がゆれそうになるのを、何とか気力で持ちこたえさせる。
とにかく、一人になりたかった。
泣くことも、何もかも、誰にも見られたくなかった。
「泣いているのだな」
「泣いてませんよ?」
「いいや、震えている」
シュウのもう一方の手が
の手に重ねられた。
温かい。
その温かさが、
の理性を溶かしていく。
心の中に押し込めていた言葉がもれ出てしまう。
「……だって、これまで、そんな」
「泣いても良いのだ。
もっと早く気づいてやれればよかった。
一人で耐えるのは、辛かったろう」
辛かった。
軽蔑されたくなくて言えなかった。
は堰を切ったように声を上げて泣いた。
シュウは
を抱きしめながら、彼女が落ち着くのを待った。
涙と鼻水で汚れてしまうと
は最初はためらっていたが、
そんなことは本当にどうでも良かった。
「私が鈍間だから、
に辛い思いをさせたな。
もっと早く気づいていれば……」
シュウは苦い思いを噛み締めながら、言った。
本当に臆病すぎて困る。
不都合な現実を目の前に突きつけられるまで逃げていたのだから。
「そんなことありません。
私も隠していましたから」
シュウは
の小さな頭を撫でた。
ときおりしゃくりあげているし、
まだ完全に涙が止まった訳ではないのだろう。
「……直接サウザー様に会って話をつけてきます。
もう従うことはできません、って」
まだ涙も止まらぬ状態なのに、
はそんなことを言った。
シュウは驚くと同時に、少し焦った。
「そんなことはしなくて良い。
私が行こう」
「これでも拳士の端くれですから、ちょっとでも仕返しがしたくて。
……暗殺しかできないですけど」
「南斗の人間では、誰もサウザーには勝てぬ」
シュウは
を抱く腕に力を込めた。
玉砕覚悟で挑ませるわけにはいかない。
「勝敗なんてどうでも良いんです。
気持ちの問題ですから」
はシュウから体を離して、断言した。
声音からは清々しさすら感じる。
きっと微笑んでいるに違いない。
彼女はよっぽど、シュウより強い。
その彼女を守るだなどとはおこがましいかもしれないが、
ともかく何とか力になりたかった。
彼女を守るには、ただ彼女を引き止めるだけでは足りない。
サウザーに楯突かなければならない。
もう遅すぎるかもしれないが、決めた。
無駄とか、無理とか、そういうことではない。
そうしたいから、それが正しいと思うからそうするのだ。
自分自身という敵を乗り越えるきっかけをくれた、
この愛しい人をみすみす傷つけさせたりはしない。
「……命を無駄にするものではない。
サウザーには私が話をしてこよう。
が二度とサウザーに会わずとも良いように」
「ご迷惑をおかけする訳には」
が困ったような声で言う。
「やっと覚悟が決まった。
サウザーのやり方にはこれ以上賛同できん。
は、私に力をくれる大切な人だ。
これ以上傷つけさせはしない」
言い切って、少しどころでなく恥ずかしくなった。
妙な間が痛い。
「……誤解してしまいますよ?」
が更に体を離そうとするのを、腕に力を入れて阻止する。
「この状況で言うのも何なのだが……
もし良ければ、もう一度抱きしめたい」
「……どうぞ」
シュウは
を抱き寄せた。
いくら拳を習った者とはいえ、自分よりも随分小さな体である。
その小さな
が、シュウに生きる力をくれる。
心底愛しかった。
「もし良ければ、キスがしたい」
その伺いに返事は無かった。
その代わりに、シュウの唇に柔らかな唇が押し当てられた。
シュウはソファで横になっている
に毛布をかけてやり、部屋を出た。
とっくに限界を超えていたらしく、
今は緊張の糸が切れたのか死んだように眠っている。
早く彼女を解放してやりたい。
そのためには、自分の役目を果たさねばならない。
サウザーの近侍に取り次ぎを頼むと、
すぐに部屋に通された。
「何の用だ」
声の端々から、いつもどおりの不遜な態度が滲んでいる。
「
のことなのだが」
「お前のせいで仕込みが無駄になった。
もう少しで俺のものになるはずだったのに」
そう口では言っているが詰る気配はなく、
どこか面白がっているようでもある。
「……下衆だな」
「それを横から奪った奴に下衆と呼ばれる筋合はない」
嗤うサウザーにシュウは険しい顔を向けた。
が、何の効果も無かったらしい。
「もう抱いたか?
隠してはおったが
は腰も細いし……」
「いい加減にしろ、サウザー!」
自分で思っていたよりも随分厳しい声が出た。
サウザーは驚いたようで言葉を切り、そしてまた笑った。
「そうだな、もう貴様の女なのだから止しておいてやろう」
「私が言いたいのは二点だけだ。
を暗殺者として使うのは止めてもらおう」
「かまわん。
そろそろ潮時だったからな」
「それから、俺はここを出る。
お前を何としてでも止めてみせよう」
それまで笑っていたサウザーから、急に嘲る気配が消えた。
「……ほう?
俺に敵うと思っているのか?」
「敵う、敵わないの問題ではない。
それが正しい道だと思うから、そうするのだ」
それが六聖拳の一人としての役目である。
南斗の未来を思えばこそ。
そして、
のことを思えばこそ。
「好きにしろ。
餞別に
もくれてやる」
サウザーに不遜な態度と嘲笑が戻ってくる。
「もとよりそのつもりだ」
それ以上話すことは無かった。
自分の部屋に戻ってくると
はまだソファで眠っていた。
啖呵を切った以上、シュウにはやらねばならないことが増えた。
しかし自分以外の誰かが傷つけられることを思えば、
特に彼女が傷つくことを思えば、
格段に楽なことだと感じた。
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