将星と疑惑と 前編


ふと時計を見ると、時刻は午後三時を少し回ったところだった。

「どうぞ」

が煎れたてのコーヒーを机に置いてくれた。
そういえばどれが良いか指示を出すのを忘れていたが、
彼女が入れてくれたものに基本的には文句は無い。
一休みするのに丁度良い頃合かとも思ったので、
「すまんな」と言いながら口をつけた。

は弾んだ声で「いいえ」と言って、
来客用のテーブルに午前中に貰ったケーキを出してきた。
「きっとお好きなはずですよ」とララが言っていたが、
その通りなのだろう。
は嬉しそうにケーキにフォークを入れている。

が傍に居る。
幸せだ。

これほど居心地の良い時間を過ごすことが出来ることは喜ばしいが、
一度手に入れると逃したくないと思うのが人の性だろう。
絶対に失うものか、とを見るたびそう思う。

現実的な可能性として、
を失う危険が高いのは人為的な問題である。
以前のようにサウザーを憎む誰かに狙われるということである。
ただでさえ目障りな存在が、を害するかもしれない。
そんな不愉快なことがあってはたまらない。

「う、何?」

ぺろりとケーキを平らげたが、
サウザーの視線に気づいて怪訝な顔をした。

「いいや」

本当に用事は無い。
眺めていただけである。
は十分に強いが、やはり警戒心に欠ける。
その上実戦経験には乏しいし、
試合では負けるはずの無い相手にも実践では何があるか分からないし、
多勢に無勢ということもあるだろう。

やはり、に何かがあってからでは遅すぎる。
何か手を打たねばならないだろう。






どこと無く元気の無いの様子を見かねて、
アイリは子ども達が帰った後にに声をかけた。
シバも何か思うところがあるのか、不安そうな顔をして残っている。

「何かあったんですか?」

アイリが問うと、は「何も……」とモゴモゴと言った。
言いにくいことなのだろうか。
しかし、何か言いたいことはありそうな雰囲気である。
暫く様子を見ていると、
はため息を一つついて意を決したように口を開いた。

「実はね、サウザーが何か隠し事をしてるみたいなの」

「サウザーさんが?」

そこまでが心配するようなことではないだろうと思ったが、
が真剣な面持ちで言うのでアイリは言葉を飲み込んだ。

「私が居ないところで皆で話してるみたいだし、
 何かあったのかなって」

「お仕事のことじゃないんですか?」

「そう思ったんだけど……
 今は忙しくないからってシュウやレイも来てくれたところだし」

そういえば昨日はシュウが、一昨日はレイが来ていた。

「そろそろ追い出されるのかなあ」

それは無い、とアイリは思ったが、
が真剣に悩んでいるようだったので言葉を飲み込んだ。
彼女を追い出すくらいならシバの相手なんか全くしなかっただろう。
などという理屈は当事者には伝わらないのかもしれない。

「何か、サプライズを用意してくれているのかもしれませんよ?」

「だと良いんだけど……」

「様子を見てみても良いんじゃないですか?
 兄にもちょっと聞いてみます」

「ありがとう、お願い。
 ……シバは気を使わなくて良いからね?」

不安そうに様子を見ているシバの頭を、
はぐしゃぐしゃと撫でた。
そうやって不安を誤魔化しているのかもしれなかった。





レイはアイリからサウザーの状況を尋ねられた。
から何か聞かれたのだろう。
彼女は何を不安に思っているのだろうかと少し理解に苦しむ。

「最近は……何故だろうな、忙しそうにしているが」

事実、サウザーは忙しそうにしているのだった。
出席する必要のない会議は代理に任せているし、
調査なんかを得意とする人間が出入りしているのは先日見かけた。
これと言った懸案事項は最近無いので、
おそらく個人的な理由で忙しいものと思われる。
大丈夫だよ、と言って終わりにすることも出来るが、
可愛い妹とその恩人からの質問である。

「俺も少し調べてみよう。
 待ってくれるかな?」

レイが微笑んでやると、アイリは可憐な顔をようやく笑みで彩った。

翌日、レイはサウザーが何を調べているのかを調べさせた。
彼が隠す素振りもなく動いていたから可能だっただけで、
本気を出されればすぐに結果は得られなかっただろう。

「無法者の情報の収集がメインでしたが、
 どうやら対立姿勢が明確な団体の人間も調べているみたいです。
 戦争でもはじめるつもりなんですかね?」

どういった相手を調べているのか聞いて、
レイは合点がいった。

「いや、そういう心配は無い」

そう答えてやった。
サウザーは敵対する者皆格下と考える鳳凰拳の伝承者様である。
そんな雑魚のことまで一々気にしては居ないだろう。
わざわざ調べる理由は一つくらいしか思い当たらない。

(全く心配する必要が無いじゃないか)

レイは苦笑しながら、報酬を渡して労った。
もうすぐ何かしら動きがあるらしいということだったので、
日が分かったら再度報告するよう命じて下がらせた。
アイリには「心配いらないよ」と伝えておいた。






シュウはサウザーからの依頼を反芻しながら、首をひねった。
ここ数日、エアポケットのように暇だったので稽古が出来ている。
教えを請う者には指導し、
拳の伝承者としては至極真っ当な生活を送れている。

シバと遊ぶ時間もできた。
勉強を見てやったりもした。
忙しければなくなりがちな時間なので、
父親としても真っ当な生活を送っていると言えるだろう。
とても幸せなことである。

そんな風だったので、サウザーからの依頼は断る理由が無い。
十分働くことができるだろう。
シバの勉強にもなるだろうかと思いながら帰宅すると、
そのシバが不安そうに玄関に立っていた。

「ただいま。
 どうしたんだ?」

さんが……」

いいにくそうに口ごもる。
珍しいことだ。
シュウは微笑みをたたえながら、シバが話しはじめるのを待った。

「サウザー様とケンカしてるみたい」

それはない、あったとしても問題ないとシュウは思ったが、
真剣に話すシバの声を聞いてなんとか言葉を飲み込んだ。