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白鷺拳の伝承者となって、
それほど時間も経っていないころの話である。
私は六聖拳伝承者が集まる会議に出席し、
いつもながら己の意見を言うこともなく会議は終わった。
その後のことである。
鳳凰拳の伝承者であるサウザーの後ろに立っていた、
秘書と思しき女性が近付いてきた。
「具合でも悪いのですか?」
聞けば、発言が無かったために体調不良を疑っていたという。
私はその心遣いに感謝した。
「私もまだ若輩者であるし勉強を、と思ってね。
……いや、サウザーが不勉強だと言いたいわけではないのだが」
そう言うと、それまで困った顔で固定されていた表情が、緩んだ。
目だって美人であるという訳ではないが、
可憐な笑みである。
その後、すぐにサウザーが戻ってきたので、
彼女は入れ違いに出て行った。
名前を
というのだと、そのとき知った。
それから数日後、鳳凰拳から交流試合の話が入った。
さんが直接私の道場を訪れてくれた。
私には秘書など居ないので、
大まかな流れを二人で相談して決めた。
「サウザーが他の流派の方と親しくなってくれれば良いのですが」
と、
さんはため息をついた。
「何かあるのかな?」
「いえ、おと…・・先代のオウガイが死んでから、
すっかり人が変わってしまったんです。
拳を通じて関わることができる人がいたら、
立ち直ってくれるんじゃないかって少し期待してるんです」
「心配してくださったのは、
そういうお話もあの場でする予定だったのか」
私は半ば呆れて、そういった。
「……ええ、少し」
さんは「すみません」と苦笑した。
サウザーを立派な伝承者にしたい、という彼女の願いは、
十分に伝わった。
彼には素晴らしい理解者が傍に居る。
それはとても、羨ましいことだと思った。
そうして、試合の当日になった。
私が握手を求めると、
サウザーは力強くそれに応えてくれた。
いささか敵意を感じる程度に、力が込められていた。
まだ数えるほどしか会ったことがないし、
私はそれほど気に留めたりはしなかった。
試合は他の門徒達にとっても良い勉強になりそうな内容となった。
実力の伯仲した人間同士が戦う様は、見応えもある。
交流試合の目的は達成されそうだった。
そうして、私とサウザーの番になった。
さんの願い。
私はサウザーと友人になることができれば良いのだが、
とそのときはまだ楽観視していた。
試合が始まり、それが不可能であると悟った。
サウザーは強かった。
模範的な試合になれば、という私の思惑とは違い、
サウザーは全力の試合を望んでいるらしかった。
初手のミスが全てのタイミングを狂わせる。
私が防戦一方になった。
久しぶりに完敗して、私は清々しい気持ちになった。
これほど大差がつくとは。
伝承者となったが、まだまだ弱い。
それを素直に口にすると、サウザーは微妙な顔をしていた。
さんはサウザーを一度家に送り届けてから、
試合の後始末のために戻ってきた。
全てが片付いてから、今度は私から
さんに声をかけた。
「すまない」
私はサウザーの好敵手とはなり得なかったことに対する謝罪である。
期待されていたことは知っていたが、
己の実力ではいかんともしがたかった。
「いいえ。
こちらこそ、お弟子さんの前ですみませんでした」
困りきった顔で、
さんは言う。
しかし、私の力が単に及ばなかっただけなので、
謝ってもらうようなことは何も無い。
「私が弱いばかりに、
サウザーは不機嫌だったのではないかな?」
そう問うと、
は不思議そうに首をかしげた。
「いえ。
いつになく上機嫌でした。
性格が悪いんだから」
そう言って、顔を顰める。
表情が出ると、年相応の若さを感じる。
「上機嫌ならば、良かった」
「見捨てないでやってあげてください。
これから先、他の六聖拳の伝承者の方が代替わりしたら、
誰もサウザーを止めることが出来なくなってしまいます」
「努力するよ」
私がそう答えると、
さんは「ありがとうございます」と悲しそうに笑った。
彼女にとばっちりを食らわせたのではないかとも思っていたが、
それは杞憂に終わったようで安心した。
残りの片付けの指示を出し、
さんはその場を辞した。
家のことも取り仕切っているということだから、
きっと忙しいのだろう。
それから私も自分の作業をしていて、
ふと先ほどの会話に違和感を覚えた。
『いつになく上機嫌でした』
力の及ばぬ私を負かして上機嫌なサウザー。
他の伝承者は体力のピークを過ぎる程度の年齢であったり、
一人は代理の出席で済ませている。
その中で、私は群を抜いてサウザーと年が近い。
だから友になるべく声をかけたのだとばかり思っていた。
しかし、そうでもなかったのかもしれない。
私は彼の拳の前に、完全に敗北した。
年の差も、学んだ時間を考えても、
私はこの先彼を追い抜くには相当の努力が必要となるだろう。
勿論、励むつもりではある。
私が予想した通りであれば、
私の不甲斐なさに憤りを感じてしかるべきである。
しかし、サウザーは上機嫌であった。
それが意味するところは。
単に私を打ち負かしたかったのか?
全く意味の無い結論に着地する。
そんな馬鹿な。
サウザーとは言葉を交わしたのは、
片方の手で足りるくらいの回数しかない。
それを何故?
一つだけ確かなことは、
サウザーの思惑は私の想定の範囲外にあるということだった。
今の、不甲斐ない自分に何ができるだろうか。
さんには『努力するよ』などと軽く言ったが、
サウザーと渡り合うには役不足にすぎる。
拳の道に入ったときは、ただ強くなることを目的にしていた。
正しい、示された道をひたすらに歩むだけ。
そうして運よく伝承者となれた。
強くなることは、伝承者としては必要な条件である。
しかし、それだけでは十分な条件とは言えない。
理由の分からない敵意を向けるサウザーに、
自分はどう対せば良いのだろうか。
拳の力量ですら格段に劣る自分が。
もっと強くならなければならない。
そうして、サウザーと向き合わねばならない。
今はまだ、諸先輩方が居るから私一人の荷は少ない。
しかし、人が入れ替わってしまえば、
彼と対峙するのは自分の役目となる。
そう自覚することができたことも、
今日は良い教訓を得られたのだと思う。
弱気になるな、と自分を叱咤した。
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