pray


それから、は丸一日寝込んだ。
迷惑だと思う反面、
なぜカクはこうなるまで頼ってこなかったのか、とも思った。
彼が訪れるまで、
すっかり存在を意識の外へやっていたことを棚にあげて。

リュウガは医者を呼ぶ段取りを始めたが、
翌日にはの体調は安定し、
三日目には起き出していると女官から報告が入った。

「なんかごめんね?
 日常生活くらいだったら全然問題ないから」

見舞いに訪れたリュウガの前で
あっけらかんと笑う。
それは記憶にあるらしい笑みだった。
自然とリュウガも口元が緩んでいた。

「問題無い人間が倒れるか?」

「まあ、全く問題無いとは言えないわ」

憎まれ口を叩ける程度には元気になったらしい。
今はベッドから出て、ソファに座っている。
その様子を見ると、それほど辛そうではない。
リュウガはの言葉を信じることにした。

「それにしても静かね?」

が窓に近寄って、外を眺めた。
バルコニーに出ても、軍の施設は殆ど見えない。
そういう部屋を選んだ。

「静かにするように命じている」

「押しかけたのはこっちなのに、悪いわね」

窓の外から視線を戻したの顔は、
困ったような顔に戻っていた。

「当然の配慮だ」

「……そうね、リュウガはそういう人でした。
 ありがとう、恩に着ます」

はくしゃり、と笑った。
その顔と言葉がカクにそっくりだったので、
リュウガは笑ってしまった。

「不足はあるか?」

「無い。
 じっとしてるのも悪いから、
 何か手伝おうかと思うくらい」

「……やめてくれ」

真面目にリュウガが断ると、
は面白そうに声をあげて笑った。
そういえば、そういう性格だった。
何度もからかわれたのに、久しぶりすぎて忘れていた。

「しないわよ、冗談よ」

冗談に乗ってしまった自分に苛立ちつつ、
他の事務的な確認事項を頭に思い浮かべる。
女官が気に入らなければ相談すること、
何かほしいものがあれば女官に伝えること、
これから日に一度は見舞いに来ること。

「至れり尽くせりね」

と、は肩をすくめた。
正直なところを言えば、
ずっとこの部屋で大人しくしていてほしかった。
それがカクの依頼であったし、
リュウガとしても面倒事は減らしたかった。

それから、取りとめの無い話をした。
道場を出てから、今までのカクの話も聞いた。
村はお世辞にも安全とは言えないらしい。
カクがその腕っ節で守っていると言っても過言ではない。
水があり、食料がある。
確かに、そんな村では安穏としていられない。

部屋を出るとき、
は「またね」とリュウガを送り出した。
そういえば、道場を出るカクについても旅に出る間際、
見送りに出たリュウガには「またね」と言った。
そのことを、唐突に思い出した。






(これは……態のいい牢屋かな)

はベッドに寝そべりながら、
そんなことを考えていた。
外へ出る自由が無いことを除けば、
何不自由ない生活が出来る部屋。

すべきことは何一つ無いので、
ぼんやりとしたいことを考えていた。
何も、今日明日の命ではない。
しばらく猶予があるのだから何か出来ることは無いだろうか?

窓際のテーブルをぼんやり眺めると、
女官はリュウガとに出したカップを下げている。
「それくらいやるよ」と朝に出された食事を下げようとすると、
やんわりと、そしてきっぱりと断られた。

それは、まるでリュウガのような冷たさだった。

昔はもう少し表情があった。
楽しのか、つまらないのか、腹立たしいのかくらい分かった。
今は眉根を寄せてみたり、少し目を伏せたりするくらいで、
あまり表情が無い。
端整な顔であることもあいまって、随分冷たい印象である。

リュウガは日に一度、
の体調を確認するために見舞ってくれる。
冷たい視線を受けるたび、
人ではなく物として見られているようで居心地が悪かった。

時間はゆっくりと流れていった。
女官達と話す内容は限られていたが、
リュウガの話はいろいろと聞いた。

カクが道場に居た頃の思い出や、それ以後の話。
弟のジュウザや、妹のユリアの今。
昔は弟妹に対して複雑な思いを抱えているようだったが、
今はさほど気にしていないようだった。

