Cassandra


は気がつくと、以前も入った牢のベッドに寝かされていた。
一応顔は手当てしてくれているらしく、
ひんやりと冷たいタオルが乗せられている。

こんな扱いを受けているにも関わらず、
誰にも調べられることが無かったポケットの中身を布越しに掴む。
これを捨てれば逃げられるだろうか。

逃げたらどうなるのだろうか。

の願いは達成されず、あの男のお迎えは一生望めない。
おまけに此処は、認めたくは無いが、
の夢の世界ではない北斗の拳の世界である。
暴力が支配する世紀末に向けて法秩序が崩壊する最中である。
シュウの傍を離れたら、一人でどうやって生きていくのか。

(無理だ……)

泣きたくなったので、涙が流れるに任せて泣いた。
何が楽しくて、こんな痛い思いをしなければならないのか。
全くもって嬉しくない。

ぐずぐず泣いていると、誰かが牢の鍵を開けた。
飛び起きると驚いた顔の牢屋番、リゾが立っていた。

「起きたのか?
 薬と食事だ。
 辛いだろうが、とりあえず腹に入れておけ」

スープが載った皿を机に置いてくれる。
更に赤い十字がついた箱から塗り薬を取り出し、
の顔に塗りつけた。

「痛たたたたっ!!」

はリゾの腕を叩いたが、全くひるむ様子が無い。

「大人しくしてくれ。
 塗っておけば治りが早いから」

と、怪しげな薬をの顔に塗りたくる。
それを塗り終え、ガーゼを張替え、漸くは解放された。

「シュウからはできるだけ助けてやってくれと言われてる。
 薬くらいしか用意してやれんが……。
 とりあえず今は食え。
 食って寝るんだ」

は泣きながら頷いて、スプーンを手に取った。
シュウには信じてもらえない。
サウザーとは会話する機会すらない。
早く帰りたかったが、帰る道は全く見えなかった。





「あの女が本当に侵入者なのか?」

シュウの前で、サウザーはやっぱり苛立たしげに座っている。
は今は牢に居るという話を聞いて、
生きていることにほっとした。
リゾに無理を言って世話を頼んである。
アルマは先ほど無傷でもどり、悔しそうにしていた。

「違う、と何度言えば分かる」

ここでまともに相手をしてはいけない。
彼女の為でもある。

「いつまでも惚けるな。
 あの女が噴水から突然現れたという話は押さえている。
 だが、あの女は何の抵抗も我慢もできん。
 何なのだ、あれは!」

サウザーにも欠片ほどの情があるのだろうか。
まあ、殴った方が後味が悪い程度には何もできない。
身のこなしが完全に普通の女性である。

「だから、リゾの遠縁の娘だと――…」

「それも調べがついている」

サウザーがぴしゃりと話を遮る。
完全に嘘は見抜かれているらしい。

「あの女は誰の縁者でも無い、ただの侵入者だ。
 それも飛び切り出来損ないの低能の侵入者だ!
 何故そこまで庇うのだ!?」

本当に怒っているようだ。

さんは記憶を失った、何もできぬ女性だ。
 手を差し伸べるのが人の道ではないか?」

「放り出せば良かろう」

「それに、これは誰にも伝えていないのだが、
 彼女は南斗に仇なすために来た訳ではないようなのだ」

シュウがそう打ち明けると、
サウザーの不機嫌は更に加速した。

「彼女はお前を生かすために来た、と言っていた」

サウザーは「俺を生かす?」と確認するように言い、
そして大笑いした。

「あの女が俺を生かすと?
 弾除けにでもなるつもりか!」

笑いをこらえるのが苦しいのだろうか、そんな声である。
そういう反応になることは分かっていたし、
自分もそういう対応をした。

「詳しい話を思い出すまでゆっくりさせてやりたかったのだ」

「何故先にそれを言わん」

「言ったところで、信じられる話ではないだろう。
 今のような目に遭わせたくないからそうしたまで」

ため息とともに吐き出したシュウに、
サウザーは「そうか」と言った。
まだ笑っているが、一応は納得してくれたらしい。

「彼女を戻してくれ、サウザー。
 責任はすべて俺が持つ。
 迷惑はかけぬ」

シュウは頭を下げた。
それくらいで人の命が助かるならば、安いものである。

「いや……何を言うのか興味がある。
 それを聞いてからだな」

「しかし」

「牢に繋ぐようなことはせん。
 客人の待遇でもてなしてやる。
 話を聞いたらお前に返す、それでよかろう。
 それとも、まだ何か隠しているのか?」

サウザーなりの譲歩であろう。
シュウとしてもそれ以上の待遇悪化は認められないが、
ここで無理を押してもサウザーの機嫌を損ねてもいけない。

「約束してくれ。
 人として恥ずべき行いはしないと」

「俺を何だと思っている。
 それくらい、いくらでも約束してやる」

をサウザーの管理下に移すことになってしまったが、
一応“客人としてもてなす”との言質も取った。
飽きたらすぐに手放すだろう。

よほどのこととは彼女がサウザーの命を狙うだとか、
脱走を企てるとかである。
そうなるとさすがにシュウも庇いきれない。
数日行動を共にしていたアルマからは、
随分大人しい娘であると聞いているから大丈夫だろうとは思うが。

(相手はサウザーなのだ)

気を引き締めてかからねばならぬ、
とシュウは己に喝を入れた。





翌朝、は顔を洗ってから傷痕に触れてみた。
思いの外痛くない。
どんな色になっているのか不明だが、
とりあえずマシには違いない。

運ばれた朝食を食べてから再びベッドでまどろんでいると、
シュウがを迎えに来てくれた。
安堵で一瞬泣きそうになったが、

「悪いが、連れ帰ることはまだ出来ない。
 別の部屋に移ることになったから案内する」

と、硬い顔で言われた。
地下の牢屋から別の部屋へ移動する間、
シュウは沈黙を貫いていた。
逃がそうとしてくれたことに対して礼を言いたかったが、
さすがにシュウの直接の部下ではないらしい人間が他に居り、
監視するように付き従っていたので言えなかった。

新しい部屋とは、牢屋のことではなく広い客室だった。
窓からの眺望は良かったし、そもそも家具のランクも違いすぎる。
おそらく贅沢品の風呂が備え付けられており、
の扱いは侵入者から別なものに変わったらしいことが分かる。

「シュウさんが手を回してくれたんですか?」

窓の外を眺めながら、隣に立つシュウに聞いてみる。

「いや……違う。
 サウザーが君の話に興味を持ってね。
 詳しく聞きたいのだそうだ。
 それが終われば元の生活に戻してやれる。
 少しだけ我慢してくれ」

「……そうですか」

シュウすら信じてくれない、彼らの未来をサウザー本人に。
とっても素敵で楽しい会談になりそうで、
はうんざりした気分になった。