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白鷺拳との交流試合をしてから、
暫くサウザーの機嫌が良い。
私はほっと、胸をなでおろした。
なでおろしたが、残念でもあった。

サウザーは更に遊ぶようになった。
連れ込んだ女性に出くわしたときは、
血の気がうせた。
ショックだった。

昔の優しいサウザーのことは兄をように慕っていたし、
年相応の淡い恋心を抱いていたようにも思う。
しかし、彼は自分が仕える相手なのだ。
そう思い定めた途端に変わってしまった。

そんなサウザーにショックを受ている、
自分に対してショックを受けた。
金に困っているわけではないのだから家を出たいと申し出たが、
面倒が増えると却下された。

サウザーは、立ち直ったとは到底思えない状態が続いている。
あれが本来のサウザーの姿であるわけがない。

防腐処理されたおとうさんは、
温度や湿度が最適に保たれた部屋で座禅を組んでいる。
その部屋の鍵は、私とサウザーだけが持っている。
表面的にはサウザーは伝承者としてある程度の質を保っていたが、
人間としては深く傷ついた状態から回復しているとは思えなかった。

私はどうしたら良いのか分からないまま、
ずるずると秘書か執事かわからない雑用をし続けていた。
車の免許も、今となっては取らなければ良かったと思う。

外出するとき、
白鷺拳のシュウと話をするのが唯一の心の安らぎである。
彼はサウザーのことを気にかけてくれているし、
何より優しい。
昔のサウザーの面影を彼の中に見ていることは自覚していた。

そんな中、実家から連絡があった。
久しぶりに食事に来ないか、という連絡である。
祖父が死んでからはとんと足を向けたことは無かったが、
思い当たる用件もあり、
顔を出さねば後が面倒なことになりそうだった。

その旨をサウザーに告げると、
「構わん」とそっけなく返された。
私は、あまり無い自分の予定にその食事会を書き加えた。

予定の日になり、私は気が重く感じながらも実家に戻った。
現当主と、実の父親。
拳を教えてもらった、遠縁の伝承者。
それに私を加えた四人での食事である。
気分だけでなく、箸まで重く感じた。

最初は当たり障りの無い情勢の話であるとか、
誰のところの息子の誰がそろそろ伝承者候補に入るらしいとか、
そういう話をしていた。

「――……ところで、
 お前は最近どうなんだ」

「お前の姉が嫁いだ流派とは、懇意にさせてもらっているからな。
 鳳凰拳の伝承者は何か言っているのか?」

私は耳を塞いでしまいたかった。

「そろそろ、私はあの家を出る頃合かと思います」

事実出るつもりだったので、
この場で意思表明をしておきたかった。
代わりの人間が居るならば、代わってもらいたかった。

「何を寝ぼけたことを!」

「何のために女のお前を差し出したのだと思っている!」

「あの家以外にお前の居場所は無いと思え!」

「どんな方法でも使え!」

この四点を、言葉のバリエーション豊かに何度も怒鳴られた。
私に何ができると言うのだろうか。
サウザーにとって、ただの駒の一つである私が。
彼が女を連れ込んだとしても、なす術も無い私が。

ふらふらと家に戻り、私はおとうさんの部屋に入った。
涙があふれてきた。

おとうさん、私はどこへ行けば自由になれるのですか?
どうして私を育てたのですか?
どうしたら良いのですか?
勿論その問いに答える声は無い。

私はひとりぼっちだった。

声を殺して泣いて、
涙が収まってから、
水を飲むためにキッチンに入った。
そこで、丁度帰宅したサウザーに出くわした。

「お帰りなさいませ」

「水以外に冷えた飲み物はあるのか」

「お茶が」

「用意しろ」

そう言われたので、
私は頭の中をからっぽにして冷蔵庫を開けた。
中には午前中に煮出して冷やしていたお茶があったので、
それをグラスに移して、氷を浮かべて出した。

気を抜くと、頭の中にぐるぐると怒鳴られた言葉が回る。
グラスを出してすぐに引っ込むつもりが、
リビングに入るなりサウザーに声をかけられた。

「何を話した」

「……何も心配されるようなことは」

私はグラスをサウザーの前に置いた。
その手首を、サウザーが掴んだ。
手をひっこめたかったが、
力の差がありすぎてどうにもならなかった。

「お前は昔から嘘をつくのが下手だな。
 言え。
 何を言われた」

先ほどまで辛くて涙を流してすら居たのに、
その内容を、
それもサウザー相手に言う?
誰が言えただろうか?

サウザーの顔が近かった。
射殺されそうな視線に耐えられない。
私は顔を伏せた。
沈黙を続けていると、手首を掴む力が強くっていった。

「そういえば、お前はここを出たがっていたな。
 戻る算段でもついたか?」

逆である。
居続けろと言われたのである。
どんな方法を使ってでも、サウザーと親密になれと。

言えるわけが無い。

私は黙秘を続けた。
この詰問が早く終われば良いと思っていた。

「……言わぬか。
 そうだな、お前の実家はそろそろ目障りだと思っていたところだ。
 気安く陳情などに来る。
 消してやろう」

消す?
私が顔を上げると、
サウザーは凶悪な面相で笑っていた。

「お前が学んでいた流派の伝承者も何か勘違いしている。
 そろそろ代替わりしても良い頃合だろう」

「何を言っているんですか?」

「ただの独り言だ。
 そうだな、お前が奴らを黙らせられるなら、考えて直しても良いが」

私は全ての面倒事を放り出して、
出奔してしまいたい、と思った。
しかし、それではおとうさんとの約束が果たせない。
葬儀も出されず、まだこの家に縛られているおとうさんとの約束が。

私がしなければならないことはただ一つ。
サウザーが出した課題をクリアすることである。

「……黙らせれば、よろしいのですね?」

「できるものならな」

そこでやっと、サウザーは手を離した。
私は逃げるようにリビングを出た。
水を飲むために部屋を出てきたのだが、
そんな心の余裕は無かった。

次の日、私は実家に連絡を入れた。
今のところ、実家の態度が不興を買っている様子なので、
状況が改善するまで控えて欲しい、と。

内容が内容であったので気分の良い返答は得られなかったが、
彼らが望む工作を私が始めたと勘違いしてくれたおかげで、
それほど小うるさいことは言われなかった。