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サウザーはその日、
午前中に雑用を命じている女に壜を用意させた。
色の違うラベルも同じ数用意させる。
その数で思い当たったのか、
「コーヒーですね?」と言った。

分かるようにしておけ、と命じかけて、やめた。

「移しておくだけで良い」

万が一間違えられては困る。
「はい」と簡潔な返事が返ってきて、
女は隣の部屋へ消えた。

なぜコーヒーの入れ物にまで気を配らねばならないのか。
それはケイカが毎度同じコーヒーを出すからである。
同じ所で用意しているせいで、缶の見た目はほぼ同じ。
説明は諦めたが、選択肢は諦められなかった。

移し変えが終わったらしく、
女が部屋に戻ってきたので書類を各所へ届けるよう命じる。
もうすぐ街に繰り返しやってくる夜盗の複数の根城を、
一斉につぶしにかかるのだ。
それを配り終えれば今日は下がっていい、と言ってやった。

女が命じられたとおり、
筒を抱えて出て行くのを確認してから、
サウザーは炊事場へ入った。
小さなテーブルに、壜と缶が整列している。
どうやら、粉が入った壜の前に、その缶を置いてあるらしい。
壜の中身の香りを確認しつつ、
サウザーはラベルに銘柄を書いて壜に貼り付けた。

これで午後からもコーヒーを選べる。
それだけで少し、気分が良かった。
別にそれほど好きだというわけではないが、
選べていたものが選べなくなるというのは、
存外に不自由を感じるものである。

壜を棚に並べていると、
コーヒーの淹れかたを書いたメモが一緒に置いてあるのを見つけた。
目を通し、足りない部分を書き足す。
書き足していると汚くなったので、
腹立たしくなって全部書き直した。

書き直していると根本的に改善したくなったので、
デスクの後ろの書架からコーヒーの淹れ方の本を引っ張り出した。
中身を確認して、栞をはさんで応接テーブルに置く。

そういえば前に用意するように命じたまま雑用が交代したので、
綿の布は置いてあったはずだ。
棚の引き出しをいくつか開けて、
目的の物を見つけて本の上に置いた。

書き直したメモを棚にもどしながら、
やはり昨日の自分はどうかしていたのだと思った。
オウガイはあんなに弱くは無かったし、
そもそもチョップなどしない。
まったく異なる。
似ている部分など、無い。

下々の者の生活が垣間見れる貴重な時間、なのだ。
サウザーが知る誰もが、サウザーを前にするとへりくだり、媚びる。
ケイカはまるで気にしていないようだが、
普通はそうなのだ。

それほど民は食事にも事欠く生活をしているのだな、
と他人事のように思い、そしてすぐに忘れた。






ケイカは足取りも重く、サウザーの部屋に向かっていた。
どう考えても報復が怖すぎる。
確かにレイの言うとおり、
何かあったらその場で殺されてもおかしくない。
サウザーには優しさとか、情とか、そういうものは無いようだ。

(だからといってチョップはないだろう、チョップは)

できることならば、
過去にさかのぼって自分を止めたい。

鬱々としたケイカの表情に、
半ば同情的な視線を投げかけつつ、
廊下ですれ違った兵士達は道を譲ってくれた。
おかげでいつもよりも少し早く、
部屋についてしまった。

気持ちのせいで何倍にも重く感じる扉を開けると、
予想外にサウザーの機嫌は悪くないようだった。

「コーヒーだ」

「……はーい」

ケイカがのそのそと隣へ続くドアをあけると、
後ろから「青のラベルのにしろ」と追加の注文があった。

(青のラベル?)

疑問に思いつつコーヒーが入っている棚を見ると、
似たような缶ばかり並んでいたのが全て壜に変わっていた。
それぞれ、色の違うラベルが貼られ、
銘柄らしきものが角ばった字で書かれている。

ケイカはそこで初めて、
コーヒーに種類があったことに気がついた。

(……先に言えばいいのに!)

いつも確認していた多少くったりしたメモは、
ラベルと同じく角ばった字でびっしりと書き直されていた。
紙も上等なものに変わっている…ような気がする。

(午前中の人は、なんと面倒なことを押し付けられたのか…)

いっそ哀れ、と思いながら、
文句をつけられても面倒なので、
書かれたとおりにコーヒーを淹れた。
一つ一つの動作に注文がついて、大層面倒だった。

サウザーのデスクまで運ぶと、
いつもの通り彼は無言で一口飲んだ。
そして、にやり、と笑った。

変化はそれだけだった。

やたら指示が細かく書かれていたのに、
結構面倒だと思ったのに、それだけ。
ケイカはめまいがした。

フドウならば労をねぎらってくれるだろうし、
シュウならば褒めてくれただろう。
子ども達だって、こちらが尽くせば感謝してくれる。
それなのに無反応とは!

あんまり期待するのもむなしいので、
いつもどおりぼんやりと窓から外を眺める。
外を歩く人々は、きっと苦労も多いのだろうけども、
この狭い空間にサウザーと二人きりという苦行に挑むケイカより、
きっと毎日が楽しだろう。

そんなことを考えていると、
また指示が飛んできた。

「そこに本があるだろう、
 それを作って明日から使えるようにしろ」

サウザーが指差した先に、本と布がおいてあった。
なぜいつも炊事場に下がらせてくれないのか。
どれだけコーヒーがすきなのか。

紙が挟まったページを開くと、
そこにはコーヒーの新たなドリップの方法が記されていた。
そして、そこにはなんと、
驚くことに、道具の作り方が明記されていた。

(金があるんだから買ったらいいのに…!)

