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サウザーの屋敷は、
配下の兵士たちに守らせていたため被害は無かった。
迎えに出てきた侍従にを押し付け、
医者を呼ぶように命じておく。

まだ、すべきことはあった。
夜盗は根絶やしにすることを命じ、
被害の状況を確認し、
それらに指示を出して大まかな流れを作ってから、
ようやく追いついたシュウに全て押し付けた。
今回ほとんど働いていないのだから、
これくらいは許されよう。

それらを全て終わらせて屋敷に戻る頃には、
の方の診察も全て終わっていた。

「お怪我は見受けられませんでしたが、
 随分お疲れのようで貧血を起こしておられます。
 食事と、休養を取られますよう」

と、医者は慇懃に頭を下げて部屋を出て行った。
客室のベッドに、が寝ている。
熱でもあるのか、額にタオルが乗せてある。

全身に浴びていた返り血は全て洗い流され、
客用の寝巻きが着せられている。
その姿を見て、サウザーはふと、思った。

「俺は……捨てたのではなく、逃げたのだろうか?」

オウガイの死から。
オウガイがくれたぬくもりから。

寛いでいるとはいいがたい顔のは、
酷い寝汗をかいている。
額のタオルで首筋をぬぐってやり、
脇の机にあった水盤で絞って額に戻した。
戻したとたんに寝返りを打ったので、タオルは枕に落ちた。

サウザーは諦めてタオルを水盤に放り込み、
ベッドの端に座っての顔を見下ろした。
昔捨てた弱い自分は、
あの後も一人で泣いていたのだろうか。

「お前は悪くない。
 お前が強かっただけだ」

の頬をなでる。

「お前は悪くない」

それはサウザーが一番ほしかった言葉で、
しかし、その言葉をかけてほしかった人はすでになかった。
が自分の言葉を欲しているとは思わない。
サウザーは、捨て去った弱い自分に向かって声をかけていた。

「お前は、悪くない」

そして、認めた。
年の割りに説教くさいに、
師であり、父であるオウガイを重ね、
父を殺したことを思い出して混乱するに、
昔の自分を重ねていると。
どれだけ跳ね除けても、
弱い自分とオウガイを思い出した。

の手が伸びてきて、
サウザーの手を掴んだ。
目が覚めたのかと思ったが、そうでも無いらしかった。

その手があまりに温かく、
サウザーは振り払うことができなかった。






レイがフドウの屋敷にたどり着くと、
そこはおびただしい数の死体が転がる地獄と化していた。
死体の中にはフドウの軍の姿があり、
ここで激戦が繰り広げられたことが分かった。

施錠されていない玄関から中に入り、
様子を伺う。
しかし、人が居る気配は無い。
方々をさがしてようやくシェルターを発見した。

「南斗水鳥拳の伝承者、レイだ。
 この辺り一帯はもう安全だ。
 中に居るなら扉を開けてくれ!」

そう叫ぶと、スピーカー越しに返答があった。

『ほ、本物ですか?』

それはの声ではなく、
レイは眉をひそめた。

「ああ、を探しに来た。
 シュウに頼まれている」

そう言うと、ゆっくりとシェルターの入り口が開いた。
中からはリーナと名乗る家政婦が一人、出てきた。

さんは!?」

「落ち着いてくれ、今探している所だ。
 君は一人でシェルターにいたのか?」

「私も戦う、とさんは出て行ってしまわれて……
 外の様子はこのシェルターからある程度見られるのですが、
 誰かがさんを連れ去ってしまったんです!」

「生きているんだな?」

「た、たぶん……
 画像が随分、悪かったものですから」

そう言ってリーナはディスプレイを指した。
かろうじて一台だけ玄関を写しているが、
電波の乱れか途切れたり、ずれたりする。
他のディスプレイは全滅していた。

「この騒ぎだ、フドウも来るだろう。
 レイがを探していると伝えてくれ。
 悪いが、もう少しここに居てくれるか?」

リーナはこくこく、とうなずいた。

屋敷の中の損傷は皆無だったが、
リーナは気味が悪いとシェルターに残ることになった。

扉が閉じるのを確認してから、
今度はシュウの元へ走った。
丁度レイが到着するころには制圧が完了したという伝令を出すところであり、
シュウはレイを見て微笑んだ。

「君の部隊のおかげで、
 街のこちら側は被害が少なくてすんだよ」

ねぎらいの言葉も、
その間もまだるっこしく感じる。

が、いない」

「……少し待て」

シュウは近くに居たシンに断りを入れてから、
レイの元に戻ってきた。

「どういうことだ。
 がいない?」

「ああ、リーナという女が一人シェルターに残っていたが、
 が誰かに連れ去られるのを見たらしい」

「取り逃した夜盗の残党か」

「わからないが、可能性はある。
 あの辺りはユダの兵が制圧に当たっていたはずだ。
 残っている者に聞いて回ろうと思う」

シュウは険しい顔をして「そうだな」とうなずいた。

「ユダの兵は外壁の点検に向かったと聞いている。
 私は北から時計回りに探してゆくから、
 レイは逆回りで探してくれ」

レイはうなずいて、走っていった。
シュウも急いで北へ向かった。
それから二人はユダの部下を見つけてはを見なかったかと尋ねたが、
目撃証言は得られなかった。
それと同時に、なぜかユダにも出会わなかった。






