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が実家に食事に呼ばれているので出かけるという。
曲りなりにも
の父や師父が呼んでいるのである。
俺の場合であれば、それはお師さんである。
良い気分はしなかったが、「構わん」と回答した。
その日、不愉快な気持ちのまま酒を飲み、
だからといって女を抱く気分にもならず、
いつもよりは随分早い時間に帰宅した。
喉が渇いていたのでキッチンに入ると、
が立っていた。
茶があるというので、
用意するように言ってリビングのソファに座った。
少し、安堵している自分が居た。
はそのまま、ここを出て行くのではないかと思っていた。
まだ今の生活を続けられるのだと思った。
ソファに体を預けて、無意識につめていた息を吐き出す。
そこで、はたと思い出した。
少し前に、
は住む場所を変えたいと言っていた。
今日ではなくとも、近々出て行くつもりなのではないか、と。
の実家は、閨閥を形成している。
を別のところへ配置したいと考えているのかもしれなかった。
そうして別の誰かが回されてくるのかもしれない。
を抱けば面倒な
の実家も黙るのではないかとも思う。
しかし、その辺の女と
は違う。
それは違う、と俺の中で何かが止める。
そんなことを考えていると、
がグラスを持ってリビングに入ってきた。
聞かなければ。
何を話したのか。
「何を話した」
「……何も心配されるようなことは」
逃げられては困るので、俺は目の前に伸ばされていた腕を掴んだ。
は泣きそうな顔をしていた。
泣いていたらしい顔でもあった。
それでも
は沈黙を続けたので、次第に腹が立ってきた。
何も言わない、その態度に腹が立つ。
俺がそんなに頼りないか。
だから、カマをかけることにした。
それでも
はしゃべらない。
実家と、世話になった伝承者を消してやろうと言うと、
やっと顔を上げた。
やはりそれらの人間とつるんでいたのか。
それらとつるんで、出て行くつもりだったのか。
だから、
に奴らを黙らせることにした。
そうしてそれらとの関係が壊れてしまえば良いと思った。
その条件を
が飲んだので、満足だった。
それから、ぱたりと
の実家からのコンタクトが絶えた。
対応が面倒だと思っていたので、丁度良かった。
そんなやり取りがあった頃、北斗神拳のラオウから連絡が入った。
昔、お師さんに連れられて交流試合を何度かしたことがある。
その程度の知り合いである。
奴は強い。
連絡の中身は、十人組手を挑みたいということだった。
しかも、挑むのはラオウではなく弟のケンシロウだという。
年端もいかぬ子どもである。
面白い座興になりそうだったので、受けると返答した。
どこからその話を聞きつけたのか、
シュウもその席に同席したいと言ってきた。
断る理由も特になかったので、その話も受けた。
話の出所は
だろうか。
は。
は不満そうだった。
だが、それを口にすることは無かった。
十人組手の日になった。
俺はラオウと表面上は親しげな挨拶を交わした。
ラオウの隣には、子どもが立っている。
それがケンシロウだった。
縦にも横にも幅のあるラオウの隣に並ぶと、
随分と小さく見えた。
俺はラオウと並んで座り、
試合の成り行きを見ていた。
こちらで用意した十人は、それなりの腕前の人間をそろえた。
ラオウが手加減無用と言っていたが、
子ども相手に伝承者をそろえるわけにもいかない。
北斗神拳は一子相伝の拳法であり、
ケンシロウも伝承者候補の一人だということである。
だから、“それなり”と思える人間をそろえたわけである。
ラオウもいらぬ苦労をしているな、と多少笑えたが、
それは俺がどうこうする話でも無い。
その小さなケンシロウは、予想を上回る腕前だった。
ラオウの表情に変化は無い。
次々と負ける不甲斐ない南斗勢に、俺は多少苛立っていた。
このまま南斗の名前に泥を塗り続けるわけにもいかない。
九人目が出たとき、
これで負ければ最後は俺が相手してやろうと決めた。
ケンシロウも命をかけて、この組手に挑んでいるはずである。
予想どおり九人目が負け、
俺が出ようとするすると、
先にシュウが名乗りをあげた。
よくよく邪魔をする男である。
しかし、シュウの腕前ならケンシロウ相手に負ける訳が無い。
俺はシュウに出番を譲ってやった。
組手は、当然ながらシュウが勝利した。
ラオウがその才を認めたと思われる、
ケンシロウの命運も尽きたと誰もが思ったろう。
俺もそう思っていた。
しかし、シュウはケンシロウを助けた。
己の視力と引き換えに、と。
が傍で、小さな悲鳴を上げた。
そこまでするシュウを無視してまで、
殺す価値がケンシロウにあるとは思えなかった。
俺はそれを許した。
シュウとケンシロウは手当てを受けるために道場を出た。
ラオウとは特に実のある話をするでもなく、
適当な挨拶をして分かれた。
不穏な世界情勢の中で、
互いに邪魔な存在となりそうだという予感だけが残った。
帰りの車で、俺はぼんやりと
の顔を眺めていた。
最近悲愴な表情をしていることが多いが、
今日もそんな顔をしていた。
「仁星、か……」
情けや、思いやり。
馬鹿らしい理由で光を失ったものである。
その思いやりを
にも向けているのだろうか。
はシュウを愛しているのだろうか。
実家に戻るという道を閉ざしてやったが、
それだけでは足りないのだろうか。
にも思い知らせてやる必要があるのだろうか?
「――……おもしろい座興だったな」
考えを振り払うように、俺は思いついたことを口にした。
「座興……でございますか」
の口調は暗い。
「シュウも阿呆だな。
あれでは永劫俺には敵うまい」
「……南斗の力がそがれたも同然です」
俺の耳にはそう聞こえた。
「何か言ったか?」
「いいえ。
明日の予定についてですが……」
はそれから事務連絡に入った。
俺はそれを聞いて、口を挟みながら、
の言葉を反芻した。
が初めて口にした意見は、
シュウを擁護するものだった。
腸が煮えくり返る。
シュウが憎い。
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