Cassandra
絶叫する
を見下ろして、
そういえば血が苦手だったと思い出したが既に遅い。
サウザーはショック状態の
の腕を掴んだが、
びくともしなかった。
へし折って動かすことも可能だがやめておいた。
「
、良いか、俺を見ろ」
ふるふる、と腕の向こうで
が頭を横に振る。
今のところ彼女の予言は当たっているから、
ここで逃げ出されては困る。
「
、こちらを見るんだ」
『サウザー、こちらを見なさい』
初めて人を殺してしまった日、
オウガイはそうやってショックを受けたサウザーを落ち着かせた。
穏やかな声で理をといて。
温かいミルクなんかも用意してあった。
同じ方法で落ち着かせられるとは思わなかったが、
とりあえず試してみるしかない。
そういうのが得意なシュウはここに居ない。
「怪我は無いな?」
今度は縦に頭を振る。
青あざになっている腕の隙間から
の目がサウザーを見た。
忙しなく動いており、激しく動揺していることが分かる。
「俺の目を見せろ。
殺す気があれば貴様もさっさと殺している」
はびくりと一度震えたが、暫くしてゆっくりと手を下ろした。
顔色は青を通り越して白く、
へばりついている血が異様に赤く見えた。
「立てるか」
頭を横に振る。
「ここに残るのだな」
横に。
「ならば立て」
横に力強く。
は視線を下に向けようとしない。
そういえばサナの死体がそのままだったと気が付いた。
血だまりが広がっている。
面倒になってきたので、サウザーは
を抱きかかえた。
思いの外軽い。
そして、震えている。
どれだけ脆いのか。
部屋を出て、別の客室を用意させるよう命じる。
まだ予備はいくらかある。
その指示を出している間に、
は何かを両手を組むようにして、何かを握り締めていた。
その姿は神か何かに祈っているようにも見えた。
サウザーに抱えられて、
は別の部屋に移された。
手の中にはあの勲章がある。
落ち着くかと思ったが、それほどの効果は無い。
すぐに集まってきた女官に風呂に連れて行かれた。
全身にべっとりとへばりついている血液は少し乾き始めている。
女官達は服を脱がすことを諦めたようで、
湯と呼ぶにはぬるすぎる水で粗方の汚れを流した後で、
をそのまま湯船に放り込んだ。
急いで準備された割に、湯加減はばっちりだった。
湯船に浸かりながら、
は勲章を握り締めた。
怖かった。
人が殺される瞬間というのは気分の悪いものだが、
先ほどまで普通に話をしていた人の首が落ちるのは別格だった。
北斗の拳の世界に居るのだ、と。
無数に現れては返り討ちに遭っていたあのモヒカン達のように、
自分も命を失う危険があるのだと思うと、途轍もなく怖かった。
(帰りたい)
久しぶりに、強くそう思った。
サウザーの部下にタコ殴りにされかけて以来だろうか。
随分頑張った。
頑張ったが、
どんなに頑張っても
の努力は全て水泡に帰してしまう。
もう嫌だ。
勲章に強く祈っても変化は無かった。
長く浸かりすぎたせいで湯船の湯はすっかり冷めてしまった。
うっすらと赤いのは、きちんと流さずに入ったからだろう。
身体が温まると、少しだけ落ち着いた。
落ち着くとその湯船も気持ちが悪かったのですぐに出た。
汚れた服を脱いで、念入りに身体を洗い、髪も洗う。
両腕に青あざができているが、今はそれほど痛くない。
興奮しているからだろうか?
湯船から上がると、ふわふわのタオルと着替えが用意されていた。
鼻をすすりながら部屋に戻ると、サウザーがソファに座っていた。
ワインボトルが二本あるところを見ると、
一本開けてもまだ待ってくれていたということだろう。
「落ち着いたか?」
酒を飲んでもあまり顔色の変わらない男である。
「……すみませんでした」
死に対する恐怖は芽生えたが、
サウザーに対する恐怖はあまり変わらなかった。
向かいの席につくよう命じられたので座ると、
すぐに温かい、甘いミルクが運ばれてきた。
「あの女はそろそろ捨てる頃合だった」
サウザーは面倒くさそうに顔を顰める。
「死ぬ必要はこれっぽっちも無かったはずです。
私よりずっと女神らしい見た目をされてましたし」
カップに口をつける。
やさしい香りの湯気が鼻腔をくすぐる。
サウザーとの食事に供される豪華な料理よりも、
この一杯のホットミルクの方が良い。
随分落ち着く。
「あの女は駄目だと何度説明すれば理解する。
まあ、生き返らせることは不可能だから諦めろ」
「でも……!」
別に死んで欲しいほど憎くも思っていなかった。
サウザーの前で泣いたところで、何かが変わるとは思えない。
しかし、涙が出てくるのだった。
「あの女に役目を負わせて、逃げるつもりだったか?」
サウザーがグラスの中身をぐい、と飲み干した。
「俺を生かすためとかぬかしておいて、随分厚い面の皮だな」
それを疑われると、今までのどの嫌味よりも堪える。
「サウザー様には一日でも長く生きてもらいたいですし、
逃げるつもりはありません!」
「逃げぬ、と言ったな?」
ぎろり、とにらまれて少したじろぐ。
やはり殺されるのか、と背中を冷や汗が流れた。
サウザーはグラスを叩きつけるようにテーブルに置き、
を抱え上げて歩き始めた。
先にはベッドがある。
ようやくほぐれかけた緊張が再び張り詰め、
身体が強張って手足が思うように動かない。
「ならば証明してくれるな?
貴様のためにあの女を殺してやったのだ」
投げるように
をベッドに転がして、
サウザーは
の上にまたがった。
「目くらい瞑れ」
顔を近づけてきたサウザーが、薄く笑いながら言った。
押し返そうとしてみたが、びくともしない。
首筋に噛み付くような口付けに、
は呻いた。
「お前は俺の物だ。
誰にも、シュウにも、絶対に渡さん」
嘲るような声でサウザーが言う。
もしこれがいつもの食事の席なら、
おそらく少しは嬉しいと思っただろう。
ただ一人、
の言葉をまともに取り合ってくれるサウザーだから。
自分ではなくサナを平手打ちしたのかと思い少し喜び、
そのサナの首が落ちたことでそれどころではなくなったが、
落ち着くまで待ってくれていたことで少し嬉しくなり、
何の覚悟も無いのに押し倒されるのは少しだけしか嫌ではない。
認めるしかないのだろうか、恋愛感情があることを。
こんなに性格が悪い俺様男相手に抱く感情ではないのに、
サナという美女の場所に自分が納まれるのだと喜ぶ部分もある。
それと同時に、他人を容易く殺す男だと恐怖する部分もある。
自分の頭がおかしいのではないかと思う。
しかし、頭の片隅ではやっぱり嫌だとも思っている。
濃厚なキスを交わしながら、何が嫌なのだろうかと考える。
サナの代用品にされることだろうか。
それに気が付くと唇が触れ合うのも嫌になってしまった。
はサナではない。
誰かの代わりではなく自分を、
を見て欲しい。
それを伝えたいのに言葉がうまく出ない。
はぼろぼろと涙をこぼしながら、きつく目を瞑った。
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