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お師さんを殺した。
殺してしまった。
それが伝承の試験だったとしても、
俺にとっては受け入れがたい現実であった。

しかし、もっと辛い人間がいる。

だ。
は家で一人、帰りを待っている。
俺は疲れきった体に鞭を打って、
お師さんの死体を抱えて家に帰った。

帰ると、は泣きそうな顔で迎えてくれた。
しかし驚いた様子は無かった。
お師さんの死体を、言われるがままに運んだ。
用意してくれた温かいミルクを飲むと少し落ち着いて、
疑問を口にした。

「なあ、
 お前はこんなことになると知っていたのか?」

の答えはイエス、だった。
はお師さんから、今日のことを聞かされていた。
それでいて止めなかった。
詰ると口論になりそうだったので、俺は口を閉じた。

その間に夕食の用意をしてくれたので、食べた。
当たり前のように二人分しかなかった。
腹立たしかった。
それと同時に、
お師さんがいない日は今までだっていくらもあったのに、
二人の食事はやたらと寂しかった。

寂しい。
それがそのときの一番の感情だった。
俺はお師さんが死んだ悲しみを誰かと共有したかったし、
それは一緒に育てられた以外に考えられなかった。

「――……、これからお前はどうするんだ」

俺はに尋ねた。
それくらいしか、話題が思いつかなかった。
それを会話の端緒にしたかった。

「私は、サウザー様を助けるために育てられました。
 暫くここに残ります」

おおよそ感情の感じられない、冷たい声だった。
それに“様”と敬語。
今までそんな口調だった例は無いのに。

「何だ、その口調は」

何故、そんなに他人行儀に言うのか。

「ですから、私は……」

変わらない。
変えるつもりも無いようだ。
笑いがこみ上げてきた。

「そうか、そうか……。
 お前が俺と同じようにお師さんを慕っていると思っていたのは、
 俺だけだったのだな!」

最後は怒鳴っていた。
我慢できなかった。
は困ったような顔をしている。

俺は舌打ちをして、リビングを出た。
そんなことがしたい訳ではなかった。
が今までどおり、
いつもと同じように話してくれていれば、
そんな酷い態度にも出なかっただろうと思う。

次の日、いつもであれば朝食の用意なんかをしてやっていたが、
それもやめた。
はそれを当て込んでいるとばかり思っていたが、そうでもなかった。

次の日も、その次の日も、
俺は何もしなかったが、も何も言わなかった。
口にする言葉も敬語のままである。

俺は一人になってしまった。

家族ではないのだから、
からお師さんの葬儀関連の書類を奪った。
こんな軽い葬儀では困る。
もっと立派な葬儀にしなければ。

そのためには、足りないものが沢山ありすぎた。
準備が整う前に、お師さんの体が腐敗してしまう。
そこで、に防腐処理ができる業者を探させることにした。
俺は俺で、
南斗の頂点である鳳凰拳の伝承者としての職責を全うしなければならなかった。






それ以来、に雑用を押し付けている。
家のことは万事に詳しいので、完全に任せてしまっている。

その間に、俺は鳳凰拳に従う流派に顔を見せて回ったり、
他の六聖拳の伝承者に挨拶に行ったり、
稽古をしたりして時間を使った。

は文句一つ言わない。
俺が女を連れ込んだり、
帰らなかったりしても何も言わない。

何をしても、はまるっきり他人の顔をしている。

だから、俺もそうすることにした。
仕事は方向性だけ決めて、面倒な部分は全てにおしつけた。
車の免許が取れる年齢になったので、取らせた。
そこにの意思は無い。
それでもは文句を言わない。

が免許を取ったのを機に、
雇っていた運転手を解雇した。
その方が効率的だからである。
それまで家に張り付きだったに運転させて、
外出することが増えた。

そんな状態で、六聖拳の人間が集まる会議を開いたときのことである。
俺はに会議用の資料の作成を任せて、
会議の直前に書類に目を通していた。
出来は問題ない。
会議自体も特にもめる内容でもなく、
スムーズに終わったので俺はさっさと帰る準備をした。

が遅いので、
会議室に戻って少し驚いた。
白鷺拳のシュウと楽しそうに話をしている。

楽しそうに。

無性に腹が立った。

、何を愚図愚図している」

腹が立ったから、口調も刺々しいものになった。
は驚いたようで「すみません」と謝った。
そんな謝罪が欲しいわけではない。

「どうも私が発言しないから心配してくれていたようだ。
 良い秘書をお持ちのようだな」

心配。
俺があれほど苦しんでいたときには、
追い討ちをかけるように他人行儀に振舞ったのに。
「それはどうも」と適当な返事をして、
には車を早く用意しろと命令した。

帰り道、車を運転するをバックミラー越しに眺めていた。
当然ではあるが、真剣に前を見ている。

俺よりもシュウが良いのか。
腹が立つ。

「――……白鷺拳と交流試合でもするか。
 手配しておけ」

は「はい」と短く返事した。
当然笑顔は無い。
俺は興味が無くなって、窓の外へ視線を移した。

後日、から日程調整の相談があって、
交流試合が実現することとなった。
俺に弟子は居ないので、
関連する流派から適当に人を選んだ。
そのことはシュウにも伝わっていたようで、
試合に出てきた人間は白鷺拳以外の人間も混じっていた。

「よろしく頼む」

シュウが笑顔で、手を差し出す。
俺は形だけ「こちらこそ」と返事して、その手を握り返してやった。
握りつぶしてやりたかった。

試合は五分五分の、見応えのあるものになった。
俺は眺めているだけで、が雑務を取り仕切っている。
白鷺拳側は、シュウが自ら試合に出る者に声をかけている。

俺とシュウの番になった。
試合であるが、命をかけるようなものではない。

しかし、俺は手加減してやる気はさらさらなかった。

何を思ったのか、シュウは最初から手を抜いていた。
甘く見られていると知り、余計に腹が立った。
途中から気合を入れなおしたようだが、何事にも流れがある。
試合は圧勝だった。
白鷺拳の伝承者が、聞いて呆れる。
殺してやることすら簡単だったのではないかと思う。

「強いな、私もまだまだ鍛錬が必要だ」

シュウは試合後、そんなことを言っていた。
俺は「いやいや」と適当に相槌を打った。

帰りの車で、以前と同じようにバックミラー越しにの顔を見た。
シュウが目の前であれほど叩きのめされたからだろうか。
無様に打たれる姿をみたからだろうか。
顔色が悪い。

それで良い。

満足して、視線を車の外へ移した。
俺は強い。
久しぶりに良い気分だった。