Cassandra


「レイが南斗から離れると言っていたよ」

シュウはそう言って少し寂しげに微笑んだ。
は「そうですか」と暗い顔で言うしかなかった。
レイが離脱したということは、
アイリが消息不明になったということである。

「『あの時は信じる事ができなくてすまない』と言っていた。
 私も今までずっとまともに取り合わなかったことを申し訳なく思う」

「仕方無いことだと思います。
 私がシュウ様の立場だったとしたら、同じように思うはずです」

直接の面識は無いが、アイリは線の細い、か弱い女性だったはずだ。
彼女はこれから辛い道を歩むことになる。
未然に防ぐことが出来なかったのが悔しい。

「悪いが、これからのことを聞かせてもらえないだろうか。
 何をすべきなのか、教えてもらいたいのだ」

シュウの表情が引き締まる。
やっと。
やっとサウザー以外の人間に信じてもらえる。
は「勿論です」と泣きそうな笑みを浮かべて応えたのだった。





「寂しかったですわ」

豊かな胸を押し付けるようにして、
女がサウザーにしなだれかかる。

「俺も忙しいのだ、許せ」

好みの顔に、体型。
領地拡大の際に拾ったサナという女で、
多少のわがままも許したくなるような美女である。

「あら。
 知っておりますのよ?
 一人の女性と食事を共にされているということは」

抱き寄せて、膝の上に座らせる。
柔らかな肉の感触は女性特有のものである。

「妬いているのか?」

「ええ。
 盗られてしまうのかと」

口紅で美しい形の唇が強調されている。
ふと、思いついてサウザーは尋ねてみた。

「――…お前は俺が誰かに負けると思うか?」

言うと、女は声を上げて笑った。

「いいえ、全く。
 誰よりもお強い、私のサウザー様」

唇を重ねる。
そうだ。
自分こそが最強だ。

負けるなどという世迷言を言うのは一人で良い。

サナの部屋でしばらくだらだらと時間を潰し、
次の出兵の会議のために部屋を出る。
出掛けに、サナにねだられてもう一度キスをした。
少し面倒だと感じ始めていることを自覚する。

「……あら」

唇を離したところで、サナは心底嬉しそうな声を上げた。
彼女が見た方向を見てみると、
居心地悪そうな顔をしたとその監視が居た。

「ごめんなさいね?」

クスクス、とサナは笑って部屋の中に引っ込んだ。
彼女を見た直後にを見ると、
随分貧相な身体つきをしているように見えて仕方が無い。

「……何だ」

「お取り込み中失礼しました。
 すごくお美しい方ですねえ」

がへらへらと笑う。
元から締まりのない顔をしているが。

「だから飼っている。
 貴様は何故ここにいる」

「運動不足解消の散歩ルートなんです。
 そうそう、朗報ですよ!
 シュウさんが私の言葉を信じてくれるって言ってくれました!
 これでサウザー様の将来も安泰に一歩近付きました!」

はいつになく上機嫌に話している。
その様子を見て、なんとなく苛々した。

「まあ、他のカスのような輩よりはマシだからな」

「カス……」

は何と発言して良いのか分からず困る、という顔をした。
シュウには恩を感じているのかよく肩入れする発言をする。

「経験のおかげである程度戦えるが、
 拳士同士の戦いとなれば視力の有無は致命的な差だ。
 分からぬ訳でもなかろう」

「分かりますが、重要な方なので」

「子が居るのを知っているか?」

「シバ君のことですか?」

それが何か、とでも言う風に首を傾げている。

「……まあ、良い。
 せいぜい寝たきりにならぬ程度に散歩に励むことだ。
 何なら歩行器でも用意してやろうか?」

実際、の体力は寝たきりの老人と大差ないように思う。
言い返してやりたいが何とか飲み込む、という顔になった。
最近表情のバリエーションが随分豊かになった。
慣れたのか前面に出ていた恐怖が薄らいだせいで、
本心を隠しきれていないというのが正しい表現だろうか。
サウザーは鼻で笑って踵を返した。





サウザーの美しき愛人を目撃しては多少動揺したが、
それもすぐに忘れた。
何せ、事態はシュウのおかげで急展開だからである。
その数日後の食事の席で、
はシュウの未来を少しだけ伝えてみることに決めた。

しかし「レジスタンスを率いて戦う」などというと、
『カスよりマシ』な評価をさらに悪化させかねない。
なので、ゲリラ戦を展開することは伏せ、
非道な行いに憤りを感じていたところでケンシロウと出会う、
という言い回しにすることにした。

「――…なので、シュウさんが私を信じてくれるなら、
 ケンシロウに出くわすこともなく、
 未来を変えることが出来るんじゃないかと思います」

一度の対戦ではサウザーの身体の秘密を暴けないケンシロウである。
うまくいけば、やり過ごせるはずだ。
そうすればも無事に元の世界に戻れるはず!

明るい展望にハイテンションのに対し、
サウザーはどこか冷めた笑みを浮かべるだけだった。

「ほう?」

シュウは忙しそうにしている。
南斗の凋落はシュウの離脱で加速する、と伝えている。
不満を抱えているようだったが、一応納得してくれた。
おかげで転戦に次ぐ転戦を強いられているようだ。

サウザー本人は時折出かけて、すぐに帰ってくる。
名だたる拳士が居るところだけ出陣し、
首領を殺してさっさと帰ってきているらしい。
すべて伝聞からの推測であり、本人に確認したことは無い。

給仕の人間が珍しく手元を狂わせ、グラスから水がこぼれた。
サウザーは舌打ちしたが、誰にだって粗相することはある。
はかけていたナプキンで水滴を押さえた。

「……他の誰かの手を借りるのはお気に召さないですか?」

が尋ねると、サウザーは顔を顰めた。

「まあな。
 、動くなよ?」

何だろうかと首を傾げると、
目の前をナイフが猛スピードで飛んでいった。
サウザーは軽く手首のスナップを利かせて投げただけに見えたが、
風圧で髪が揺れる。

振り返ると、
給仕の男が水のボトルを持ったまま倒れていくのが見えた。
その喉にはナイフが深々と刺さっている。
先ほどまでサウザーがステーキを切り分けるのに使っていたナイフが。
は気が遠くなった。

が、突然の額への一撃で目が覚めた。

「起きろ」

サウザーが至極面倒くさそうな顔でを見下ろしている。
気絶したのを手荒く起してくれたらしい。
手の形と痛みの具合から推測するにデコピンだ。
精一杯の手加減なのかもしれないが、
接触部分は鈍器で殴られたかのような激痛がする。
少しどころでなく頬も痛いのは、ビンダでもされたのだろうか。

「いい加減に慣れろ」

「いや、流石に人が死ぬのに慣れるのは……」

が額と頬を押さえながら渋ると、サウザーは鼻で笑った。
大抵人を馬鹿にしたように笑う男である。

「知らんのは貴様だけだが、何度か命を狙われているぞ?
 その度警備の者が始末しているだけだ」

「え」

「この俺が客人として置く賓客の自覚を持て」

賓客。
最初にリンチを受けたのに、賓客。

「ですけど……」

「持て」

「……はい」

は不承不承頷いた。
その後サウザーはシュウが具体的にどのような行動に憤り、
どう反撃に出るのかと聞いてきたが、そこまでは、とお茶を濁した。
おそらく殆ど全てを腹に据えかねるのだろうと思ったが、
口には出せなかった。