Cassandra


はやっとの思いで十字陵の八合目付近までたどりついた。
とにかく息を整えて休むしかない。
斜面を急いで這い登る自分の姿を思うと、
黒光りする甲虫Gになった気分だ。

シュウが死亡したことになった今、
ケンシロウとサウザーの戦闘の火蓋が切って落されたはずである。
少し原作から離れたが、多少の違いは大勢に影響はない。
それは自分という存在で証明されている。
サウザーには闘うなと言っておいたが、
それくらいで未来が変えられないことも何度も試したから知っている。

アルマたちはサウザーとケンシロウの戦いに注目が集まる中、
裏側をゆっくりと下りる算段のようである。
早く降りよう、とアルマが身振りで指示を出す。
は首を横に振った。

そして、顔を背ける。
今、声を出すことは出来ない。
サウザーに気取られるのが一番厄介だからである。
アルマ達はナメクジのような速さでじわり、と移動した。
放っていってくれて良い。

(お願いケンシロウ……!)

は原作を通読していたときよりも、
ずっと真剣にケンシロウの勝利を祈った。
サウザーを殺さずに止められるのは、
この場においてはケンシロウただ一人である。
トキやラオウにはそんな説明ができていない。

ごご、と音がして別の面の壁が動いたようだった。
オウガイの遺体とのご対面は避けられたようである。
音からして、角を曲がればすぐだろう。
はじりじりと、聖室に向かって移動を開始する。

「あそびはこれまでだ!
 死ね、ケンシロウ!」

サウザーの声が聞こえる。
秘孔の正しい位置を知って尚殺していないということは、
ケンシロウはまだサウザーを生かすことを考えてくれている。
そう思うことにする。

そういえば、サウザーは頂上に立って構えを取るはずだ。
原作ではシュウの墓標の上ということであり、
彼の人でなし部分が強調されるシーンである。

は移動を中断し、頂上を見上げた。
暫くして、サウザーがふわり、と宙を舞って頂上に着地した。
稲光とともに、雹が降り始める。
もうすぐだ。
もうすぐサウザーは敗北する。

サウザーが再び跳躍する。
は泣きそうになりながらじわり、と移動を開始した。
足を踏み外して落ちてしまうのではないかという不安があるが、
それよりも何よりも、
サウザーが生き残ることを自分の目で確認したかった。

オウガイのミイラ化死体を見たい訳ではないが、
は聖室に入り込んだ。
そこが一番目立たず、楽に居られるからである。
座禅を組むオウガイに向かって手を合わせ、一心に願った。

サウザーが死にませんように、と。

「帝王に逃走はないのだー!!」

叫び声が聞こえる。
ケンシロウの雄叫びと、鈍い音。






サウザーは己の敗北を認めざるを得なかった。
やはりの予言は当たる。

「きさま……苦痛を生まぬ有情拳を……」

何故情をかける。
否、それほど哀れな存在だということか。

「愛や情は哀しみしか生まぬ……
 なのになぜ、お前はそれを背負おうとする」

「哀しみや苦しみだけではない。
 おまえもぬくもりを覚えているはずだ。
 今もそこに居る人のことを」

ケンシロウが聖室を指差す。
振り返ってみると、
そこからひょっこりとが顔を出している。

……!?」

「二日ほど激痛が続くだろうが、死にはせん。
 それが彼女との約束だ。
 “聖帝”はここに死んだ。
 それで良いだろう」

はサウザーを見て、
ボロボロと泣きながら這うようにして聖室から出てきた。
危なっかしいことこの上ない。
それでも一歩ずつ近付いて、サウザーを抱きしめた。

「良かった……本当に良かった……!」

「何故貴様がここに居る!?」

「戻るって言ったでしょうが!」

がワンワン泣く。
泣くと更に不細工なのに。

「そうだ、ケンシロウさん、裏手にシュウさんがいます。
 怪我してるところ悪いんですけど、
 あっちも重傷だから手当てお願いします」

つっかえつっかえそう言うと、ケンシロウは微笑んだ。

「分かった」

ケンシロウが駆けてゆく。
やはりが特別のろまなのだ。
落ち着くと、次第に宣言された通りに、
じわりと痛みがサウザーを襲い始める。

「ぐぬ……貴様のせいで死に損なったわ!」

「そのために居るって最初っから言ってたのに!」

阿呆!馬鹿!マヌケ!とが言う。
死に損ない、野望も潰えたが、は戻ってきた。
おそらく思いつく限りの罵詈雑言を浴びせかけてくるを見て、
おかしくなって少し笑った。

「笑い事じゃない!!」

「そうだな」

少ししびれる手で、サウザーは尻のポケットから勲章を取り出した。
南斗鳳凰拳伝承者の、将星の胸を飾るべき勲章である。
予定外に苦戦したので傷でも入ったかと思ったが、
そうでもなかった。

「これを返す。
 他の褒美は悪いがすぐに用意できそうにないな」

の前に出してやる。





「コーングラッツレーイショーン!!!」

場違いな、底抜けに明るい声が突然耳に飛び込んできた。

「素晴らしい!
 見事目標を達成されましたね!
 おめでとうございます!」

の感動はこの軽薄な声に邪魔された。
いつぞやの金と赤の正月特番を思わせる色合いの男が目の前に居る。
また紙ふぶきが舞っている。
前回と違うのはの腕の中にはサウザーが居り、
その手にはあの勲章が握られている。
しかし、微動だにしない。
時間が止まっているようで、
風に靡くラオウのマントも硬直している。

「見てましたよ、ご・活・躍♪
 いやあ、序盤はどうなることかと思いましたけど、
 後半の猛スパートで帳尻合わせましたね。
 ギャラリーとしてはその猛チャージ、
 ドラマがあって良かったです」

は怒りで震える、という感覚を始めて体験した。
こいつは人を何だと思っているのだろうか。

「おや、そんな怖い顔しないでくださいよ。
 お約束どおり迎えに来たんですから!
 どうされますか、戻っちゃいますか?
 今なら成功特典で使い果たした運も補填しときますよ」

「……戻ったら、サウザーは?」

やっとの思いで助けた命である。
それ以上の情がある。

「この世界は貴方の希望を叶えた世界として、
 このままコレクションとなります。
 良いじゃないですか、別に。
 ただの物語の登場人物にすぎません。
 あ、すっぱり忘れることも出来ますよ」

無かったことになど……できるわけが無い。
しかし。
戻らなければ元の世界のはどうなるのか?

「あ、その顔は迷ってますね?
 この世界に残るなら、ここはそのまま存続します。
 貴女が死んでも、ずっと。
 ですが元の世界の貴女は落雷で死んだ不運な女性となりますね」

……死ぬのか。
は腕の中のサウザーを見下ろした。
苦笑しながら勲章を差し出している。

「どうしちゃいますかー?」

男はわざわざ移動して、サウザーを眺めるの視界に入ってきた。