ジュウザの話を聞いていると、
まるで物語を聞いているかのようだった。
自由気ままで、時折金を要求し、そしてどこかで騒動を起こして。
面白い話だった。

そんな話をしているうちに、リュウガに表情が戻ってきた。
面白い話をするときは微かに笑うし、
ジュウザの話をするときは微かに呆れている。
リュウガの中の変わっていない部分を見つけた気がした。






と話をしていると役目を忘れそうだった。
泰山天狼拳の伝承者で、天狼星を宿星に持つ。
思い返せば、暫く気安く話す人間に会っていなかった。
ジュウザが彼の都合で現れる時くらいなものである。
と話をする時間が、楽しく感じられた。

一応、きっちりと役目は果たしている。
世界は一朝一夕で変化しない。
群雄割拠の世の中で、誰が頭角をあらわすのか。
各地に人を派遣し、様子を探らせている。
伝承者として、鍛錬を積む。
城の雑務の決裁をする。
以前と変わりなくこなしている。

その日もを見舞うと、
はいつになく真剣な面持ちでソファに座っていた。
何か相談でもあるのだろうか、
と女官に早々に席を外すように伝えて、
リュウガもいつもの席に座る。

「どうした?」

ぱたん、とドアが閉まる音がしてから、
リュウガは口を開いた。

「部屋の外に出たいのよ」

迷惑はかけないし、必要な物は自分でなんとかするから、
は言い訳めいた口調で付け足していく。

「動いても大丈夫なのか?」

と、至極真っ当だと思われる質問を投げかけると、
は満面の笑みを浮かべた。

「勿論。
 だって、元気だし」

リュウガはの言う“元気”の定義が知りたかった。
元気な訳が無い。
それに、城の中はすぐにでも戦ができるようにしている。
そんな中へ病人を出すわけにはいかない。

しかし、今まで何一つ注文をつけることの無かったである。
よほど考えてのことなのだろう。
口調は、どう考えてもからかう調子でもない。
理由くらい尋ねても良いかもしれない。

「何がしたいんだ?」

「学校を開くのよ」

学校。
この乱世に、学校。
あまりのイメージの乖離に、理解が一瞬遅れる。

「……何故?」

「何故って、必要じゃない。
 馬鹿ばっかりだと無法者が増える一方よ!」

は当然、と言わんばかりに胸を張っている。
確かに言うとおりなのだが、納得はできない。

がする必要は無いだろう。
 俺が人を探そう」

リュウガが申し出ると、は困った顔で首を横に振った。

「自分でやりたいの。
 残り時間が許すだけ」

残り時間。
その言葉に少し動揺する。

「駄目だ。
 自分の寿命を縮めるだけだろう」

「どうせ短いんだから、したいことをさせてほしいの。
 ま、リュウガの面倒が減るんだから……」

は困った顔のまま、微笑んだ。
面倒が減るから何だ。
そういう問題ではない。

「心配しているんだ」

ごく自然に、そう言っていた。
は驚いたようだった。
自分でも驚いている。

心配。

その言葉を口に出してみると、
思ったよりもしっくりと馴染んでいた。
そう、自分はを心配している。

「……俺がいくら止めても、
 何とか部屋を抜け出すんだろう?」

冷静であらねば。
リュウガはため息をついた。
ジュウザの相手をするときも、
一度ため息をついて怒りを抑える。
慣れた行動だったので、ごく自然に出た。

「そうね、試すかもね」

「だったら、把握できている方がマシだ。
 そこまで言うなら考えよう。
 ただし、条件がある」

「何?」

「医者を呼ぶ。
 無理をさせたとあっては、
 カクに顔向けできないからな」

そう言うと、の顔がぱあ、と明るくなった。
それに、とリュウガは心の中で付け足した。

(医者によっては見立ても変わるやもしれん……)

もし治るのであれば、治してもらいたかった。
これだけ元気なのだし、大丈夫かもしれない。
とこうして話している時間が楽しい。
長く続けば良いのに、
と自分勝手に思っていた。

「ありがとう、リュウガ」

そう言ったときのの笑顔は、
リュウガが見たかった笑顔だった。