pray


リュウガは機械的に毎日を送っていた。
すべきことは決まっている。
外敵から身を守り、力を蓄えること。
全ては予め決められている。
宿命を全うするために。

乱世を平定するような、
寄って立つような大樹はまだ見当たらない。
まだ雌伏していなければならない。

核戦争後、あちこちから声がかかるようになった。
手を組もうだとか、
部下になれとか、
それとは逆に付き従いたいとか。
それら全てを丁重にお断りするのも仕事の一つである。

天狼星は孤高の星である。

同門の人間を主軸に形成した軍は、
必要なだけ精強である。
今までも、そしてこれからも同じように、
時が来るのを待つだけである。
無為と言えば無為で、
時折金の無心に現れる弟を除いては、
リュウガの日常を乱す者は誰もいなかった。

そんなところへ、兄弟子のカク現れた。
リュウガが道場へ入門したてのころ、
世話になった男である。
子のが同じくらいの年頃であったためか、
随分目をかけて、何くれと世話を焼いてくれた。

面倒な願いごとを持ってきたのかもしれない、
といつものように思ったが、
カクに限ってそれもあるまい、と思い直した。
応接室に通すよう命じて、
急ぎの雑事を片付けてから向かう。

カクは世話好きな男だった。
だからこそリュウガに目をかけたりもしたのだが、
天狼星の宿命とは相容れぬものだった。
肌に合わぬ、とカクが道場を出たのは、
リュウガが伝承者候補と認められるより前のことである。

応接室に入ると、旅装の大柄な男が待っていた。
リュウガを見つけて、破顔する。
顔一杯に喜びを表す笑顔は、
家を離れたリュウガを優しく見守ってくれた顔でもある。

「久しいな。
 リュウガも立派な伝承者になったものだ。
 気後れする」

「お久しぶりです、カク。
 もうお会いできないものと思っていました」

リュウガも精一杯親愛の情をこめた笑みを浮かべ、
カクの向かいに座る。

「道場を出てからは、
 故郷の村に戻られたと聞いていましたが……」

「そうなのだ。
 村は水も湧くし、困っていることは無い。
 良い村だ」

カクは豊かな村の話と、
天狼拳をこっそり使って村を守っている、
と話してくれた。
天狼拳の使い手としてはおよそ似つかわしくないが、
それが彼らしい生き方であるとリュウガは思った。

「それは良いんだが、お前は俺の娘を覚えているか?」

カクが真面目な顔をして聞くので、
リュウガは頷いた。

「ええ、勿論」

「良かった。
 そのを暫く預かってほしいのだ」

カクが苦しげな顔で言うのを、
リュウガは心が冷えていくのを感じながら聞いていた。

「どういう意味ですか?」

「いやなに、自分で言うのも恥ずかしいんだが、
 それなりに美人でな」

がしがし、とカクが頭をかく。
それをリュウガは冷ややかな目で眺めていた。

「それで、俺の嫁にでもと?」

血縁を結んで、どうするつもりなのか。
リュウガがそう言うと、
カクは一瞬きょとんとして、そして笑い出した。

「ちがうちがう、お前にそんな世話はいらんだろう。
 今のお前を見て、更にそう思ったわ。
 断るのに苦労してるんじゃないのか?」

他人を疑う癖をつけすぎていたのかもしれない。
少し、己を恥じた。
カクは暫く笑ってから、真顔にもどった。

「暫く、なのだ。
 病を得て、もう長く無い。
 最期くらい安穏な暮らしをさせてやりたいんだ。
 俺のせいで、いらん苦労ばかりさせてきたからな」

病と聞いて、少し動揺する。

の顔を思い出す。
前向きで、明るい娘だった。
カクと親しくしていたので、
と話す機会も多くあった。
その明るさに幾度と無く救われたものだ。

が?」

そういえば、久しぶりに名を口にした。
昔は色々な思いを込めて呼んだ名前である。
改めて意識すると、さまざまな記憶がよみがえる。
そのが病とは。
リュウガの問いに、カクは首を縦に振った。

「俺には薬に手が届かん。
 だから、ゆっくりさせてやれる場所を用意したい。
 俺が知る中で、一番頼りになるのはお前なんだ。
 悪いが、最期をここで迎えさせてやってくれんか?」