はやけに寝心地の良いベッドで目が覚めた。
寝心地の良いベッドにもかかわらず、
寝汗が酷くべたべたする。
気分は最悪だった。

暗い感情がじわりと心を染めていく。
父が母を、妹を殺し、
そしても手に掛けようとしたこと。

思い出した後の記憶は無いが、
ベッドに寝かされているのだからきっと倒れたのだろう。
そこへ誰かが、
あのときのシュウのように助けに来てくれたに違いない。

夢の中では何人もの父に出会った。
そして、その全てがを殺しに来た。
何度も、何度も、はそれを殺した。

父は強いはずだった。
それなのに、どの父もあっけないほどすぐに死んでしまった。
気が狂いそうだった。

そして最後に、もう一度強い父に出会った。
そうして、父は「悪くない」と言ってくれた。
ような気がした。
その部分だけは、救われたような気がした。

なぜ父を殺したことを忘れていたのかさっぱり分からないが、
思い出したことであんな悪夢を見たのだろう。
そう片付けることにした。
向き合いたくない夢だった。

ふと、縋り付くように何かを握り締めていることに気がついた。
目をあけて確認すると、それは人の手だった。

一瞬父の手かと思ったが、
それはとうの昔に消えてしまった。

「……起きたか」

声が降ってきた。
そちらを見ると、
ヘッドボードにもたれて座るサウザーが居た。

握り締めていたのは、サウザーの手だった。

眉間に皺がなく、険の無い顔をしているのが不気味だ。
じ、とを見下ろしている。

「なんで居るんですか」

「お前が手を離さんからだ」

慌てて手を離す。
サウザーはその手を何度か握ったり開いたりして、
無言で立ち上がった。

「ここ、どこですか」

サウザーは心底面倒くさそうに振り返った。

「俺の屋敷の客室だ。
 昨日お前が目の前で倒れたから、連れてきてやった」

目の前で飛び散る血しぶきを思い出して、
は顔をしかめた。

「何だ。
 血まみれだったのを清めて、
 部屋まで貸してやったのに不服か」

「ちがいます。
 ありがとうございます……助けてくれて」

殺した夜盗から噴き出した鮮血と、
悪夢を思い出して少し吐き気がした。

「…私、攻撃できたんですよ」

「そうか」

泣き言を言うと怒り出すかと思ったが、
サウザーは意外にもそう短く返した。
だから、は続けた。
誰かに言って、
そして自分の中から外へ放り出したかった。

「父を殺した記憶と一緒に忘れてたみたいで。
 あはは、父さんのこと嫌いだったんですかね?
 それも忘れてるとか」

言っていて、涙が出るのをとめられなかった。

「それは違う」

「なんで知ってるんですか。
 シュウなら知ってるかな。
 他に何か忘れてるのかな」

枕に顔をうずめる。
泣き顔をサウザーに見られるのは御免だった。
しかし、誰かに言わずには居れないほど不安だった。
記憶を丸ごと消していたなんて。

「……伝聞だが、それ以外は忘れていない。
 お前は父になついていたし、
 少し、不幸だっただけだ」

以前に比べ、サウザーが優しい。
ちらりと盗み見たが、
彼はこちらに背を向けて座りなおしていたので顔が見えなかった。

「お前は慣れぬことをして疲れているだけだ。
 しばらく居候させてやるから、
 ゆっくり休んでいろ」

気持ち悪いほど優しい。
偉そうでいやな奴な口調に変化は無いが、
中身は優しい。

だからその後の「飯を食え」だの、
「薬を飲め」だの、そういう命令も素直に従った。
用意されたお粥は“至高のお粥”という名前を授けたいほどおいしかった。
食欲の無いの胃に、
するりと入る薄味のゆるいお粥だった。
気に入らないと作り直しという鉄の掟がある屋敷では、
料理人の腕も想像を絶する成長を見せるのだろう。

その後に出された薬は苦かったが、
サウザーが無理やりにでも飲ませようとするのだから、
効くのだろうと思って我慢した。
どこが悪いのか、何も分からなかったが。

それにしても贅沢な暮らしをしているものである。
食うに困る人は大勢いるが、
薬が無くて困る人もまた、大勢いる。
少し腹も立つが、
今はそれに甘えることにした。

おなかが満たされて、薬も飲んで、
は少しうとうとした。
眠りに落ちるまでずっとサウザーは傍についていた。
不気味なこともあるものだと思いながら、
は深い眠りのなかへ沈んでいった。
不思議と、不安はなかった。