Cassandra


お呼びがかかるまで部屋で待機、ということだったので、
シュウが部屋を出てからは風呂に入ることにした。
脱衣所の鏡に映る自分の顔もまだら色で、
サウザーに対する憎しみが高まった。
不愉快な気分で久しぶりに湯船に浸かると、全身の傷痕に沁みた。
サウザーに対する憎しみが更に高まる。

(生かしてやらないと帰れないけど……!)

乙女の顔に何をしてくれるのだ。
腹の立つ。

ポケットにねじ込んだままの勲章は、
盗まれることも、検められることもなくまだある。
一目で価値のあるものと分かるので、
ずっとポケットに入れたままにしている。
重さにもすっかり慣れた。
いつか自分の命でも守ってくれるんじゃないかと思ったが、
残念ながら左胸には入れるべきポケットがついていなかった。

ふかふかと柔らかなベッドにごろりと横になる。
囚人用のベッドは固すぎたし、
シュウが用意してくれていた部屋のベッドは普通だったが、
あまり落ち着かなかった。
このベッドは誰もが快眠できそうな絶妙な柔らかさである。
しかし、落ち着かないベッドで寝ていたときの方が、
命の安全は保たれていたことを思うと悲しくなる。

うとうとしていると、部屋が乱暴にノックされたので跳ね起きた。
ドアを開けたのは「面倒だ」と言いたげな顔の厳つい男で、

「昼食だ。
 サウザー様がお呼びである」

と簡潔に告げた。
はさっさとシュウの元に戻るべく、
一仕事するつもりで部屋を出た。

通されたのはバルコニーに特設されたらしいテーブルで、
もう一つの座席に座るべき相手はまだ居なかった。

その部分だけ取り出すと恋愛小説にでも出てきそうだが、
そこから見えるのは夜景ではなく拳士たちの訓練風景であり、
相手はイケメン実業家ではなくサウザーである。
ときめき部分が非常に薄い。

がらんとしたホールには他に人はなく、
バルコニーの特別席だけが異質である。
柱が並ぶ様は神殿のような雰囲気もあり、
居心地が悪いことこの上ない。

暫く待っていると、サウザーが颯爽と現れた。
白いマントのイメージだが、軍服のようなものを着ている。
どちらにせよ、普段着としては落ち着けなさそうだ。

「喜べ、貴様の話を聞くために席を設けてやったのだ」

そう言ってどっかりと席につく。
「喜べ」と言われて、素直に喜べるような性格ではなかったらしい。
全くもって嬉しくない。

「……どーも」

はお世辞としてそう返事をした。

「不服か」

「いえ、何をお話すれば良いですか?」

「シュウに聞いたが、
 お前は俺を生かすために来たと言ったらしいな。
 その方策を具体的に聞かせてもらおう」

サウザーが席についたことを合図に、わらわらと人が集まってきた。
オードブル三種盛りにサラダとデザートワインが出されてくる。
フルコースでも出してくれるつもりなのだろうか。

「具体的にといわれましても……」

「何か隠している能力でもあるのだろう。
 コネか何かか?」

サウザーはグラスに口をつけ、
上品な動作でフォークとナイフを扱いながら料理を口に入れる。

「いえ、特技もコネもありません。
 少しだけ未来を知っているだけです」

もナイフとフォークを取ったが、
残念ながらなんとか食事が出来る、というレベルである。
日本人は箸だ、と心の中でサウザーを罵った。
よく考えなくとも、彼は日本人らしい見た目ではないが。

「ほう?
 俺の未来には何があるというのだ」

そんなの心中など察することなくサウザーが問う。

「ケンシロウに殺されます」

「ケンシロウ?
 ああ、北斗の末弟だったか。
 俺があれに負けると?」

「はい」

「ラオウではなく、あのケンシロウに?」

「はい」

「それは大層愉快な未来だな!」

サウザーが鼻で笑う。

「北斗の次の伝承者はケンシロウです。
 そのケンシロウに負けます」

「それこそおかしな話だ。
 トキこそ最有力と聞いていたが」

「トキは……トキは病を得たはずです。
 核戦争の最中に。
 ご存知ではないですか?」

サウザーがすう、と目を細めた。
怒らせたのだろうか。

「知らん」

「そのはずです。
 調べてください」

がもたもたとサラダの破片を取りこぼしているうちに、
スープとパンが運ばれてきた。

「手配しよう。
 もし誤りであったら、貴様はどんな代償を支払うつもりだ?」

サウザーは口元を笑みの形に歪めたが、
目は全く笑っていない。

「……何も持っていませんが」

「あるではないか、命が」

「……」

は沈黙した。
命は流石に賭けたくなどない。

「まあ、お手並み拝見というところか。
 それで、それ以外に何か面白い話はあるのか?」

機嫌を損ねた訳ではないのだろうか?
よく分からない。
分からないが、
シンとユダが南斗を裏切り離れていくことと、
ラオウは独立して拳王を名乗り挙兵するだろうと伝えた。

「拳王か、大仰な名だな」

サウザーがせせら笑う。

「サウザーさんも考えておいたら良いんじゃないですか?
 南斗のトップですし」

「サウザー、さん?」

「……サウザー様」

はパンをかじりながら訂正した。
目の前には早くもメインディッシュのステーキが置かれている。
サウザーのグラスは赤ワインに変わっていたが、
はそもそも酒が苦手なので口をつけていない。
それに気づいてもらえたのか、よく冷えた水が出てきた。

「なかなか面白い話だな。
 もし的中したら続きを話せ。
 今日は仕舞いだ」

いつの間に平らげたのか、サウザーの皿にはもう何も無かった。
来たときと同じく、サウザーはさっさと部屋を出て行ってしまった。
は良いのか悪いのか分からない景色を眺めながら、
最後のデザートまで食べた。
随分遅れたが誰一人として文句をつけてくる人間はいなかった。






「――…北斗の伝承者を探れ、ですか」

部下が困惑したように言う。

「シンとユダの動向を監視、
 それから引き続きラオウの監視、動きがあり次第逐一報告しろ」

念のためだ、とサウザーは自分に言い聞かせた。
別にこれで失敗しても良い。
北斗の兄弟以外に、個人の戦闘力で南斗に匹敵する戦力は無い。
もし的中しなければそれに越したことはないし、もし的中したら。

(その時は俺の元に留め置くだけだ)

留め置いて、その予見するに至る過程を調べる。
そうすればサウザーでも未来を見通すことができるだろう。
用無しになればシュウに戻す。
それで良い。