spectrum
は薄暗い部屋で目が覚めた。
窓の無い、裸電球がひとつだけついている部屋である。
がらんどうの部屋の中には
が座っている椅子と、
天井へと続く階段があるばかりである。
他に人はなく、頭上を誰かの足音が行き来するくらいである。
上体を椅子に縛り付けられているので、身動きが取れない。
足かせもあるらしく、脚も自由ではない。
確か、通りでフドウとサウザーが通るのを待っていた。
外に出られる程度に回復しているのだと証明したかったし、
フドウに会いたかった。
だが、そこで記憶が途切れて今である。
後頭部が少し痛むので、
どうも背後から襲撃されたらしかった。
前にばかり気を取られ、油断していたとしか言いようが無い。
しばらくすると、天井の一部が開いて一人の男が降りてきた。
その服装は先日
が殺した夜盗たちのものとそっくりで、
どうやらその一味なのだろうということは分かった。
しかし、彼に片腕は無く、
巻かれた包帯に血が滲んでいる。
「お目覚めかぁ?」
甲高い、耳障りな声だった。
男は
の目の前に立ち、
しげしげと様子を伺っている。
「俺らの仲間をあれだけ殺しておいて、
一言も無しかぁっ!!!」
がん、と男が椅子の脚を蹴った。
しかし、到底威力が出そうにない蹴りであり、
僅かに椅子が動いただけだった。
「手前ぇも、手前ぇの親も、
糞野郎だな、え?」
片方だけ残された右手に抜き身のナイフを持ち、
男はぐるぐると
の周りを歩く。
檻に入れられたサルを彷彿とさせる動きだった。
「親?」
「フドウだよ!」
間髪入れずに答えが返ってくる。
「フドウのとこで育てられた奴じゃねえのか?
サウザーの屋敷から来たろ?」
は答えなかった。
フドウの名前を出すなんて論外だった。
どうやら
を救ってくれたらしいサウザーの名も、
同じように出したくなかった。
だから、黙っていた。
「まあ、どうでも良いか」
男のナイフが
の腕をすべり、
ぴりりとした痛みとともに皮膚が裂けて血が流れた。
「お前よぉ、フドウが昔何してたか知ってるか?」
の記憶では、フドウはいつもやさしい父である。
それ以外の記憶が無ければ、の話だが。
が無言で居ることはおかまいなしに、
男はぺらぺらとしゃべりだした。
「奴は盗賊だった。
“鬼のフドウ”なんていわれて、恐れられてたんだぜ?
普通の奴にも容赦なくてよぉ、俺の兄貴はあいつに殺されたんだ。
南斗の奴らも似たようなもんだ。
どいつもこいつも人を虫けらみたいに!」
男は再び、
の椅子を蹴る。
「俺達は、そんな奴らの集まりだったんだ!!
それを!
昨日のうちに半分以上死んじまった!」
絶叫が部屋の中でこだまする。
耳が痛い。
どんどんどん!
入り口が激しく叩かれた。
が、男は気にする様子は無い。
「そんな“鬼のフドウ”に育てられた子がお前だ。
そんでもって、
人をムシケラとしか思ってねぇ南斗の将星サウザーが気に入った女だ。
お前一人痛めつけるだけで、
あいつらに復讐できるって訳だよ!」
たとえ、もしフドウが昔“鬼のフドウ”だったとしても、
今は違う。
もしその話を聞いたら、彼に同情することだろう。
もしかしたら謝罪するかもしれない。
サウザーは……返り討ちにするだろうか。
「お前も謝れ!
