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物心ついた頃、私はオウガイの元に養子に出された。
拳を学ばされた。
血のつながりがあるはずの祖父は厳しいばかりで、
私は毎日泣いてばかりいた。
沢山の勉強をした。
昼間に拳を学んで、残った時間で勉強をする。
眠くて、辛くて、やっぱり私は泣いてばかりいた。
そんなとき、サウザーは私の気がまぎれるように構ってくれた。
お菓子を一緒に食べたり、
本を読んでもらったり、
私はサウザーにべったりくっついていた。
印象に残っているのは、迷子になったときのことである。
サウザーが手を引いて歩いてくれた。
彼も迷っていたはずなのに、
やっぱり泣いてばかりいる私の手をしっかりと握り、
そうしてなんとかオウガイに迎えに来てもらったときには、
二人してわんわんと泣いた。
成長して、私はなんとなく自分の存在する意味を察した。
祖父や実の父が厳しいのは、
南斗鳳凰拳という南斗の頂点に立つ男にお近づきになるためであり、
私は彼らの道具に過ぎなかった。
血のつながりの無いオウガイは、私を可愛がってくれた。
道具としてではなく、子の一人として。
サウザーが私の世話を焼いてくれたのは、
彼がわが子として私を扱ってくれたからに違い無い。
私は、彼こそが本当の“おとうさん”だと思った。
なんとか、彼の愛情に応えたかった。
だから、拳の稽古にも耐えた。
勉強もした。
褒めてもらえると、嬉しかった。
だから、鳳凰拳の伝承の課題が師父を超えることで、
師父が死ぬことによって達成されるのだと聞いたとき、
私は驚くことしかできなかった。
『自由に生きると良い』
その言葉が、悲しかった。
私は自分がサウザーのために貰われた子だということを知っていたが、
それからも解放してくれるのだと思うと、
嬉しかったし、さびしくもあった。
どう受け止めればよいのか、よく分からなかった。
おとうさんの手は、随分と細くなっていた。
もう決して若くない。
「よろしく頼むよ」
おとうさんの頼みである。
断るいかなる理由も無かった。
サウザーを支える。
私は、私の役目をしっかりと把握した。
幸い、サウザーは強い。
サウザーは賢い。
私の助けなど、すぐに必要としなくなるだろう。
おとうさんの願いは簡単に叶えられるはずだった。
次の日、稽古から戻ってきたサウザーの顔色は蒼白だった。
おとうさんの亡骸を抱え、玄関に立ち尽くしている。
「おかえりなさい」
サウザーの顔色があまりに酷かったので、
私はうまく言葉が出なかった。
取り急ぎ遺体を寝室に移し、
サウザーには落ち着いてもらうために砂糖たっぷりの温かいミルクを用意し、
言われていた葬儀の手順を思い浮かべながら、
ゆっくりとカップを口に運ぶサウザーを眺めていた。
「お師さんが……」
口を開きかけて、頭を抱える。
泣きそうなのを必死でこらえているせいで、
眉間から額にかけてくしゃくしゃと皺ができている。
「なあ、
。
お前はこんなことになると知っていたのか?」
その顔で、私を見る。
私はおとうさんがサウザーを可愛がっていたことも知っていたし、
サウザーがおとうさんを慕っていたことも知っていた。
だから、彼が動揺するのも無理は無いことだと思った。
「昨日、聞いた」
「どうして止めてくれなかった!」
空になったカップを、サウザーは勢い良く机に置いた。
がたん、と机が揺れる。
「それが伝承の定めだって聞いたから。
そういうものなんだよ、っておとうさんが言ったから……」
「だからって!」
サウザーがぐしゃぐしゃと、頭をかいた。
整えたばかりの髪が、また乱れる。
「お前はお師さんのことが大事じゃなかったのか!?」
「そんな訳ない!」
感情的に返してしまった。
サウザーは泣きそうな、怒ったような顔で俯いてしまった。
泣きたいのはこちらだって同じだ。
私も父と思った人を亡くした。
それも、サウザーが殺したのだと知っている。
それはおとうさんが望んだ結末だったから我慢しているのに!
沈黙が流れた。
私は一度深呼吸してから、
用意してあった夕食を出した。
二人で無言で食べた。
砂を噛むようで、全く味の無い夕食だった。
二人で皿を片付けて、
お茶を用意して無言で飲む。
いつもならばおとうさんがここに居て、
今日は何があったのか、と聞いてくれるのだが。
「――……
、これからお前はどうするんだ」
視線はこちらに向けないまま、サウザーがぽつりと言った。
『よろしく頼むよ』
私はおとうさんの言葉を思い出した。
そうだ。
私は、取り乱したサウザーを支えるために残るのだった。
「私は、サウザーを助けるために育てられました。
暫くここに残ります」
思った以上に冷たい声が出た。
そのために私は育てられたのだから。
おとうさんとの、期限付きの約束。
区切りは必要である。
もう、兄と妹のような関係ではないのだ。
役目を果たすべき、それなりの態度というものがある。
サウザーは奇妙な物を見るような目で、こちらを見た。
「何だ、その口調は」
「ですから、私は……」
言葉を続ける前に、サウザーは笑い出した。
箍が外れたような笑いだった。
その笑いの合間に、苦しそうに口を開いた。
「そうか、そうか……。
お前が俺と同じようにお師さんを慕っていると思っていたのは、
俺だけだったのだな!」
最後は怒鳴り声だった。
憎悪のこもった、今まで見たこともないような目で、
サウザーが私をにらむ。
「良い。
勝手にしろ。
俺は疲れたから休む」
そのまま、舌打ちしながらサウザーはリビングを出て行った。
喧嘩をしたときはそうやって、
殴り合いになる前にいつもサウザーが引いてくれる。
私は次の朝にはまた、
いつも通りばつが悪そうに、
サウザーが朝食を用意してくれているものだと思って何も言わなかった。
その期待は、裏切られた。
次の朝も、その次の朝も、
サウザーは何も言わなかった。
私が遅れて用意した朝食を、目が覚めた時間に摂っている。
分担していた家事はすっかり何もしなくなったので、
私が全てすることになってしまった。
おとうさんから頼まれていた葬儀の手配は、
全てサウザーがすると言って書類を持っていってしまった。
しかし、それらをどうにかしている気配は無い。
「
」
だから、その日名前を呼ばれたときは、
「悪かった」と後ろに続くのかと思って期待していた。
「はい?」
「死体の防腐処理が出来る業者を探しておけ」
出かける、とサウザーはそのまま家を出て行った。
私は呆然と、その背中を見送った。
サウザーは変わってしまった。
そうして、一人で道を進んでいってしまう。
一人取り残された気分がした。
おとうさんも、こうなることは予想していなかったに違いない。
私はどうしたらよいのか、さっぱり分からなくなった。
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