Cassandra


急にが大人しくなったので、サウザーは唇を離した。
きつく目を瞑ったは、再び震えていた。

「――…俺から逃げるのか?」

サウザーが言うと、はうっすらと目を開けた。
こちらを見上げ、唇を噛む。
頬を涙が流れ落ちていく。

「それほど嫌か」

当然の反応だろうと思う。
何の情も無い男に押し倒されて、喜ぶ女は少ない。
そうと知っていてこの方法を選んだ。
女としての尊厳を一番傷つける方法だと思ったから。
耐えてまで、それでも残ると言うだろうか。
サウザーを生かすために居るのだ、と。

の言葉はどこまで本気なのかを測るために。

どうせ拒まれるならば、無茶苦茶に壊してしまいたい。
そんな気持ちも少なからずある。

「――…サナさんの代わりになるのは嫌です」

酷く弱々しい声では言った。

「逃げる訳無いですよ……私の命もかかってるんですから」

吐き捨てるように言って、はふいと横を向いた。
サウザーの顔は見たくないらしい。

「一蓮托生ということか?」

「そんな運命感じちゃうような物じゃないですよ」

いままでのヘラヘラした笑みではなく、自嘲するような笑み。

「何もしなければ、サウザー様は予定通り死にます。
 そうなると、私は元の世界に戻れないだけです」

「どういう意味だ?」

「私、別の世界から来たんですよ。
 信じてもらえる訳が無いからずっと黙ってましたけど。
 予言じゃなくて、物語を知っているだけなんです」

よく分からない神の導きでこちらの世界に来たのだ、と。
元の世界に戻る条件はサウザーの命を救うこと。
はつっかえながら説明した。

「これが予言する理由とカラクリです。
 逃げる訳無いでしょう?」

はか細く息を吐いた。

「その予言も、まともに取り合ってくれたのはサウザー様だけで。
 どれだけ嬉しかったか。
 でも、愛なんかいらない人ですもんね。
 私はサナさんの身代わりになるのは嫌なんです。
 きちんと今までどおり予言もしますから。
 だから、はなしてください」

愛などいらぬ。

いつそのセリフをに聞かせただろうか。
確かに、そう思っている。
別に喧伝している訳ではないが、聞かれればそう答える。

「お願いです」

傷つけて試そうとしたのはサウザー自身であったが、
思わぬ方向に話が転がった。

やっとが何故サウザーを生かそうとし、
そして未来をどうやって見るのかを説明した。
そのどちらも、到底信じられるものではない。
他所の世界から来て、物語を知っている?
そんな馬鹿な話があるか。
聞いたのが間違いだった。

もしの望みである“サウザーを生かす”ことを達成したら、
は元の世界に帰るというのだろうか。
だから――…だから褒美はいらないというのか。
が非常に無欲なのも、元の世界に帰るからなのか?

荒唐無稽な話である。
しかし、の予言は今の所全て当たっている。
信じるとまではいかずとも、
可能性の一つくらいには考える必要があるだろう。

どうせ帰ってしまうならば、
誰の手にも渡すことなく独り占めしてしまいたい。
しかし、それ以上に。

逃がしたくない。


へらへらと、何の緊張感も無い女である。
触れると壊れてしまいそうなほどもろい女である。
サウザーが身体を離すと、
はもぞもぞと這うようにして逃げようとしたが、
そのままベッドから落ちかけたので真ん中まで引き戻した。






身体にかかる圧力が無くなったので、
はこれ幸いとサウザーの下から這い出した。

相手は“愛などいらぬ”などとのたまうサウザーである。
一時の慰み者なんかになりたくなかったし、
それで放逐されでもしたら、
はそれこそ元の世界に戻る糸口を完全に失う。

あまりに慌てて空中に手をついて落ちかけたが、
サウザーがをベッドの真ん中まで引き戻した。

(嘘つき!)

は思ったが、
サウザーはを抱きかかえてごろりと横になった。

「今日の所は諦めてやるから、寝ろ」

「この状態でですか」

「悪いか」

「それはもう」

「俺が譲歩してやったというのにまだ言うか」

「……」

サウザーはそれきり無言になった。
言い返したところで聞いてくれそうにない。
はその分厚い胸板に額を寄せた。
そうやって寄り添いたいという気持ちはある。

(確か右側に心臓があるんだよなあ……)

耳をつけたわけではないので、
心音の音源がはっきり分かるほどではない。

頑丈な太い腕はがっちりとを押さえているので、
逃げるどころか寝返りも打てない。
もしかすると涎が垂れるかもしれない……と思ったが、諦めた。
寝返りを打たせないようにする方が悪い。

そうしてじっとしていると、
守られている、という実感がじわじわとを満たしていった。
大した理由もなく人を殺すサウザーだが、
自身に対しては最初のリンチ以外には手をあげていない。
嫌味を言われ放題だが、護衛をつけて守り続けてくれている。
それはサウザー本人が切り離してしまいたいと考える、
情に触れているような気がして。

だから離れがたいのだ。

は目を瞑った。
それ以外にすることが無いからである。
安心できる場所だからでもある。
早く眠ってしまいたかった。
目が覚めると全てが夢でした、
という結末が今度こそ実現することを願って眠った。






その場しのぎに抱きしめて横になってみたが、
の馬鹿は本当に眠ってしまった。
警戒心の欠片もない女である。
今もぐりぐりと額を押し付けてきている。

しかし落ち着いて考えてみると、
どうやらはサウザーを慕っているようである。
今日が駄目でもいくらでも機はある。

ちらりと見えた表情は暗く、
よほどサナの死が堪えたものと見える。
その原因の一つが自分なのかもしれないとも少し考えたが、
あまり問題でもなかろう。

しかし、今日は本当に諦めるしかなさそうだった。
今手を出して、完全に拒絶されては元も子もない。
不愉快な気分のまま、少しだけまどろんだ。

「う……ん…」

の寝言で目が覚めた。
窓から差し込む光はまだ早朝の気配である。
昨晩は苦悩に満ちた寝顔をしていただが、
今は幸せそうに涎をたらして眠っている。

何故サナを殺してまでを取ってしまったのだろうか。
悲しいまでに凹凸の無い身体で、
サウザーに一晩我慢することを強い、
涎をたらして眠っているこの馬鹿女を。

ぼんやりしているうちに、だんだんと外が明るくなってゆく。
腕を放したが目覚める気配すらなかったので、
護衛に朝食をこちらに二人分用意するよう命じベッドに戻る。
はまだ幸せそうに眠っている。

鼻をつまむと少しむずがって口を開いたので、
舌を絡めるような濃厚な口付けをしてやった。

「もが……っ!?」

色気の無い声を上げてが目覚める。
たっぷり、じっくり味わってから唇を離すと、
顔を赤くしてわなわなと震えていた。

「何……してるんですか……!」

「起してやったのに文句を言うな」

まだ何か言いたそうにしていたが、
朝食が届いたのでうやむやになった。
シュウの戻りが遅いのはいつも腹立たしく思っていたが、
完全にを手に入れるまでは遅れてくれて一向にかまわない。