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は、フドウが入り口の拡張工事を始めたのを眺めていた。
先ほどのフドウに復讐したい男は、
どこかへ投げられたらしい。

フドウが助けに来てくれた。

嬉しかった。
何から話して良いのかわからなかった。

シバが良い弟子であること?
サウザーは意外と優しいということ?
いやいや、最初はやっぱり「ありがとう」だろう。

拡張工事を手荒に終えたフドウは、
階段を転がるように下りてからを縛る縄と、
足かせの鎖を引きちぎってくれた。

「……無事でよかった!」

フドウの丸いおなかに、
「ありがとう」を言いながら顔をうずめる。
フドウは優しくを抱きしめてくれたので、
涙が出てきた。

「怖かった」

「うん、うん。
 早く逃げような」

頭をなでられて、
そうだ、逃げなければという気持ちになった。
手の甲で涙をぬぐって、
フドウに続いて天井の上に出る。

そこでやっとが居たのは地下室で、
この建物はほとんど制圧済みであることが分かった。
そこかしこから血の臭いがした。

「ぐぎゃあぁああっ!」

近くで悲鳴が聞こえて、
扉をぶち破って死体が廊下を横断した。
その後から現れたのはサウザーで、
フドウとを見ると鬼のような顔になった。

「おお、一階まで降りていたか。
 はこのとおり、無事保護したよ」

フドウが肩を抱いてくれる。
身寄りをなくしたを、
それも己の手で父を殺したを、
よくこうして育ててくれたものだ。
その優しさにまた、涙が出そうになった。

サウザーは鬼のような形相のまま近づいてきて、
の前に立った。
そして、左手を振り上げた。

は殴られる、と思った。

リーナの証言が正しければの悪夢を止め、
その後保護してくれた人物である。
部屋も、食事も、服も用意してくれた。
屋敷の敷地内に居ることは、
彼が不在の間の安全を確保できる最低限の条件だったのではないか。

やっと理解した。
殴られても仕方が無い。
最善を尽くしてくれていたのに。
最初の頃とのギャップの謎は、まったく解明されていないが。
そう思って目を瞑って、歯を食いしばった。

腕が空を裂く音はせず、
代わりにごくゆるいビンタがの右頬を打った。

「阿呆」

目を開くと、サウザーは困ったような、
安堵したような笑みを浮かべていた。
鬼のような表情はどこへ、と思っていると、
一瞬でいつもの不機嫌そうな顔に戻った。

「監督不行き届きで迷惑をかけた」

もうの方は見ておらず、
フドウの顔を見上げている。

「いやいや、こうして助けられたことですし。
 それに、この程度で済んだのは行幸でしょう」

フドウもサウザーの攻撃を警戒して拳を握ったようだったが、
所在無げに頭をかいた。

はそこで初めて、
阿呆といわれて、目を逸らされて、
ショックを受けている自分を自覚した。

呆れられたことは、間違いない。
まだ、挽回のチャンスはあるだろうか。

そんなことを考えている。
嫌われたくなかった。






サウザーはが微妙な顔をしていることを知っていたが、
できるだけ見ないようにしていた。

どうせ、このままはフドウと共に行くのだ。
サウザーを一人置いて。

誘拐事件のせいで、
を独り占めする時間がなくなってしまった。
その鬱憤をすべてぶちまけてやったので、
多少清々したが、やはり腹立たしい。

「後処理はこちらに任せろ。
 では、俺は失礼する」

また、元に戻るだけ。
はサウザーではなく、
もっと普通の誰かと幸せな人生を送るだろう。
こんな、血腥い場所とは無縁なところで。
子どもの世話をしているは、とても楽しそうだった。
それが似合っている。

そう思いながら、ビルを出た。
外にいた部下に片付けを命じる。
乗ってきたバイクは、
到着時に乗り捨てて壁に激突し、大破してしまったので、
兵士が乗ってきたバイクを一台奪い取る。

エンジンを掛けようとしたとき、
サウザーの腕を誰かが掴んだ。
誰が触れるのを許可したか、
場合によっては殺してやる、と思いながら振り返ると、
それはだった。

「……何だ。
 フドウと帰らんのか」

「サウザーのお屋敷へ帰ります」

「あの下女が心配か。
 明日にでも送るよう手配する」

「違う」とは首を横に振った。

「父さんにも聞いたけど、
 助けに来てくれたのはサウザー、あなたでしょう?」

の言葉に、
サウザーは狼狽しつつ「違う」と答えた。

「さすがに、この輪切りの死体とひき肉みたいな死体と、
 どっちがどっちを殺したかくらい分かります。
 馬鹿じゃないんだから」

ビルの外に飛び散っているのは、輪切りの物。
ひき肉状の物は、カイトのもの一つである。
サウザーは自分でも、苦しい嘘だと思った。

「最初の印象は最悪だったけど。
 でも、夜盗のときだって助けに来てくれたし、
 その後も世話してくれたし、
 村を出てきて、
 一番困ってるときに助けてくれたのはサウザーだった」

