Cassandra
暫くして視界は完全に暗転した。
雨にぬれたせいか、酷く寒い。
もうサウザーの叫びも聞こえない。
手には先ほど拾った勲章の感触があるが、
それ以外には何も見えないのでよく分からない。
さてどうしようかと考えていると、
どこからか水が流れてきて
の足に触れた。
水位は次第に上がり、
がもたもたと高台を探している間に首まで浸かった。
浮き上がるようなことはなく、
なす術もなく
は水中に没した。
(息が……!)
暫くは我慢した。
しかし、何事にも限界というものがある。
苦しくなって口を開けると、
水泡がごぼごぼと溢れるだけで酸素は来ない。
死ぬ。
そう思った瞬間である。
は尻からどこかに落ちた。
「げぇっほげほっごほっおぇっ!!」
激しくしりもちをついた。
しかし、頭は水中から脱することが出来た。
痛いには痛いが、それよりも呼吸をする方が先決である。
限界までしぼんだ肺に空気を送り込みたいが、
大量に飲み込んだ水がそれを邪魔する。
勢い咽てしまったが、とにかく酸素がほしい。
「と、父さーーーん!!!」
子どもが悲鳴をあげ、逃げていった。
は何とか呼吸を整えつつ、
そういえば勲章を握り締めたままであることに気が付いた。
とりあえずオウガイよろしくポケットにねじ込む。
水でへばりつく髪をかきあげて、顔の水を手で拭う。
漸く少し落ち着いた。
落ち着いたので周囲の状況を確認したが、
やはり混乱へと引き戻されてしまった。
「……何、これ?」
そこは悪趣味な噴水のど真ん中であった。
中央には大理石か何かでできたマッチョが群れる像がある。
その中央には南斗十字星をかたどったマークがあり、
ここが北斗の世界であるか、
北斗の拳が好きすぎるお金持ちの庭かなにかだろうか。
周囲はギリシャ風の柱が並び、廊下の屋根を支えている。
空はまぶしいくらいの快晴で、鳥が横切っていった。
「父さん、あの人がいきなり出てきたんだ!!」
先ほど逃げた子どもの声がする。
そちらを見ると、小さな子どもが大柄な男の手を引いて歩いてくる。
と目が合い、慌てて子供は男の後ろに隠れた。
南斗の関係で子どもと言えばシバだが、
そばかすの浮いた頬に茶色の髪と似たところは無い別人である。
それに、父と呼ばれた男の顔に傷は無い。
「……失礼ですが、どちら様ですか?」
「……すみませんが、ここはどこですか?」
質問に質問を返して申し訳ない。
男は困ったような顔をして、
少年に人を呼んでくるように命じた。
男にどこの誰かと問われたので氏名と住所を述べてみたが、
変な顔をされただけだった。
そんなやり取りをしているうちに人がどやどやと集まってきたが、
最初の男が事情を説明して困惑が全員に伝播した。
「君、本当に覚えてないの?
どこの村から来たの?
どうやって入ったの?」
迷子を相手にするような口調に少し腹が立つ。
「村なんて、そんなありましたっけ?
市町村合併で減ったはずですけど」
男たちは更に妙な顔になる。
「どう贔屓目に見ても君が刺客だとは到底思えないけれど、
侵入者は捕えることになっている。
大人しくしてくれるかな?
着替えなんかは用意してあげるから」
最初の男は有無を言わさぬ口調でそう言った。
脅す意図は無いらしく、恐怖は感じない。
そういうルールだからと説明されている気分である。
返事を待つことなく集まったほかの男たちが噴水に入り、
の腕を掴んで立ち上がらせてくれた。
びしょぬれのまま綺麗に磨かれた廊下を歩き、
階段をいくつか下り、地下牢のようなところに入れられた。
「机にある服に着替えなさい。
明日にはシュウ様が戻られるはずだから、
今日は大人しくしておいてくれ」
男はそう言って、がちゃり、と牢の鍵をかけた。
机の上には清潔そうではあるものの、
少し痛みが目立つ服が置かれていた。
それに、タオルまである。
はそれらをありがたく拝借することにした。
部屋着のズボンを脱ぐと、ポケットからころりと勲章が落ちた。
『サウザーが生き残る未来を作る権利を差し上げます!』
やたら芝居がかった、派手な男のセリフを思い出す。
夢だ。
夢なのだ。
は自分に言い聞かせた。
日頃どれほど疲れているのか知らないが、
こんな囚人スタートでサウザーに近づける訳が無い。
しかも、シュウ側であるらしい。
無理ゲーにも程がある。
は勲章を投げ捨てたくなったが、
耳に残るサウザーの絶叫を思い出し、
着替えた服のポケットに仕舞うことにした。
まあ、少しくらいやってみても良い。
そうは言っても今すぐできることも無いのでベッドに横になった。
スプリングもマットレスもあまり上等な物ではなかったが、
ふとんからは太陽の香りがした。
(夢なら覚めてよ、本当に……)
は苛々した気持ちになりながら、目を瞑った。
疲れていたようで、随分深く眠り込んでしまった。
「起きろよ」
母の声にしては随分野太い声に起され、
目を開くとそこは相変わらず牢の中だった。
まだ夢を見ているらしい。
「彼女です」
起き上がり、いい加減少しこの夢にも飽きてきたな、
と眠い目をこする。
牢の扉は開いており、
異常にごつい、背の高い男が入ってきた。
額から頬にかけての傷痕が痛々しい。
間違いなくシュウだろう。
「起してすまない。
君が侵入者だね?」
侵入者に対応するには優しすぎる声音である。
人の良さがにじみ出るどころか、あふれ出ている。
は寝起きではあったが、不機嫌な対応をする気も失せた。
寝起きで恥ずかしいが、ベッドの上で正座する。
「そうです」
「昨日も誰がこの牢に入ろうとも眠り続けていたというし、
刺客には到底思えんのだが」
「刺客ではありません」
「刺客でもないのに侵入したというのか!
どうやって入ったのだ」
シュウは本気で驚いたらしく、少しマヌケな表情になった。
「いえ、それがよくわかりませんので……」
ありのままの回答をしてみたが、
シュウはむう、と顔を顰めた。
表情が豊かである。
作中しかめっ面が9割のラオウなんかに比べると、
そういえば顔のバリエーションも多かったような気がする。
「嘘をつくと君の為にならないぞ」
「残念ながら証明するものが無いので……。
すみません、やっぱり処刑されたりするんですか?」
尋ねると、暫く間を空けてシュウは「いや」と答えた。
「誰かの命を狙うような人間には全く思えない。
しかし……侵入者の連絡はサウザーにも上がっているな?」
突然話を振られた牢屋番らしき男は「ああ」と力強く返事した。
「では、リゾの遠縁ということにしよう。
うまく話しが回っていなかった。
突然話しかけられて噴水に落ちたのだ。
良いな?」
リゾと声をかけられた牢屋番は頷いた。
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