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私は鳳凰拳を伝承した。
それはいわば場つなぎ的な、
次の正当な伝承者に技を伝えるためだけの伝承である。
先代は次代に拳を伝承するには老い過ぎていた。

サウザーを拾ったという名目で預かったのは、
そういう理由からである。
彼は鳳凰拳の正当な伝承者。
頂点に立つべき子である。
その南斗の未来を背負う子を、私は大切に育てた。

サウザーが一人で留守番できるようになった頃、
私はある家を訪ねた。
その家は代々鳳凰拳に連なる拳の伝承者を輩出し、
また伝承者とならずとも、
才能ある若者を輩出する家だった。

「ははあ、子どもを、ですか」

当主は渋い顔をした。

「次の鳳凰拳の伝承者となるべき子の、
 無二の友人を作ってやりたいのです」

彼が渋るのは尤もなことである。
何せ、子を一人寄越せと言うのだから。
しかし、そう理解した私をあざ笑うかのように、
彼はその話に興味を持ったようだった。

私が出した条件は二つきりである。
一つは、伝承者の血を二代以内で受け継いでいること。
才能とはある程度、生まれに左右される。
拳を修められるような子を探していた。
もう一つは、サウザーと同じ年頃であることである。

「……仕方ありません。
 鳳凰拳の伝承者たってのお願いです。
 しかし、条件に当てはまるのは一人で、しかも女なのです」

「構いません」

現に、女性でも頭角を現している拳士も居る。
断る理由は無い。

「でしたら、数日中にお連れいたしましょう」

「母君は納得されるので?」

「させましょう」

そういうことになった。

数日後、子どもが一人つれてこられた。
名前をという、かわいらしい女の子である。
年はサウザーよりも少し下。
祖父に伝承者を持つ、
私が出した条件にぴったり合った女の子だった。

「よろしく頼むよ」

そういって、私はその小さな手を両手で包んだ。
彼女は不安げに私を見上げていた。

サウザーは突然増えた家族に最初は戸惑っていた様子だったが、
次第に自分が兄だという自覚が芽生えたらしく、
何くれと世話を焼くようになった。
もサウザーになついた。
二人で並んで本を読んでいるところなど、
本当の兄妹のようだった。

私はサウザーに対して、立派な伝承者となるべく教育を施した。
拳の稽古は勿論のこと、
その力を有意義に使えるよう学業にも力を入れさせた。
更に、頂点に立つものとしての心得も学ぶよう配慮した。

に対しては、その補佐となれるよう教育を施した。
ある程度の武術は身につけてもらわねばならないので、
引退していた彼女の祖父に稽古をつけてもらった。
そうして、サウザーの助けとなれるよう沢山の課題を与えた。

「サウザーを助けてあげられるようになるのだよ」

小さい、それも女の子に向かって言うには酷な言葉だったかもしれないが、
は笑顔で「うん」と元気よく返事をしてくれた。





それから月日が流れた。
は祖父の死後、現伝承者に習い、
彼からの太鼓判を得られる程度の腕前になった。

サウザーには日々、その成長に驚かされるばかりである。
もう十分に、私の腕を越えた。
そろそろ、伝承の次期だった。
私はにその方法を伝え、
そして、サウザーを支えてやってほしいと伝えねばならなかった。

サウザーは無類の強さを持っていたが、
細やかな神経の持ち主でもあった。
私を殺した後、一人でその重圧に耐えるのは非常な苦しみを伴うだろう。

はその助けとするために預かった子であったし、
彼女の家の人間はそうして鳳凰拳の伝承者の側近に対し、
影響力を持つことを狙っている。
そういう約束だった。

しかし、誤算があった。

私はも可愛い己の子だと思うようになっていた。
サウザーには私が持てる拳の全てを伝授した。
だから後悔は無い。
しかし、には酷いことばかり言っている。
彼女の人生を踏みにじろうとしている。

私は困りきったが、
一度他者を巻き込んだ計画を反故にすることもできず、
全てを話してにお願いをすることにした。

サウザーに用を言いつけて、
と二人でリビングで向かい合って座った。
聡い子なので、何かしら感づいているらしい。
話を聞くべく、先ほどから待ってくれている。

「もうすぐ、サウザーが鳳凰拳の伝承者となる。
 そして、それと同時に私は死ぬ。
 そういう定めなのだ」

は驚いたようだった。
無理も無い。

「他に方法は無いの?」

「無い。
 そういうものなのだと理解してほしい。
 それで、には私の死後、
 サウザーをしっかりと助けてやってほしいのだ」

私はじっとの顔を見つめていた。
は驚いた顔から、ふっと笑みを作った。

「……ずっと聞いていた言葉は、
 そういう意味だったのね。
 私も南斗の拳を学ぶ者の端くれだもの。
 頑張るね、おとうさん」

は私を“おとうさん”と呼ぶ。
こんなに酷いことをお願いしているのに、
私を“おとうさん”と。

「サウザーは強い、賢い子だから、
 すぐにきっと一人でも大丈夫になるだろう。
 そうしたら、は好きに生きると良い」

自由に生きてほしい。
それがに望むこと。
出来損ないの父として、娘に望むことである。

「不甲斐ない父で、面目ない」

つい苦笑すると、はふるふると首を横に振った。

「そんなことないよ。
 家に残されてたら、
 誰とも知らない適当な伝承者のところへ嫁に出される所だった。
 ここで勉強したり、拳を学んだりするのは辛いときもあったけど、
 でも、幸せなことなんだと思う」

の姉や妹、従姉妹が嫁いだ先は、
私が知る限りでは全て南斗のいずれかの流派の伝承者ばかりである。
つまり、あの当主が縁組をしているのである。
そこに、自由は無い。

「それにね、お父さんにお別れできるのは私だけでしょ?
 あとでサウザーに自慢してやるんだから」

にしし、とが意地悪そうに笑った。
無理に笑ってくれているらしい。
その心遣いに、私が泣いてしまいそうだった。

「よろしく頼むよ」

私はがこの家に来たときと同じように、
両手でその手を包み込んだ。
あのときよりも、随分と大きくなった。
女性の手にしては、拳を学んだせいで随分と逞しい。
苦労が全てしみこんだ手である。

「お父さん、本当にいままでありがとう」

もう一方の手を、が添えてくれた。
笑顔である。
私はやっとと本当の父と娘になれた気がした。

次の朝、私は晴れ晴れとした気持ちで屋敷を出た。
が珍しく見送ってくれている。

今日はサウザーが伝承者となる日である。
そうして、私の命日となる。

満足だ。
思い残すことは何も無い。
こんな立派な伝承者を育てられたことが、
そうして娘に見送られることが、
これほど幸せなことだと初めて知ったのだった。