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悩んでいる様子のフドウに、
これからシバの様子を見に行くが一緒にどうか、
とシュウは誘ってみた。
が、力なく断られた。

彼にはまた別の用があり、
今回この街に立ち寄ったのは予定外の行動ではあったのだ。
急ぎ自分の村へ戻らねばならないらしい。

フドウを見送ってから、
シュウはのんびり歩いて、
いつもとシバが鍛錬している広場に向かった。
子ども達の明るい声と、
の優しい声。
いつもどおりの光景だった。

いつもどおりでなかったのは、
木陰に座るアイリの隣に珍しい気配があることだった。
シュウは近づいて、声をかける。

「悩みでもあるのか、サウザー?」

隣に座ると、
以前ならば突き刺すような気配を撒き散らしていたサウザーが、
今はもやもやと、ただの悩みのようなものを発している。
だから、聞いてみた。

サウザーは深いため息をついた。
呆れたわけではないようだった。

「悩み……そうだな、悩みだ、これは」

おそらく、彼の視線の先にはがいる。
思い当たる節を、口にしてみる。

「子どもに嫉妬するのは見苦しいぞ」

「そうではない。
 そうではないのだが……」

アイリを気にする気配がしたので、
シュウは彼女に子ども達に配るおやつを買ってくるよう頼んだ。
誰でも読める空気だったので、
アイリは小さく笑いながら広場を出て行った。

「昨日、を抱いた」

ぽつり、とサウザーは言った。
これからサウザーの惚気話でも聞かなければならないのか。
そんな日が来てしまったのだなあ、と少し感慨深い。
相手がなだけに、あまり詳しい話は遠慮したいものである。

「が、何だあいつは。
 誰も何も教えなかったのか!」

小さい声で怒る。
聞かれて、シュウは記憶を手繰ってみた。

小さい頃は拳法一筋だったし、
途中からは道場ではなくシュウとこんな広場で二人だった。
家では彼女の父がやはり拳の道を進むことを強要して、
誰も逆らえなかっただろうし、
多感な時期に記憶を消してしまったので、
フドウは傷ついた小鳥でも介抱するかのように可愛がってくれていた。
他の小さな子ども達と同じように。

確かに、だれかとそんな話をするような機会は無かったかもしれない。

「うむ……」

とりあえず、曖昧な返事をしてみたが、
サウザーはそんな返事は聞いていなかった。

「何故俺がこんなことで……!」

ぶつぶつ、とサウザーは聞き取りにくい声で愚痴を言い続けている。
そろそろアイリが戻るころだな、と思っていると、
アイリは別の人間をつれて戻ってきた。

「珍しい人がいる、って言ったでしょう?」

アイリが得意そうに言う。

「確かに、珍しい。
 どうしたサウザー、シュウに相談か?」

アイリが連れてきたのは、レイだった。
そして、驚いた様子で言った。

「お前に傷をつけられる人間が居たとはな。
 どうした、その顎の傷は」

「傷?」

シュウはサウザーの方に顔を向けた。
顔を向けたが、別に視界が戻るわけではない。

「……蹴られた」

サウザーが、顎を蹴られた。

レイは「夜盗の誰かか」と執拗に聞いているが、
サウザーは口を開かない。
不機嫌の度合いが高まっていく。
以前のサウザーの、平素と同じ空気になった。

シュウは先ほどの話を思い出して、
傷をつけたのはだと分かった。
普通の人間であれば致命傷だったことだろう、
サウザーだったからこそ顎の傷で済んでいるのだ。

そう思い至って、やっぱりこれで良かったのだ、と思った。
の相手も、サウザーでなければならなかったのだ。
レイは諦めたらしく、
持っていたお菓子をアイリと一緒に分け始めた。






はサウザーがこちらを睨んでいるのを感じつつ、
いつもどおりシバと組み手をしていた。
誰もが顎の傷について触れるのをためらっていたが、
ついにレイが訊いてしまった。

(ああ……)

思い出して、顔から火が出そうだった。
サウザーが説明なしにベルトに手をかけるのが悪い。
いや、説明されたところで困るのだが。
その先を考えると必要なことなのかもしれないが、
だがしかし。
だがしかし!

びっくりしてしまったのだ。

それに、防げないほど気を抜いているサウザーが悪い。
蹴られたことに驚いた顔をして、
そして怒り、すぐにため息をついていたことを思い出す。

(……いろいろ記憶から消してしまいたい)

もろもろのことを思い出して、逃げ出したくなった。
今日だって、何故ついてくるのかと聞くと、
「この顔を部下には見せられん」と睨まれた。

「どうしたんですか、さん?」

集中できていないことを見抜かれたらしく、
シバがこちらを心配そうに見てくる。

「う、え、うん、ごめんね」

あはは、と笑ってごまかす。
シバには何を考えているか、
言えるはずが無かった。






サウザーは怒りをどこにもぶつけることができなかった。
別にに特別な技術は求めていなかったし、
目的は最終的に達成できた。
が、顎がひりひりと痛んだ。

はシバと笑っている。
なんだか腹が立つので、
サウザーは立ち上がってずんずんとそちらへ近づいた。
わらわらと勝手に動き回る子どもを避けるのに手間取って、
また腹が立った。

二人はサウザーの接近に動きを止め、
シバは南斗最強の男を前に、顔に憧れを浮かべつつ、
は今にも逃げ出したいのだという動揺を浮かべつつ、
向き直った。

「……殴るときはだな」

フォームの解説を始める。
こんなことがしたい訳ではなかったが、
近づいた以上何か話さないわけにもいかなかった。
ふんふん、ととシバは話を聞いていたが、
シバは少ししてからシュウの方へ行ってしまった。






さんをとられてしまいました」

シバの言葉があまりにストレートだったので、
レイは思わず声を上げて笑ってしまった。
アイリがどうかしたのかと顔を上げたので、
「なんでもない」と答えた。
もしかすると、顎の傷はのせいなのかもしれない。

「では、この父が相手をしよう」

シュウは何も思わないのか、
静かに立ち上がってシバと組み手をはじめた。

とサウザーは、なぜか口げんかになっていた。
サウザーも年の割りに子どもっぽいところがあるものだ、と驚く。

(サウザーと、か……)

レイの中ではまったく可能性を考えていなかったので、
意外な結果であった。

「兄さん、さん、シバじゃなくて、
 サウザーさんに取られちゃったのね」

アイリが突然そんなことを言ったので驚いた。

「俺のことより、お前を守れる男を見つけるのが先だ」

「そうなの?」と、アイリは笑っている。
レイはそれにつられて、やはり笑った。





シュウは、シバの成長に感動していた。

フドウには不本意であったかもしれないが、
も以前よりずっと自然に笑っているような気がするし、
サウザーは劇的に他人に対して優しくなった。
シバもこのまま成長すれば、良い拳士になりそうだ。
アイリも子どもの世話を通じて少し強くなったようだし、
レイはその成長を感じてか嬉しそうに感じる。

とても、平和だった。
シュウはそれ以上、何を望めばよいのか分からなかった。