pray
は思いの外細く、小さかった。
腕にすっぽりと収まってしまう。
白いうなじが見える。
諾でも、否でも良い。
答えが欲しかった。
しばらく、沈黙が流れた。
このままで良いのだろうかとも思ったが、
今手を離すと、
はそのままどこか遠くへ行ってしまいそうだった。
「……察してよ。
私、すぐに死んじゃうんだから」
呻くように、苦しげに。
リュウガはそれでも嬉しかった。
体を離して、
の目を覗き込む。
不安げな視線が返って来た。
「断る」
「酷い」
「俺が手に入れられる、数少ない物の内の一つなのだ」
頬に手を添えて、口付けた。
拒絶されるのではないかと不安だった。
顔を離して、もう一度表情を確認する。
は苦笑いしていた。
「未練の無いように、
すっぱり諦めようと思ってたのに」
「では、未練の残らないよう全て手にすれば良い」
もう一度口付けて、
を抱え上げた。
リュウガが部屋を出て行くのを見送って、
は一人頭を抱えたい気持ちになった。
どうしようもなく幸せだ。
しかし、自分は確実にリュウガを置いて死んでいく。
それはリュウガも知っているはずのことである。
ごほ、と咳いた。
体力はゆるゆると減退していた。
しかし、休む気はさらさら無かった。
一度休んでしまうと、二度と起き上がれないような気がした。
医者から貰った薬は、
辛いときにということだったが常用している。
飲めば劇的に楽になるし、
医者の方も止めたりしなかった。
リュウガは引き続き本を集めてくれている。
随分溜まった。
本棚ができるくらいだ。
これを、皆で読めるようにしてあげてほしい。
大丈夫、大丈夫。
病は気から。
病んでいるのに、気まで病んでは辛いだけである。
もう少し生きていたい。
早く平和になってほしい。
リュウガと一緒にいたい。
抑圧していた願いがあふれ出す。
それらは全て叶わぬものだと自分でも分かっていた。
リュウガは
と過ごす時間を増やした。
残された時間は短い。
その時間を出来る限り共有したかった。
世界はまだ、劇的に変化する兆しは無い。
拳王の勢力は拡大を続けている。
しかし、彼は王たる器だろうか?
確かに強い。
しかし、君主とは言い難い。
一度、南斗の勢力地域へ軍勢を寄せてみた。
ユリア以外の六星の面々が迎撃してくれたが、
これといって目立つ者は居なかった。
想定内である。
自分の宿星が、導く星はここにはない。
遠征から戻ってきても、
は元気だった。
城に来たときとあまり変わらない。
医者は定期的に診察し、
悪化していると言っていたが信じられなかった。
信じたくなかった。
そんな折、近隣を荒らす野盗の拠点が見つかり、
時を同じくして領地へ敵が侵入したという報告が入った。
それらの征伐のために軍を編成し、
城の守りのために人を配置する。
その作業をしていると、
無意識に守りの人間を増やしていた。
計画通りに野盗の拠点を潰し、
その足で敵を返り討ちにし、帰還する。
最近城を空けがちである。
こんなことで出なければならなかったのが腹立たしい。
に語って聞かせるような話は何も無い。
その途中、ジュウザが姿を見せた。
部下も心得たもので、
無理に止めようとしたりしない。
以前、何人か重傷を負ったこともあるからだ。
「よっ、元気そうじゃん?」
いつもにやけた顔をしているが、
今日は何か思うところがあるらしく企んだ顔をしている。
「何か用か?」
「勿論。
堅物のお兄様の心を溶かした女性が居るて聞いたから、
弟として挨拶でもしようかと思ってね」
にやにやと笑いながら、リュウガの馬の横にバイクを併走させる。
この弟の相手を真面目にすると、苛立つし疲れる。
リュウガは小さくため息をついて、
部下に目配せする。
こういう輩は、早々にお帰りいただくに限る。
「食料を用意してやるから、
さっさと行け」
「酷い兄貴だな。
まあ、でも、大体の見当はつけてあるんだ」
「……何の話だ?」
