Cassandra
はぼんやりと窓の外を眺めていた。
磨き上げられた窓ガラスに自分の顔が映っていることに気がつき、
首筋にはっきり残る赤い痕に気が付いてげんなりした。
思いを遂げて幸せというよりは、
一線を越えてしまった、という後悔。
初日に噛み付いた部分を、サウザーは何度も噛む。
のど笛噛み千切られるのかと思ったが、
そういう訳でもないらしい。
だるいのは夜中に激しい運動を強いられるからで、
きちんと睡眠が取れればおそらく問題は無い。
サウザーは
の部屋に泊まるようになったが、
この世界にやってきた、という発言については全く触れなかった。
話題に出ないので信じているのかどうかも分からない。
しかし、
「“お前”に会いに来てやったぞ」
と言うあたり、どうやら話は聞いていてくれたらしい。
口角を吊り上げてにやにやと笑う顔は完全に悪人である。
しかし、抱き合っているときは幸せで安心だと思う。
度し難いのは彼ではなく、自分だろう。
シュウがもうすぐ帰還するという話を聞いた。
アルマが教えてくれた。
彼は
が部屋を移ったこと、サナが死んだこと、
そして首筋の痕を知って事態を把握したようだったが、
それらに触れることは無かった。
彼の優しさが居心地を悪くする。
シュウは帰還して、
おそらく最速のタイミングで面会を入れてくれた。
部屋に入るなり申し訳なさそうに「すまない」と謝罪された。
「何も謝ってもらうことはありません」
「アルマから聞いている。
言いたくないこともあるだろう。
しかし……流石に我慢の限界というものがある」
ぎり、とシュウは拳を握った。
手の甲の血管が浮き出る。
よほど強く握っているようで白くなってしまっている。
「シュウさん、落ち着いてください。
私は大丈夫ですから」
何せ、サウザーの事を嫌いではないのだから。
「いいや、そう無理に言わなくても良いのだ」
怒りは心の目を曇らせるのだろうか?
それとも、
傍から見れば精神に異常をきたしているように見えるのだろうか?
「一番避けたいのはシュウさんの離脱なんです。
ですから、お願いします」
「……
さんにばかり辛い思いをさせている」
「そんなことありません」
そんな不毛な会話になってしまった。
しかし、もうシュウの我慢も限界のようだ。
そのうち彼はサウザーの元を離れるだろう。
予言を信じてくれるようになったというのに、
の努力は実らず、漫画の通りに。
彼の顔を見ていると、考えるのをやめていた現実が迫ってくる。
レジスタンスとなれば、
きっとシュウはケンシロウに出会うのだろう。
そうしてケンシロウはサウザーに戦いを挑み、サウザーは死ぬ。
阻止するには、それ以前にケンシロウに接触する必要がある。
もしサウザーの所に残ったならば、
牢につながれたケンシロウに接触できるかもしれない。
しかし彼はそんな話が聞ける状態ではなかったはずだ。
残っていた蹄からラオウの気配を知ったはずだ。
助けられても気絶していて気づかないほどである。
今の待遇を考えても、
ケンシロウに近づける可能性は限りなくゼロに近い。
では、シュウについていけばどうだろうか。
一度目のサウザー戦の前にアジトに招かれていたはずだし、
その後もシバの犠牲のもと逃げ出し、
ラオウの力を借りて帰還する。
その後何とか復活して十字稜でサウザーとの二回戦である。
確実にメッセージを伝えるならば、完全にシュウについた方が良い。
「サウザーを殺してくれるな」と
が願い出て、
ケンシロウがそれを実現してくれるかどうかは不明だが。
では、そのシュウを助けるにはどうしたら良いだろうか。
人質を盾に燻り出されたシュウはサウザーに捕えられ、
聖碑を運ばされた後にサウザーが投げた槍に倒れる。
サウザー側についた場合はほぼ打つ手が無い。
が十字稜完成イベントの準備に参加できる訳がないし、
シュウを逃がすなどという芸当ができるとは思えない。
誰か協力者を募って何とか逃がしてくれとお願いするくらいである。
次に、シュウ側についた場合である。