記憶の中のは、
カクと同じ安心を与えるような満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔に、想いを寄せていた。

「……わかった」

預かるくらいならば。
人一人くらいならば、造作も無い。

「恩に着る」

「いや、俺が恩を返したかったのだ」

一番辛い時に、傍に居てくれた人々。
返しきれぬ恩があるが、
一部でも返すことが出来る日がくるとは思っても見なかった。

「義理堅い男だな?」

「それだけ貴方が世話好きだった、ということだ」

カクはにやり、と笑って「ありがとう」と言った。
そうして、がリュウガの城に来ることになった。






は大きなため息をついた。
うんざりしているからではなく、
ともすれば乱れがちな呼吸を隠すためである。
カクは気づいているかもしれないし、
そうでも無いかもしれない。
しかし、隠したいと思うから隠す。
そうすれば、カクは口に出して確認したりしない。

「お前をリュウガの城に預ける」と言われたのは、
カクが旅から帰って来たときのことだった。
寝耳に水な話ではあったが、
己の病については医者から聞いていたし、
確かに、人手が足りぬといつも嘆いているこの村で、
病人は足手まといに過ぎなかった。

旅に出て感じたのは、
やはり体力が落ちていることである。
昔はカクにくっついて出歩いたものだったが、
もう自分は何の役にも立たない、と自覚できた。

ジープで飛ばすこと数日。
助手席でぼんやりとリュウガのことを思い出す。
端整な顔を、気難しげに顰めていることが多かった。
冷静な反面、からかってやると怒り、それが面白かった。
もう随分昔のような気がする。

「もうすぐつくぞ」

と、運転席から声がかかった。
話すのはこれが最期なのかもしれないと思うと、
言葉が出ない。
カクはどういう気持ちで送り出してくれるのだろうか。

門番には話が通じているようで、
カクが声をかけるとすぐに通行許可が下りた。
城の中へ入ると、
背の高い男が立っていた。
記憶にあるよりも精悍な、端整な顔を気難しげに顰めて。

(リュウガだなあ……)

はぼんやりと、そう思った。
成長しすぎていて分からなかったらどうしようか、
と思ったが杞憂だったらしい。
ジープはリュウガの前に止まった。
おたおたと車から降りて、
何事か話しているカクの隣に並ぶ。
話が途切れたので、「久しぶり」と笑って見せた。

「久しいな」

と、言いながら、リュウガは少し困惑した顔になった。
まあ、それが普通の対応かもしれない。
久しぶりすぎて、正直何を話してよいのかも分からない。

「じゃあ、よろしくたのむ」

いつに無く沈んだ声で、
カクはそう言っての頭をくしゃりと撫でた。

はた、とこれが最期の別れになるかもしれないことを思い出す。
何か言わないと。
何か言わないと!

「……バイバイ!」

カクも、リュウガまでもがきょとんとした顔になった。
そしてカクは苦笑しながら「バイバイ」と返してくれた。

ジープが走り去るのを見送ってから、
はどっと疲れが出た。
肩で息をするのを隠す。
それはいつものことなので、ごく普通のことなのだが。

(眩暈……かな?)

何一つすることのない、気楽な旅だったのに。
役に立たないからと、何もしなかったのに。
それほどまでに体力が落ちていたのだろうか。

ぐらり、と地面が傾いだ。
他の人は普通に立っている。
の体が傾いだのだった。

「おい!?」

地面に崩れ落ちる前に、リュウガが支えてくれた。
危ない、危ない。

「大丈夫か?」

「うーん、ちょっと駄目だったみたい」

自分の見通しの甘さに、つい笑ってしまう。
リュウガの顔は見れない。

「ごめんね、本当に迷惑をかけて」

つい、本音が出てしまった。
いけない、いけない。
リュウガはやや間を置いて、
「構わない」と言ってくれた。

「遠慮はするな。
 部屋へ案内しよう」

気遣わしげな声音に、こちらが恐縮してしまう。
しかし、こういうときに言うべきは、謝罪の言葉ではない。

「ありがとう」

リュウガは「ああ」と、短く返事した。
彼の力強い腕に支えられながら、
は用意された部屋へ向かった。