chained
口を割った一人が語るには、
には縁談が持ち上がっているらしい。
相手の名前ははっきりとは分からないが、
とにかく拳王軍内部の人間であるらしい。
とて一応は将となった女である。
相手もそれ相応の地位にはあるだろう。
「
様は迷っていらっしゃるようでね。
……リュウガ様なんじゃないんですか?」
冗談っぽく言われたが、言った本人の目が笑っていない。
「いや、俺もその話は初耳だ」
「我らの立場では勿論口も挟めませんし、
何より相手が幹部であれば手もだせない、ということでね。
飲みに行こうかという話になったのです」
「情報を持ち寄れば相手が分かるかもしれませんし、
相手が分かればほら、悪い情報なんかも聞こえてくるかと」
随分と愉快な飲み会である。
「闇討ちか?」
「まさかそんな」
「別に邪魔をしようという会ではないのです」
「
女史の幸せを願う会、ですからね」
言葉と裏腹に黒い笑みを浮かべた彼らを見送って、
リュウガは仕事の残りをすべく部屋に戻った。
に縁談。
そのフレーズが頭の中をぐるぐると回る。
彼女がやめてしまったら、誰が兵を育てるのか。
それは今も手伝っている負傷兵なり何なり、誰か居るだろう。
彼女の笑顔は誰か一人の物になり、
リュウガはあの穏やかな時間を永久に失うことになるのだ。
仕事が手につかないのでペンを放った。
に縁談。
相手はどこの馬の骨だろうか。
中途半端な輩であれば己の手で……これでは完全に私闘である。
褒められた行いではないことは明白だ。
それに、縁談が出るたび闇討ちをする訳にもいかない。
もし彼女が選んだ相手ならば諦めよう。
穏やかで、柔らかな笑みを自分以外に向けて。
幸せそうに。
それを阻む権利がリュウガには、無い。
いっそ攫ってしまおうか。
攫って、傷つけて、己の物にしてしまえば……。
は手に入っても、あの笑顔は二度と得られないだろう。
そもそも、そんな無粋な行為はしたくない。
に縁談。
そこから思考を切り離すことができない。
守ってやりたい、というのとは違う。
そもそも、彼女は強い。
一人の武人としての腕はリュウガも認めるところであるし、
拳王軍の将として自立している。
導いてやりたい、というのも違う。
彼女は導く側の人間であり、彼女を慕う人間は多い。
彼女を誰にも渡したくない、という強い思いしかない。
別の男の傍に居るのを見るのは耐え難い苦痛である、と。
(随分と愚か者になったものだ)
リュウガは自嘲した。
自分が彼女に何を求めているのか自覚したからである。
誰よりも傍に居るのは自分であってほしい、と。
将としてではなく、一人の男としての願い。
リュウガは彼女が望む平和のために、
拳王と共に血の海を作ると決めた男である。
そんな血まみれの男を
はきっと拒絶するだろう。
はっきりと拒絶されるのは辛いと思ったが、
無策なまま誰かに渡したくは無い。
すべきことは決まっている。
予測される結果の如何に関わらず、
傍に居てくれと伝えることただ一つ。
結末が同じならば、
はっきりと拒絶してくれた方がまだ良いかもしれない。
そんな風にも思った。
は女官の取りまとめを担当している、
年上の女官に捕まっていた
「それでね、前の話なんだけど」
「ああ、あれはその……」
乗り気ではない。
そう何度も伝えたはずなのだが、
何度でもよみがえる不死鳥のように縁談を勧めてくる女性である。
単にしつこいというだけなのだが、
笑い話にしないとやっていられない。
「是非にって言われてるのよ。
悪い人じゃないし、お似合いだと思う。
出世も約束された人なようなもんだしさぁ」
離れれば忘れるかと思いきや、
今は穏やかな笑みだけを見せるリュウガの、
戦場のあの顔が脳裏から離れない。
あの差は何なのか。
それに、最初の副官であるからだろう、
親しく話しかけてくれるから勘違いをしてしまう。
自分だけが彼の心の内を覗けるのではないか、と。
そんな状態で縁談を勧められたところで、
うまくやり過ごす腹芸は残念ながら身につけていない。
「ですから、私にはまだ」
「そんなこと言ってると売れ残るのよ!
ご飯だけでいいから、一度会ってあげてよ!
お願い、私の顔を立てると思って!」
女官が
の手を取った。
助けを求めるように視線をさ迷わせてみたが、
誰もが目を逸らしてしまった。
ここで断ると、まるで
が彼女の顔を潰したことになる。
それは困る。
しかし、よく知らない男性とご飯など一緒に食べたくない。
「取り込み中すまないが、少し借りて良いかな」
頭上からよく知った、穏やかな甘い声が降ってきた。
抱き寄せられて、
は後ろによろめき分厚い胸板で頭を打った。
目の前の女官は顔を赤くしながら口をぱくぱくしている。
酸欠か何かだろうか。
「……何やってるんですか、リュウガ様」
見上げると、リュウガは過剰に整った顔を憂いで彩り、
悩ましげに寄せた柳眉は彼の懊悩を物語り……。
つまるところ、イケメン振りを大いに利用して女官を黙らせた。
「ええ、どうぞ、どうぞ……」
女官はもう
など見ていない。
なんだこれは。
こんなはっちゃけた人間だったろうか、と
は首を傾げる。
「ありがとう」
投げキッス的な何かをしても、今なら納得できる。
自分の顔をフル活用して
を連れ出したリュウガだったが、
部屋を出て深いため息をついていた。
どうやら相当無理をしていたらしかった。
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