ユダの「王子様」発言を思い出した。
使えるが、不愉快な男だ。

「俺は将星、帝王の星の下に生まれた男だ。
 そんな優男のようなことはせん」

「さっきだって思い切り殴られると思ったんだから。
 でも、殴られて当然だと思った。
 それなのに置いていくって言うから」

サウザーは返す言葉を考えて、
どうにかひねり出そうとして、
何も出てこなかった。

が愛しい。
でも、は父と自分を混同しているだけではないのか。
一人の男としてではなく。

「俺はお前の父ではない」

「そんなことは知ってるけど、
 そういう理由じゃなくて……」

今度はが頭を抱えた。
身を引いてやると決めたのだ。
なぜ、そんな決心を打ち砕きに来る。
サウザーは眉間に皺が寄るのを自覚したが、
別に隠そうとは思わなかった。
は望みどおりフドウの村に戻れる。
何が悪いのか。

は意を決したように顔を上げた。

「好きだからついてく、
 って言ってるんだ馬鹿野郎!」

サウザーは、額にの手刀が振り下ろされるのを見ていた。
避けようと思えば、避けられた。
それでも、なんとなく、
自分が本当に馬鹿野郎だと思ったからそのままでいた。

じわり、と額に軽い痛みが走る。

「俺は馬鹿だな」

「そのとおりだね」

サウザーは笑ってを抱き寄せた。
そして、口付けた。
の細い指が首筋をなでて、くすぐったい。

その口付けは、
今までのどれよりも甘く、そして温かかった。






シュウはその日、
朝一でサウザーが夜盗の残党を殲滅したという報告を聞いた。
それは街に暮らす人間全てにとって良いことに違いなかった。
彼が何を思ったのか、さっぱり分からないが。

どすどす、と相当な重量の人間が歩く音が聞こえた。
どうやらフドウが来たらしい。
それも少し怒っている。

最近似たようなことがあったな、
と思いながら部下を次の間へ下がらせた。
待ってると、扉が壊れんばかりに勢い良く開いた。

「シュウ、確認したいことがある!」

やっぱりフドウだった。
やり場の無い怒りが矛先を失っているようだった。

「どうした」

が!」

そこで口ごもり、
少し間が空いて「サウザーの所へ行った」と力なくつぶやいた。

「さて……」

そうか。
はサウザーを選んだのか、
と心の中で繰り返して納得した。

「あなたなら知ってるだろう。
 サウザーの雑用をしている時間のほか、
 はどう過ごしていたのか」

はて、とシュウは首をかしげた。

「午前中は朝からシバに拳を教えてくれていた。
 途中から教え子が増えてな、
 私やレイが時々様子を見に行っていた。
 午後は日暮れまでサウザーの所へ居たはずだ。
 子どもとサウザーのお守りで疲れてしまうらしく、
 すぐに屋敷に帰っていたように思うが」

フドウの怒りが、消えた。
そして、落胆に変わった。

「では、シバや子どもたちとサウザーとしか会わぬ毎日を過ごしていた。
 そういうことで良いのですかな?」

「そんな日も多かったかもしれないな」

そういえば、当初の目的では、
に年相応の青春を味わってもらいたいという事だった。
街に出て、同じ年頃の人間と交流し、恋をして。
幸せな家庭をつくってほしいという、フドウとシュウの親心から。

「相手がサウザーだったのは意外だが、
 も得がたい伴侶を得たようだ」

「あんな息子はいらん!」

フドウは吼えた。
確かに、将星は帝王の星で、その星の下に生まれたサウザーは、
何者の下につくのも快く思わない男である。
今も、皇帝を皇帝とも思っていない節が多々ある。

嘆くフドウをみて、シュウは気がついた。

「娘を持つどんな父親も、同じことを言うのだ」

「他の誰かだったとしたら、
 私だってこんなことを言うつもりは無かった!」

フドウは不満なようだったが、
シュウは結構満足していた。

サウザーは最初からを恋い慕っていた。

シュウにはサウザーの心も、うっすらと見えていた。
だからこそ、
が別の方向を向いていれば時間とともに興味も薄れただろうし、
ちょっとクセのある強力なお守りくらいに思っていた。

最初こそ所有欲が強かったが、
次第に慈しむ心が芽生えたように思う。
それはサウザーの将としての器を大きくしたように感じる。
だからこそも彼を選んだのではないかと思う。

「シュウ、まさか最初から……」

フドウの疑いがシュウに向いた。

「サウザーがの心を動かすとは思っていなかった。
 だから互いに他の誰かに意識が向くと思ったのだが……
 うまくいかんものだな」

シュウが笑うと、
フドウは再び怒りのやり場を失ってうめいた。