裏切りやがって、
俺の腕を切り落としやがったユダに代わって!」
男が
の椅子を三度蹴った。
今度は蹴る位置が高かったせいか、横に倒れた。
鎖が腕に食い込んで痛い。
しかし、これは自分が騙されたせいである。
しかたがない。
でも、死にたくない。
まだフドウにも、シュウにも会ってない。
今まで守ってくれてありがとう、と言えていない。
助けて。
最初に思い浮かんだのは、サウザーの顔だった。
だが、彼がこんなことのために来てくれるだろうか。
シュウ、フドウ、レイ。
誰か。
サウザーは怒りで頭痛を忘れていた。
の目撃情報は多数集まったものの、
バイクで走り去ったところで途絶えている。
そこから遅々として捜査は進まず、
行き詰まっていた。
シュウやレイに助力を請うことを考えたが、
それは矜持が許さなかった。
もし誘拐だったとすれば、
時間が経つほど人質の命が助かる可能性は低くなる。
金銭の要求も無い。
何か理由があって連れ出したに違いない。
「くそっ!」
置いてあったグラスを壁に投げつけた。
カッティングの美しい一点もののグラスであったが、
そんなことはどうでも良かった。
が居ない。
侍従が静かに現れて、グラスの破片を掃除していく。
そこで、少しだけ物に当たった自分を恥じた。
その行動で、なんら進展が得られるものではなかったのに。
そこへ別の侍従が現れた。
少し困惑した顔をして、
「よろしいですか」と遠慮がちに声をかけてくる。
「なんだ」
「ユダ様が面会を求めておられます。
お通ししますか?」
「ユダが?」
サウザーは「追い返せ」という言葉をややあって、飲み込んだ。
彼は盗賊の包囲網を使って被害を作為的に一極集中させために、
他の六星から逃げていたのではなかったか。
その彼が現れたというのだから、
何か顔を出すことができるだけのものを持っているのかもしれない。
「通せ」
そう命じると、
すぐにユダが部屋に入ってきた。
その顔はいつもの人を小馬鹿にしたようなものではなく、
苦虫を噛み潰したような表情であった。
「どうした」
「美意識に適わない行動だが、
今回は借りを返すために仕方なく来たのだ。
お前が今探している、
の居場所が分かった」
前半はどうでも良かったが、
後半はサウザーがまさしく求めている情報だった。
「街の地図はあるか」
「ここにある」
サウザーが机の上の地図を指ではじくと、
ユダは近づいてきてある一点を指した。
「ここに廃墟がある。
鉄筋コンクリートの一軒屋で、
今は昨日の夜盗の残党がたむろしている。
そこの地下室に
は居る。
お前が助けに行きたいのだろう、王子様?」
「……王子様?」
「惚れた女の危機にはいつも現れ、助ける。
それが物語りの定石だろう?」
ユダがにやにやと笑った。
「この情報が正しくなかったら、
貴様の命は無いと思え」
「怖い、怖い。
安心しろ、シュウやレイには伝えてはいない。
確かな情報だ、これで借りは返した」
ユダは無表情に戻って、部屋を出て行った。
を張っていたということが気に食わなかったが、
それが今、良い効果をもたらしたようだ。
サウザーはすぐにバイクを用意させて、
その間にフドウに伝令を出した。
が誘拐され、件のビルに囚われているから来い、と。
それが、一番
が喜ぶ人選だと思ったから。
用意されたバイクで、サウザーは屋敷を出た。
伝令はすぐに届くだろうが、
サウザーは待っていることができなかった。
フドウはサウザーからの伝令で、
彼の屋敷にいた
が何者かに連れ去られたことを知った。
そして、その居場所も。
「……サウザーは動かんのか」
「いえ、サウザー様は既に向かわれております」
それでも急ぎフドウに来いとはどういうことなのだろうか?