こちらも殆ど打つ手は無いが、
サウザー側についたよりも行動の制限は緩いはずである。
(……シュウについていくしかない、のか)
“サウザーを生かす”という大目標のためには、
一時的に離れる方が確率が高そうだ。
触れて初めてサウザーという人間がそこに存在するのだと知った。
知ると、あの慟哭が脳裏によみがえってくる。
安穏とした生活を送る権利が彼にもあったはずだ、と。
生き残ることで穏やかな生活が得られると確約はできないが、
原作どおりに死ねばその可能性は潰える。
元の世界に戻るためという最終的な目標以前に、
彼を死なせたくないと今更強く思う。
傍に居ることに幸せを感じ始めていたが、
生き残ってもらうためには一度離脱する方がまだ可能性がある。
死ぬことを恐れて何の行動も起さず、
本人に詰め寄るようなこともせず、
楽しくランチをして、
流されるままに肌を合わせる程のんびりしていた自分が恥ずかしい。
出来る手は今すぐ全て打たなければ。
はすべきことを頭の中に大急ぎでリストアップする。
(サウザーは離脱することを許してくれるだろうか)
おそらく許さない。
もしかすると話した瞬間殺されるかもしれない。
裏切りは決して許さない男である。
どうにかして回避しなければ。
どうしたら。
はポケットの勲章を握り締めた。
「サウザー、さすがにやりすぎではないか?」
シュウが珍しく強い調子でサウザーに意見した。
何を隠しているのか、帰還しても暫く顔を見せなかった。
その理由を問い詰めてやろうかと思ったが、顔を見て理解した。
「何が問題なのだ。
兵が足りぬ」
あちこちで味方の戦死者を山ほど出してきたのはシュウである。
その戦死報告も、少し疑わしい。
生きている人間を死んだと報告して、
反乱を起す準備をしている可能性が高い。
「大人の扱いだけではない。
未来ある子ども達まで……彼らが一体何をしたというのだ!」
一々口を挟んできたのは、
占領した領地の民の扱いに対して文句があるかららしい。
成人男子は兵士に、老人や女子どもは町に残す。
反乱を起せぬように。
そうして、その使えぬ兵士を盾に更に領土拡大を目指す。
生き残れるようならば多少鍛えてやっても良い。
ゆくゆくはその残された子どもにも使い道がある。
その、子どもを使うというところにキレたらしい。
「何も貴様の子をすぐに戦地に送り込む、という話ではない。
今のうちに白鷺拳でも教え込んでおけ」
「そういう問題ではない!
彼らは未来を背負って立つ、かけがえの無い財産だろう!」
未来。
が見る未来では、サウザーは死ぬらしい。
シュウは。
シュウは生き残るのだろうか?
「カスがいくら集まろうと、所詮はカス。
力ある者と力なき者を選別して何が悪い」
シュウは傷痕の目立つ顔を顰め、そして首を横に振った。
「悪いが、もう付き合いきれぬ」
「貴様のその目で何が見えるというのだ」
「お前とは違う景色が見える。
私は何があってもサウザー、お前を止めてみせる」
「できるものならやって見せてみろ」
「私の兵は連れてゆく。
構わぬだろう?
無論、
さんもだ」
を?
「ふざけるな」
「ふざけているのはお前だ、サウザー。
貴様は彼女に何をした?
お前を生かすのだと言ったか弱い女性に、
一体どれほどの不自由と苦痛を強いたのだ!」
シュウは「さらばだ」と部屋を出て行った。
を抱いたのは合意の上の話であり、
別に不満は聞いていない。
は俺を選んだ。
そうは思ったものの、何故か不安が襲ってきた。
シュウの部下出入りがここ最近増えたという話は聞いているが、
今すぐ出て行く準備が整っているという話は聞いていない。
早くとも出立は明日になるだろう。
(
は俺を選ぶはずだ)
サウザーは部下にシュウの手勢抜きの兵力の計算を急がせ、
私兵の実践投入の時期を早めるよう手配させ、
自分は急いで
の部屋に向かったのだった。
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