hero
との間に絶望的な隔たりを感じた日以来、
きちんと会話をすることなく時間が流れた。
もとより多く会話するほうではなかった。
それだけに、何がどうなってそういう結論になったのか、
きちんと確かめるタイミングが無かった。
ハンとヒョウの働きによって外敵の殲滅が完了し、
のあぶり出しによって反乱分子の掃討も無事終了した。
それで、カイオウの覇権は確立された。
そのために尽力してくれた部下を労う意味を込め、
宴を張ることになった。
盛大な宴には、ありったけの酒や食料が出された。
カイオウの部下として死線を潜り抜けた猛者たちも、
勝利の美酒という二重に甘い酒に酔っていた。
ヒョウやハンも重臣として招いた。
サヤカは久々のヒョウとの再会にうかれ、
かなり念入りに準備をしていた。
ヒョウの方でもプレゼントを用意していたとかで、
なかなかに薄ら寒い宴会になった。
目立った働きを残した者の酌を受けて労うという、
なんとも無意味な仕事を終えたころ、
カイオウは
がハンと話し込んでいるのを見つけた。
痛めつけてやった傷はすでに癒え、ハンの動きには隙が無い。
この宴の席でもカイオウに隙を見せまいとしているのだから、
その態度は一貫している。
「
」
つい、声をかけた。
二人はカイオウに気がついて、こちらを向いた。
「やけに楽しそうだな」
「良いところで邪魔をしてくれる。
もう少しで部屋に招待できたところを」
「ハン」
は窘めるようにハンを睨んだ。
そのやり取りを見て、
誰かが
を奪い取る可能性があるという現実に直面して、
やっと手放したくないと強く思った。
それと同時に、腹立たしかった。
カイオウには血筋の良い訳のわからぬ女を宛がっておいて、
自分はハンのところへ行くつもりなのだ。
カイオウを置いて。
酷い裏切りだ。
そう思ったが、カイオウは
と何の約束もしていなかった。
そもそも裏切るべき立場には無いのである。
勝手にカイオウの方で
は傍に居るものと思っていた。
母のように、ラオウやトキのようにカイオウを孤独に追いやらず、
ジュウケイやヒョウのように血筋による制約を押し付けず、
カイオウの代わりに感情を爆発させてくれるものだと。
現実には、その孤独と血筋の制約を押し付けてきている訳だが。
失うと理解すると、急に苦しくなった。
体の一部を割かれるような気分だ。
こんな気分になるのはいつぶりだろうか。
ラオウやトキが海を渡ったときだろうか。
「ちょっと大変みたいだから様子見てくる」
そう言って、
は脇をすり抜けて裏方の方へ走っていった。
久しぶりに見た
の目は、なんとなく泣きそうだった。
泣くのだろうか。
泣きたいのはカイオウの方である。
そういう意味では、カイオウの感情を代わりに表してくれている。
「やれやれ、逃げられてしまったな」
ハンはそんなことを言いながら、
盛り上がっている方へと歩いていった。
カイオウはその場に一人残された。
誰かの手に
が渡る。
それは叫びだしたいほど嫌だ。
そうなる前に何としてでも阻止せねば。
幸いなことに、カイオウは昔のカイオウほど無力ではなかった。
たとえ
が嫌がろうとも、どうにでもできるだけの力が。
そう思うと多少冷静でいられた。
は久しぶりに屋根に上っていた。
自分の居室のバルコニーから、手すりを足場にひさしに上る。
道場の物よりも数段大きな城の屋根の上は、
風が強くて立ち上がるのが少し怖いほどである。
なぜ、カイオウは決心がゆらぐようなことをするのか。
は座りながら、宴会での出来事を反芻した。
まるでハンを咎めるような声音で、一瞬殺意すら感じた。
できるならばカイオウのそばに残りたい。
しかし、そんなことをすると天帝の血を引く娘を迎えられない。
カイオウと自分の距離が近すぎる。
そうするとカイオウの苦悩を軽くすることができない。
それだけは嫌だというのに。
ほろほろと涙が流れるのにまかせていると、
俄かに部屋の方が騒がしくなった。
「どけ!」とカイオウの低い怒声が聞こえる。
護衛には誰も入れないようにと命じてあったが、
果敢にもカイオウにもそう対応してくれたようだ。
乱暴にドアが開けられる音がして、足音が近付いてくる。
は息を殺した。
ガラスが割れるのではないかという勢いで、
バルコニーに繋がる窓が開かれた。
は息を殺したまま、じっとしていた。
(さすがにここに居ることはバレない……はず)
そう思っていたが、
ひさしに大きな手がにゅうと伸びてきた。
昔からそうだ。
が一応見つからぬようにしたつもりでも、
すぐにカイオウに見つかってしまう。
カイオウの両手がひさしを掴み、
懸垂の要領で体を持ち上げ、
そこに座っていた
を見つけてにらみつけた。
「ひっ……」
「動くなよ」
カイオウは一度そのまま下りて、
今度は手すりから屋根の上に飛び乗った。
の二倍近くもある体重をしているのに、
身軽なものである。
どっかりとカイオウは
の隣に腰を下ろした。
こうして並んで座るのはいつぶりだろうか。
は手の甲で涙をぬぐった。
「
」
「何?」
「お前も俺を置いていくのか」
「……」
はカイオウの顔を盗み見た。
まっすぐ前を向いているが、何かを見ているとは思えない。
ただ、そちら向きに顔がついているだけだ、という風情である。
「それが最善の方法なのよ。
そうしたらきっとうまくいくはずだし」
「方法のことではなく、
俺はお前がどうしたいのか聞きにきた」
穏やかで、落ち着いた声。
力で敵をねじ伏せていくカイオウではなく、
ヒーローのカイオウの声である。
はぼろぼろと涙がこぼれるのを我慢しきれなかった。
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