spectrum
血を増やす薬と睡眠剤を混ぜた薬を
に飲ませ、
完全に眠ったことを確認してからサウザーは伸びをした。
全身の筋がおかしい。
どれもこれも
のせいだ。
手を掴んで離さないが、振り払えず、
隣で寝るのもなんとなく気が引けた。
そこで、自分が許せる限界として、
ヘッドボードにもたれて眠ることを選択したのが間違いだった。
しかも、風呂にも入れていない。
全身が砂埃や煤で汚れている。
気分が悪い。
風呂の用意をさせて、
自分も朝食を摂ってから屋敷を出た。
多少疲れが残っているが、
他人にまかせきりというのも性分に合わない。
シンとシュウを仕事の部屋に呼びつけると、
なぜかレイもついてきた。
シュウとレイの疲労が激しいようだが、
騒動の収拾状況を聞いて、特に問題が無いことを確認する。
ユダは外壁の点検に回っているということだった。
報告が終わってシンは部屋を出て行ったが、
シュウとレイは話があると言って残った。
思い当たる懸念は無かったが、時間をとってやった。
「私とレイに、しばらく休暇をもらいたい」
その時間、最初のシュウの言葉が、それだった。
「……どういうことだ?」
今回の騒動程度で疲弊する程もヤワでは無いだろうに、
と口にする前にレイは言葉を継いだ。
「
が何者かに連れ去られたらしい。
お前が彼女を認めないのは分かっているから、
三日でいい。
探すための時間をもらいたいんだ」
ユダは何をしているのだろうか。
外壁の点検と言いつつ、逃げているに違いない。
おかげで己で言う羽目になった。
苛々して頭痛がしそうだった。
「……
は俺の屋敷にいる」
「え?」
妙な沈黙が部屋の中に流れた。
「皆殺しにしてやろうと騒ぎが大きい方へ行ったが、
に先を越された。
その場で倒れたから拾ってやったのだ」
シュウはより険しい顔になり、
レイは驚いた顔になった。
「何かおかしいか」
「いや、少し意外だっただけだ。
無事なら何よりだ。
一つ頼みたいのだが、あの屋敷へ残り、
フドウへの伝言を頼んでいる女が居る。
彼女も
のところに呼んであげてほしい。
では、俺は一旦帰らせてもらう」
レイはそう言って、颯爽と部屋を出て行った。
険しい顔をしたシュウは、動こうとしない。
サウザーは彼の話したい内容を察していたので、
文句はつけなかった。
扉が閉まり、レイの気配が廊下を遠ざかるのを確認してから、
シュウは漸く口を開いた。
「
が、夜盗を倒していたのか?」
「そうだ」
「フドウから聞いただろう、
記憶を封じていると」
「聞いた。
は思い出した。
おそらく、何もかも」
サウザーの言葉を聞いて、シュウは深いため息をついた。
「……そうか。
は無事か?」
「薬を飲んで寝ている」
「寝ている……そうか。
世話をかけたな」
シュウの言葉で、サウザーは思い出した。
は昔の自分とは違い、
親と呼べる人間が存在していたことを。
「フドウは来るのか?」
「こちらに向かっているらしい、という話は聞いた。
にはフドウの村に戻ってもらおうと思っていたのだが……
記憶が戻ったか」
シュウは苦悶の表情を浮かべていた。
「それまで、俺が預かっておこう。
屋敷の被害はほぼ無かったからな」
サウザーがそう申し出ると、
しばらくしてシュウは深いため息をついた。
そして、苦悶したままの顔をゆっくりあげた。
「すまない、今のところ他に当てが無い。
話がついたらすぐに引き取らせてもらう。
フドウにはこちらから連絡しておこう」
サウザーは「わかった」と回答した。
これであとは
の回復を待つばかりである。
しかし、すぐに引き渡したくなかった。
今、
がサウザーの屋敷に居るのは、
いわば緊急避難的な状況である。
彼女がそうしたくてそうなったわけではない。
フドウやシュウのような、
心を許す人々のところへ帰りたがるのが普通だろう。
サウザーは
を手放したくは無かった。
渡さねばならぬと理解したときに、そう強烈に思った。
しかし、彼女の意に反して留めたとしても、
彼女はどうにかして出て行ってしまうだろう。
だから、もう少しだけ。
もう少しだけ手元においておきたかった。
はその日も一日眠り続けた。
昼食は、目覚めたときにさりげなく出された。
その昼食で、
はお粥の新たな一面を見ることができた。
恐るべし、サウザーのシェフ。
出された薬はやはり苦かったけれども、我慢した。
それから一眠りして、
また目が覚めた頃に今度はサウザーが盆を持ってきた。
既に夜になっていた。
あまりの似合わなさに、一気に目がさめた。
「起きてたのか?」
サウザーが意外そうな顔でそう聞いたので、
「少し前から」と嘘をついた。
もうお粥ではなく普通のご飯と、
それからおかずが出てきた。
どれも原型をとどめない手の込んだ料理で、
何からできているのかわからないまま
は美味しく頂いた。
「美味いか?」
「とても」
「……しっかり食え」
サウザーは苦虫を噛み潰したような顔をして、そういった。
美味しく頂いてはいけない料理だったのだろうか。