今まで紙で漉していたのを、綿で漉すようにしたいらしい。
それをネルドリップというそうだ。
良かったね、またひとつ新しいことを覚えたよ馬鹿野郎。
コーヒーなんて全部同じ苦い汁だ。

その日の午後はネルの作成と、
手入れで終わった。
興味の無い作業ほど、長く感じるものはない。
ケイカは身をもって体験した。






レイに手伝いを依頼してから数日後、
シュウは久しぶりに時間がとれたので、
シバと、ケイカと、三人で広場に出た。
既にアイリは到着して、
随分重そうな荷物を抱えて待っていた。

「お久しぶりです、シュウさん」

アイリはシュウの姿を見つけたらしく、
にっこりと微笑んだようだ。
空気がぐっと和らぐ。

「随分大きな荷物ですね」

「はい、シバと一緒に習っている子ども達が、
 休憩の間に食べるようにと」

ケイカとシバが準備運動をしていると、
わらわらと子ども達が集まって来た。
ケイカはその子ども達の名前を覚えているらしく、
一人ひとりに声をかけ、
入念に準備運動をしていない子には、
罰としてくすぐりの刑に処していた。

アイリは木陰に座り、バスケットから応急セットを出して広げている。
毎日のことらしく、手馴れている様子だった。

準備運動を終えると、子ども達は各々二人組みになって、
交互に攻撃と防御の動きを練習している。
いつもはシバの相手をケイカがしているようだが、
今日は交代してもらった。

「父さんに相手してもらえるなんて、嬉しいです」

シバは嬉しそうにそう言った。
子どもの相手ができるのはシュウにとっても喜ばしいことだったが、
シバが子どもらしく喜んでいるのを見られたこともまた、嬉しかった。
何がいけないのか、シバは聞き訳が良すぎる子どもに育ってしまった。

その間、ケイカはいろんな子どもの相手をしようとしたが、
構ってもらいたい子ども達はケイカに一斉に群がり、叱られていた。

シバは、シュウを相手に少し緊張しているのか、
はじめこそぎこちない動きをしていたが、
回数を重ねるごとに滑らかな動作に変わった。

子の成長も嬉しいが、ケイカも拳の世界に戻ってきたことが嬉しかった。
よく考えると、最初の直弟子である。
となると、シバは孫弟子か。
そう思い至って、シュウは嬉しくなった。

ケイカは一度は拳を捨てようとしていたし、
シュウもそれを手助けするつもりだった。
そして、シバを教えている。
勝手な話だが本当に嬉しかったのだった。

一通りの動作を終えると、鬼ごっこが始まった。
確かに、子ども達が基礎体力を鍛えるのにはうってつけかもしれない。
走り回る子ども達を、シュウはアイリのシートで眺めていた。

「シバは才能があると、私は思う。
 贔屓目でなく」

ケイカがぽつりと言った。
親馬鹿かもしれないが、素直に嬉しい。

「将来、跡を継いでくれれば嬉しいのだが」

しばらして鬼ごっこがひと段落したのか、
子ども達がわ、とアイリに集まった。
アイリはにこにこと笑いながら、
バスケットから食べ物を出して切り分ける。

「大丈夫。
 シュウにそっくりだもん」

ケイカはあはは、と笑った。
仁星の自分にそっくりな子というのも不憫な気がしたが、
似ているといわれて嬉しく無い親がどこに居るのだろうか。
シバは遅れて集まった子にもパンを配るなどして、
アイリを手伝っている。

「そういえば、
 サウザーは無茶なことを言っていないか?」

シュウのその問いに、
ケイカはしばらく思案してから「そんなに」と答えた。

「ただ、贅沢しすぎてて腹が立ってきたりもする。
 あの子たちはご飯すらまともに食べられないのに、
 サウザーはコーヒーの淹れ方ひとつまで口うるさいんだもん」

馬鹿じゃないの、とケイカはにべも無い。
そもそも、なんで私なのよ、
ケイカはぶつぶつと文句を言っている。

シュウはケイカが別段塞いでいるわけではなかったので、
ほっと胸をなでおろした。
フドウの村を出るときの彼女は、
少しどころでなく不安定な状態だった。

ケイカの父が死んだので、
彼女をフドウに託したときは、
それはもう酷い状態だった。
その当時はシュウにも余裕が無く、
どうすることもできなかったことを覚えている。

フドウがどうやって彼女の精神を安定させたのかは知らないが、
今の明るいケイカになったのは、
とても嬉しい。
フドウの村にいたころは、もっと楽しい話が多かったのだが。

「ねえ、シュウ。
 私、いつになったらお役御免になるのかな?」

「うん?
 シバの師匠は嫌か?」

「そっちじゃなくて!」と、ケイカはぷんすか怒り出した。
再びサウザーに対する不満をぶちまけはじめたケイカに、
手伝いを終えたシバが不思議そうに近づいてくる。

「何かあったんですか?」

「うーん、一日シバの相手をしてたいんだけど、って話」

シバは照れたように笑った。
片付けをすませて、口々に別れを告げて子ども達が散っていく。
ここはとても平和だ。
アイリが空のバスケットを持って戻ってくる。

「そちらに、お昼を用意してあります。
 シュウさんも一緒に食べませんか?」

いつものことなのか、
ケイカは小さなバスケットを開けて中からパンとチーズを取り出しはじめた。
慣れた手つきでハムを切り分け、手際よくサンドウィッチができあがった。

「ありがとう」

シュウは遠慮なくうけとって、ほおばった。
やはり、ここはとても平和だ。
いつまでもこうあってほしい。

無理だと分かりつつも、
そう願わずにはいられなかった。