ジュウザはちらり、とリュウガの顔を見た。
「
ちゃんのお部屋」
そう言うなり、ジュウザはエンジンをふかした。
爆音が響き、濛々と土煙を上げて走っていく。
何故名前を知っている。
リュウガは反射的に馬に鞭を入れた。
まるで挑発するかのように、
ジュウザのバイクのテールランプが左右に揺れている。
ジュウザは挑発しながら、
リュウガが追いかけられるぎりぎりのスピードを出していた。
焦っているこちらを見て、笑っていた様子である。
城につくなり、リュウガは馬を門番に預けて走った。
門をくぐった暫く先にバイクが乗り捨てられていた。
何人かの兵士が倒れている。
盛大に鼻血を流していたりするから、
一応ジュウザを止めようと集まったに違いない。
リュウガは先を急いだ。
階段を駆け上り、最短ルートで
の部屋に向かう。
廊下の角を曲がると、ジュウザがドアを蹴破るところだった。
「待て!」
「君が
ちゃん?」
軽い声でそう言いながら部屋に入っていく。
リュウガはその後を追って、部屋に駆け込んだ。
は窓際のソファの横で、驚いた顔で立っていた。
水を運んできた女官も驚いている。
「俺はリュウガの弟のジュウザ、っていうんだ」
部屋の真ん中を、ジュウザがまっすぐ
に向かって歩く。
リュウガはその肩を掴んだ。
「何だよ」
不服そうにジュウザが振り向く。
その向こうで
が笑っている。
「病人なのだ」とリュウガが説明しようとしたとき、
の笑み苦しげに歪んだ。
「
様!」
女官が悲鳴を上げる。
の体が傾いでいく。
リュウガはジュウザを押しのけて、走った。
滑り込むようにして手を伸ばして、
間一髪、
が頭から床に倒れるのを防いだ。
「あーあ……バレちゃった」
苦しげな息の下から、
がつぶやいた。
それほど悪化していたとは。
城を空けたのは、それほど長い時間ではない。
「……いつからだ?」
優しく聞くつもりが、
詰問するような声になってしまった。
「何日か前から、ちょーっと調子が悪いような……」
「何故医者を呼ばなかった!」
リュウガは頭の血管が切れるのではないかと思った。
久しぶりに心の底から怒った。
「あのさあ、今は喧嘩してる場合じゃないだろ?」
「違う?」と、ジュウザが会話に入ってきた。
確かにその通りである。
自分より、ジュウザが冷静であることが腹立たしい。
「……私がみんなに口止めしてたのよ。
だから、怒るのは、私だけにして、ね?」
リュウガは「わかった」と短く答えて、
女官に医者を呼ぶように言いつけた。
あたふたと部屋を出て行くのを見送ってから、
を抱き上げてベッドに運ぶ。
また一段と痩せたような気がする。
の息は浅い。
少し熱もあるようだ。
首元を少しゆるめてやる。
「手馴れてるねえ」
ジュウザが横から
の顔を覗き込んだ。
そういえば、まだ居た。
「……出て行け」
リュウガはできるだけ怒りを押し殺してそう言った。
今は、自分に対して腹を立てていた。
「はいはい」
いつもよりはすんなりと、
ジュウザはリュウガの命令に従った。
静かにドアが閉じられる音を聞いてから、
リュウガは目を瞑っている
の頬に触れた。
「あーあ……また迷惑かけたね」
の口から細い声が漏れる。
「迷惑ではない、と何度言わせるつもりだ。
今はしゃべるな」
最初は恩を返そうとしていただけだった。
それなのに、今は傍に居るだけでリュウガが幸せを貰っている。
「ありがとう、ごめんね」
胸が締め付けられるように痛んだ。
が欲しているのは、平和な世の中である。
平和を手繰り寄せられぬ自分こそ謝罪すべきである。
それなのに。
しばらく、ぼんやりと
の顔を眺めていた。
は己が無力であると嘆いていたが、
それはリュウガも同じだった。
無力感だけがじわり、とリュウガの体にのしかかってきた。
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