「……食べます?」
「食べ残しなどいらん!」
余計不機嫌な顔になった。
そんな顔で食事する
を凝視していたので、
食事の後半は大変居心地が悪かった。
残したいと言ったら殺されるのではないかとさえ思った。
自分は気に食わないからと捨てさせるのに。
食事の後、サウザーが薬をぐいぐい押し付けてきたので、
はおとなしく飲んだ。
「明日には動け、体がなまる。
服くらい用意してやろう」
「はーい」
はベッドにごそごそともぐりこんだ。
「……」
サウザーはベッド横のスツールから動かない。
「……あの、何か用ですか?」
少し眠くなってきたので、
早く出て行ってほしいという願いをこめて尋ねた。
「……面白い話をしてやろう」
にやり、とサウザーは笑った。
彼から眠る間際にお話を聞くなんて、
悪夢しか見れないじゃなかろうか、と
は本気で心配した。
「あるところに、仲の良い父子がいた。
父は捨て子であった子どもを我が子のように育て、
子は父の期待に背かぬようにと孝行した。
父は拳士であった。
子は、その拳を学び取るために必死だった。
敬愛する父に、認められたい一心だった」
は努力、友情、勝利という、
どこかで聞いたセオリーを思い出した。
そのうち、ライバルなんかが出てくるのだろうか。
寝る前の話にしては、穏やかさが無い。
「ある日、父は子に目隠しするように言った。
伝承の試験だから、襲ってくる敵を倒すように、と言い含めて。
子は素直に従った。
程なくして、子は背後から襲い掛かる気配を察知した。
父に認められたい一心で敵を倒した。
褒めてくれるに違いない。
子は試験に合格した喜びに震えながら、目隠しをとった。
そこで、子は初めて試験の全貌を知った。
それは師を越える試験であり、
敵は師匠、つまり子の父だった。
師は成長した子を褒めたが、
子はまったく嬉しくなかった」
元気付けようとしてくれているのだろうか。
どうやって調べたのかしらないが、
サウザーは
が知らなかった
の記憶を知っていた。
だから、こんな話をしてくれているのだろう。
「子は父の死を嘆き、父を殺した自分を呪い、
何より、胸を締め上げるような悲しみを恨んだ。
そしてそんな弱い自分を捨てることにした」
は眠かった。
今日は一日眠っていたのに、おかしい。
「子はそれから成長し、己のしたいことを存分にした。
友はいなかった。
敵もいなかった。
あるのは自分と、自分以外だった」
は眠気に抗えず、目を閉じた。
サウザーが腕を伸ばし、
の髪をなでる。
「ある日、その子は昔捨てた自分に出くわした。
もう自分とはまるで似ていなかった。
そいつは、そいつと一緒に捨てた師の記憶を後生大事に抱えていた。
それを見て、子は自分が逃げたのだと理解した。
捨てた自分と、記憶を取り戻して、
そしてやっと、父の死を受け入れた」
すこしくすぐったいが、気持ちいい。
ゆるゆると眠りの世界に意識が沈んでいく。
話の結末はどうなのか。
「子は、自分を導き、慈しみ、育ててくれた父が、
命じるであろう行動を悟った。
安らかな気持ちで父に別れを告げた」
自分も、父にきちんとお別れができてなかったのだろうか。
ごめんなさい。
ありがとう。
お父さん。
そう心の中でつぶやいた。
の意識はそのまま浮上することなく、
完全に眠りの世界に沈んでいった。
「そして、子はその捨てた自分を連れてきた奴に、
持っていたことも忘れていたものを渡した」
すうすう、と穏やかな寝息が聞こえてくる。
サウザーは
の首筋に触れたが、
避けるそぶりも見せないので、
どうやら眠りについたようだった。
「父の死を、悲しみを受け入れたのだ。
随分穏やかな気分だ。
だから、それをくれたお前が愛しい」
「意のままにならぬものだな」とサウザーは苦笑した。
何も知らず、
はすやすやと眠っている。
あまり邪魔するものでもないか、と、
サウザーは静かに部屋を出た。
フドウは、皇帝の街に向かって急いでいた。
大掛かりな夜盗の襲撃があったという。
そこに駐留させていた部下達と連絡が途絶えている。
その道すがら、シュウからの伝令に出会った。
どうやら兵士達は全滅したが
は無事で、
サウザーに保護されているらしい。
更に、リーナが一人屋敷に残り、
フドウの帰りを待っているという。
「サウザーが保護」という部分がひっかかるが、
とりあえず
が無事で良かった。
駐留していた兵士達には悪いことをしてしまった。
彼らにも愛する妻や子がおり、
フドウの村で帰りを待っているのだった。
謝っても許されることではないが、
己の采配のまずさを謝るしかないだろう。
それにしても、なぜサウザーは
を保護したのか。
「役立たず」と評価しておきながら!
ともかく、情報が不足していた。
車を飛ばさせながら、
一刻も早く
の顔を見て安心したかった。
あの過酷な運命に飲み込まれた子を、
どうしても幸せな世界に戻してやりたかった。
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