幽霊騒動
冷静なリュウガが、
非現実的で非理性的な台詞を口にした。
「ここには幽霊が出る、という噂があります」
不似合いな言葉に、度肝を抜かれる。
ラオウは「そうか」と短く返事したが、
そんな簡単に聞き流して良い話ではない。
「で、どんな幽霊なんですか」
何としてでも聞いておかねばならない。
が食いつくと、
リュウガとラオウはそろって怪訝な顔をした。
「ただの噂だ」
と、すぐにリュウガは柔らかな笑みを作った。
「噂でも何でも、聞いておきたいです。
破ったらいけないお札とか、
入ったらいけない部屋とか、あります?」
妙な沈黙が流れる。
そもそも、無駄な会話の少ない二人である。
は今すぐ胸倉を掴んで問いただしたかった。
どうすれば幽霊に遭わずにすむのか、と。
「そういう類の話は聞いていないが……
一人のときによく見えるとか。
まあ、その程度の噂だ」
と、子どもをあやすように言う。
そのまま話は事務連絡に戻っていったが、
の頭には全く入ってこなかった。
リュウガが去って、
ラオウは稽古をするという。
「来るか?」
と問われたので、
「行く」
と答えた。
今までラオウが稽古をしているところなど、
一度たりとも見たことが無かったが。
入念にストレッチをして、
相手のいらない型の稽古をしているのを隅で見ている。
頭の中では、ぐるぐるとリュウガの言葉が回る。
『一人のときによく見えるとか』
ラオウが隠遁生活を始めてから、大抵
は一人でいる。
リュウガから相談を受けた事案について考えてみたり、
そのための資料に目を通してみたり、
休憩時間になると現れるラオウと茶をすするために、
茶菓子を作ってみたりする。
そもそも、この場所には人が少ない。
身の回りの世話をする人間が何人かいるが、
せまい家に暮らしているわけでもないので、
それほど出会うことも無い。
警備の人間は住居スペースまで入ってこない。
一人で居ないことの方が珍しい。
茶菓子を作る時間にラオウの稽古を眺めているので、
今日の茶菓子は無しである。
一連の動作らしきものを終えて、合掌する。
そこまでが一組なのかもしれない。
にはよく分からない。
とにかく、威力が凄そうなことだけは分かる。
ウェイトトレーニングの道具があるが、
どれも冗談のような重りがついてある。
ラオウはそれを軽々と持ち上げて、
反復運動を始める。
部屋の隅にある割と小さめの重りを動かそうとしてみたが、
ぴくりとも動かなかった。
ひと段落したのか、
汗を拭きながらラオウが意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「幽霊が怖いのか」
「悪い?」
が答えると、鼻で笑われた。
「今まで出ていない。
それが答えだ」
ラオウに諭すようにそう言われて、
それもそうか、と
は納得した。
まだ全ての予定をこなしたわけではなさそうだったので、
は水でも用意しようかと部屋を出た。
炊事場で適当な壜とグラスを用意する。
先ほど取り替えられたばかりのポリタンクの水を壜にうつして、
盆に乗せてラオウのいる部屋へ戻る。
そう、恐れていたって意味が無い。
暫くここに住んでいるが、
一度たりとも幽霊なんか見ていないのだから。
そうは思っても、この隠れ家は雰囲気がある。
じめっとして、それでいてひんやりしていて、
なおかつ暗い。
そんないかにも、な場所なのである。
話をしていたときの様子を考えると、
二人して騙そうとしている訳ではなさそうである。
騙すつもりならもっと、他にやりようがあっただろう。
部屋に戻ると、ラオウの姿が無かった。
道具を片付けている人が一人残されている。
「あの、ラオウは」
が尋ねると、今は着替えているという。
更衣室の前まで持って行こうと移動すると、
丁度ラオウが出てきた。
「お水どうぞ」
「すまんな」
ラオウは壜を取ると、そのまま口に運んだ。
グラスが盆の上で所在なげに取り残されている。
飲み干した壜を盆に戻し、
口元を拭って、ラオウはふと何かに気が付いたようだった。
「何かあった?」
「いや、俺がここにいるとよく分かったな」
「それはそこで片付けてた人が……」
「そんな奴は居らん」
ラオウの言葉に、
が硬直する。
「嘘」
「見てみろ」
ラオウが
の背後を指差すので、
嫌がる首を無理に回して後ろを見てみた。
部屋の中には、
とラオウ以外に誰も居なかった。
頭の中で記憶を再生する。
教えてくれた人の顔を思い浮かべてみるが、
名前が思い出せない。
そもそも、人数が少ないので全員の名前を覚えているのに。
「!?」
「噂は真であったか」
ラオウが面白そうにつぶやいた。
全く面白くない。
何も面白くない。
「いや、そんなに落ち着いてられる話じゃなくてね?」
が言うと、ラオウは意地悪そうな顔になった。
「怖いか」
「だから怖いって言ってるじゃない!!」
がいくら怒っても、
ラオウは「そうか」と短く言ったきりだった。
それから暫く、
必要以上に周囲を警戒する
の姿が見られたという。
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