pray
暫くして、医者が到着した。
後は任せて部屋を出る。
出たところで、
ジュウザが壁にもたれて立っていた。
目が合うと、神妙な顔つきで近寄ってくる。
「……なんだ、まだ居たのか」
もう疲れた。
そう思っていることを見透かしてか、
ジュウザはにやにやと笑った。
「酷いな、憔悴してるリュウガを励ましてやろうと思ったのに」
そう言って肩をすくめてみせる。
憔悴はしているが、
ジュウザに励まされたくは無かった。
「それにしても、噂は本当だったんだな。
ちょっと疑ってたんだぜ?
万事にクールなお兄様だからさ。
で、もう抱いたの?」
疲れていたと思ったが、
無神経な言葉に怒りで肌が粟立つ。
「病気で弱ってる女に手を出すなんて、
酷い男だな、リュウガ」
全身の血が沸騰しそうだった。
リュウガは怒りに任せて、体重を思い切り乗せて殴った。
命まで取るつもりは無いので、
天狼拳特有の、寒さを感じるという拳は出さずにおく。
なぜかジュウザは避けたり、防いだりしなかった。
そこで、彼がわざとリュウガを怒らせたことに気づいたが、
気づいたときには握りこぶしが頬にぶつかる瞬間だった。
ごつ、と骨があたる感触が伝わる。
ジュウザは顔をしかめ、
数歩よろめいてから血が混じった唾を吐いた。
その間に、リュウガは怒りをどうにか収める。
「……落ち着いた?」
頬をさすりながら、ジュウザがこちらを見ている。
落ち着いた。
今、一番殴りたい相手は自分である。
それを思い出した。
「それなりにな」
リュウガがそう答えると、
ジュウザは頬をかばいながら妙な顔で笑った。
「やれやれ、美男子の顔が台無しだぜ。
ま、それでもお釣りがくるほど珍しい物を見せてもらったわ」
「反対側も食らうか?」
にらんでやると、
ジュウザは距離を取ってハンズアップした。
「世の女性達のために、遠慮しとくわ」
「さっさと出て行け」
吐き捨てるような口調になってしまった。
ジュウザは「つれないなあ」と、
ハンズアップした手を頭の後ろで組んだ。
「良いこと教えてやる。
あと少しでラオウがサウザーと対決するのは確定だ。
ラオウの力は本物だ、見て来いよ。
それから、暇があったら薬も探してやるよ」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「たっぷり食料も貰ったし?
激昂するリュウガなんて、珍しい物も見れたし。
ま、ご祝儀だよ。
ついでだから期待するなよ?」
「じゃあな」といつもの軽い調子で、
ジュウザは立ち去った。
無頼だの何だのと口では言っているが、
根は真面目な男なのだ。
早く、早く。
の病の進行よりも、世界が早く動いてくれたら。
リュウガはジュウザを殴り飛ばした拳を、
再び握り締めた。
はまぶたを持ち上げた。
その動作ですら、酷く億劫である。
部屋の中に人の姿は見えない。
それを確認してから、
はまた目を閉じた。
早く、早く。
早く平和になって欲しい。
そうすれば薬がまた生産されるだろう。
平和であればリュウガも忙しくなくなる。
そうすれば、自分はリュウガと一緒に居られる。
叶うはずのない願いを、誰にともなく祈る。
神や仏が存在するならば、核戦争など起こらなかった。
だから、神や仏に祈るのではない。
平和をもたらしてくれる、誰か。
起き上がれる程度に、早く回復しなければならない。
一度は諦めた命だったが、
今は惜しかった。
死が迫っている。
突きつけられた現実は冷たく、残酷だった。
予期していたのに、辛い。
早く、早く、早く。
気持ちばかりが急く。
は焦る気持ちを抱えたまま、
再び眠りについた。
そこから、
は小康状態まで持ち直した。
リュウガは
に、
しばらく安静にするようにと厳命した。
世話係の交代はしなかった。
なにもかもがもどかしかった。
平和へ導く者の出現も、
の病の進行も、
何一つリュウガの思い通りにはならない。
は死ぬ。
その事実が目の前に、
言い逃れできないくらいにはっきりと突きつけられている。
それが苦しかった。
そんな気持ちのままで、
リュウガは
を見舞った。
悟られるだろうとも思ったが、
見舞わないでいるという選択はできなかった。
はベッドから出て、いつものソファに座っていた。
それは見慣れた光景ではあったが、
いつもと異なるのは、
体重を全て背もたれに預けていることだった。
「もう起き出して良いのか?」
「リュウガと話をするときだけ、という約束だから」
が悲しげな顔を作った。
胸が痛む。
「少しくらい起きておかないと、
体力がなくなる」
と、リュウガが助け舟を出すと、
は「でしょう?」と賛同した。
「それにしても、本当に残念だったわ。
やっとジュウザさんにお会いできたのに」
そう言って、
はにやにやと笑う。
本心なのかどうか、リュウガには分からない。
「似ていないだろう?」
自由に生きる弟と、宿命に縛られている自分。
似ている部分を探すことに時間がかかるほどに。
正反対の性格だ、という評価はよく耳にする。
「顔は似てるよ?
もしリュウガがもっと軽い性格だったら、
よく似た兄弟だと思う」
がしげしげとリュウガの顔を眺めて、
こらえきれない、という風に笑った。
「何がおかしい?」
「軽薄なリュウガって、
やっぱり想像できなさすぎて。
矛盾してるけど」
笑顔の
を見ていると、
リュウガの胸の痛みがじわりと解ける。
やはり、この時間が一番好きだ。
リュウガはそう思った。
終わりがある時間だとは理解している。
と話をして、笑って。
それがこの上なく幸せだ。
しばらく話をした。
の体調とは無関係の、
当たり障りの無い話ばかりを。
それから、少し早めに引き上げることにした。
ただでさえ不安定な体調を、更に悪化させてはいけない。
「もうちょっと居てくれても良いのに」
が拗ねたように言う。
本心を言うならば、
もっと一緒に居たい。
触れていたい。
そうすると
の命が縮まるのではないか?
ジレンマだった。
そう説明することは簡単だったが、
はそれを喜ばないことは明白である。
リュウガは苦笑した。
「それほど、寝ているのは嫌か?」
「ええ、時間を無駄にしているんじゃないかと思うくらい」
部屋を出ると心に決めたが、
そこからまた、取り留めの無い会話をした。
の顔色を注意深く眺める。
顔に血の気が戻っているのか、頬に少しだけ赤みが差している。
しかし、油断はできない。
しばらくしてから、休むよう勧めた。
「じゃ、お言葉に甘えてちょっと休もうかな」
微かに眉根を寄せて、
は立ち上がった。
リュウガは傍で、倒れないように見守る。
案の定、
は立ち上がってすぐによろめいた。
抱きとめる。
が腕の中に居る。
このまま手放すのが惜しい。
リュウガは、少し強めに
を抱きしめた。
早く、早く、早く、早く!
の命が尽きる前に!
何もかもが無駄になる前に!
平和な時代を!
そうして、
の病に効く薬が作れる世界を!
リュウガの心の中の叫びが伝わったのか、
はそのまま、リュウガの背中をさすった。
何もかも遅いのだから、諦めるしかない。
そう言われているような気がした。
己に十分な力があれば。
そうすれば
を助けられたのに。
リュウガは己の不甲斐なさを恥じ、
そうして無力を呪った。
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