彼の力を持ってすれば、
フドウの助けなど必要なかっただろうに。
「ともかく、急いでいかねばな」
フドウは部下に運転をさせて、
目的のビルに急いだ。
サウザーは丁寧に、地図までつけてくれていた。
車を走らせること半時間。
途中で管理人をしていたカイトを見つけて声をかけた。
彼はフドウの出現に大層驚いていた。
それがあまりに不自然だったので、
フドウは車に無理やりのせて連れて行くことにした。
更にしばらく走り、目的のビルの前に到着すると、
血腥い光景が広がっていた。
その真ん中に立っているサウザーは、
近くに転がっていた首につばをはきかけたところだった。
「下郎の分際で手間取らせおって……」
「サウザー!」
声を掛けると、
サウザーは苦しそうな顔をフドウに向けた。
「
は中の地下室に居る。
俺は屋上から敵を殲滅してゆこう。
貴様は入り口から行け」
「…?
わかった」
「それから、その男は
を連れ出した男だ」
サウザーは忌々しげにフドウの隣に立つカイトを睨んだ。
カイトは「違う!」と叫んだが、
明らかに動揺していた。
「
を連れ出せと命令されたんだ!」
「この屑共は、貴様が
を連れてきたと証言していた」
サウザーが拳を握り締めて近づいてくる。
相当頭にきているようだ。
しかし、それはフドウも同じだった。
ぐしゃり
力任せに拳を振り下ろすと、
文字通りカイトは文字通り肉塊となった。
「鬼のフドウは健在だな」
「いやはや、力だけが取柄でしてな」
そう答えながら、
サウザーが他人を褒めたこと、
そしてその言葉がどこか詰るような響きを持っていることに気がついた。
「外の敵は片付けたし、包囲もしてある。
さっさと行け」
「…承知した」
フドウはサウザーの言葉に違和感を感じつつ承諾した。
サウザーはその答えを聞くが早いか、
隣接するビルの壁を蹴って屋上まで跳んだ。
彼にどういう理由があるのか知らないが、
フドウは慌ててビルに入る。
サウザーは“敵を殲滅”と言ったが、
敵は既に全滅に近いようだった。
隠れているらしき気配はいくつか見つけたが、
そんなことにはかまわず地下室の入り口を探す。
一階の部屋をすべて回ったが、
それらしい入り口は見つけられなかった。
上の階から悲鳴が聞こえてきたから、
サウザーは徹底的に皆殺しにするつもりらしい。
どうしたものか、と一番奥の部屋から戻る途中、
こそこそと廊下を歩く人影を見つけた。
気配を消して様子を伺うと、
廊下の床材の一部をパズルのように動かして、
そっと持ち上げるのが見えた。
(隠し部屋であったか…)
床の一部を持ち上げた男は、
小さい声で階下に向かって声をかける。
「おい、やべえぞ、俺は逃げる!」
「うるせえ!!
この女を殺してからだ!!」
どうやら、まだ
は生きているようだった。
フドウは安心して、うっかりため息をつくところだった。
「知らねえからな!」
まだ床下に向かって話しかけている。
フドウはそっと近寄り、その首をへし折った。
「ぐげぇっ!?」
かえるのような声が出た。
「!?
おい、どうした?」
異変に気づいたのか、
やっと地下から男が姿を現した。
その男の首を掴んで、持ち上げる。
先日の戦闘で失ったのか、
片方の腕は無く、傷口はまだ乾いていないようだった。
「うちの子を、返してもらおうか」
「げ、ふ、フドウ!?」
片腕の男はじたばたともがいたが、
フドウはその首もへし折って投げ捨てた。
投げた先から悲鳴が上がったが、
無視することにする。
床にあいた穴から首をつっこんで中をのぞくと、
が椅子に縛られて倒れているのが見えた。
「
、ちょっと待ってなさい」
「父さん!」
思ったよりも明るい声が返ってきた。
サウザーから
の記憶が戻ったことも聞いていたが、
心配の一番大きな部分が、
その声を聞いて解決した。
父を殺した直後の、あの虚無へと向かった彼女とは違う。
フドウは拳を振り下ろして、
入り口を広げる作業に取り掛かった。
普通の人間が一人、窮屈な思いをして通る入り口は、
フドウにとっては狭すぎる代物だった。
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