hero


いつからだろうか。
少しずつ、少しずつヒーローのカイオウが遠くなり、
残虐なカイオウだけが目の前に居た。
統一という目標のために必要な犠牲だと割り切ってみたものの、
カイオウは血の呪いに負けるのだろうかと、
常に不安ばかりがつきまとっていた。
天帝の血があれば、カイオウの血統コンプレックスは癒えるはず。

だからこそ天帝の血を引く娘を探したというのに。

それなのに、の隣に座っているカイオウは昔のカイオウである。
訳が分からない。
暫くの沈黙のあと、はおずおずと口を開いた。

「私は……今のままが良いけど……
 でも、それじゃ、カイオウが……」

口ごもりつつ話してみるが、
カイオウが沈黙を守っているので、
最後は消え入りそうな声になってしまった。

「そうしろと頼んだ覚えは無い」

普段にはない、穏やかな声である。
確かに、カイオウにどうしろと具体的に命令されたことは殆ど無い。
大抵はのしたいようにさせてくれてきた。
だから、彼の言い分は正しい。
はぐずぐずと泣きながら沈黙した。

昔はがもっとぎゃんぎゃん泣いていたので、
カイオウは黙って隣に座っていてくれていた。
時折優しい声をかけては、が落ち着くのを待ってくれていた。
今はそれとは違う。
居心地が悪い。

「……俺の意見を言う」

聞きたくない。
このまま礼でも言われた日には、
自分の計画を認めてもらった喜びと同時に、
自分は要らぬ存在であると示された苦しみを抱えて、
煩悶するしかないのである。
ハンはそれを理解してくれるだろうか?

「お前を他人に渡したくない」

「うん……うぇ?」

間抜けな声でも出てしまったのだろうか。
カイオウがちらりとこちらを見て笑った。

「ヒョウでも、ハンでも、
 誰であってもお前を奪われると思うと気が狂いそうだ。
 しかもまた血筋のためだと。
 俺は何度この血の為に身を切る思いをせねばならんのだ。
 金輪際御免だ」

はカイオウを凝視していた。
それを知ってか知らずか、
カイオウは深いため息をついて頭をがしがしとかいた。

「頼むから行くな、などと面倒なことは言わん。
 無理矢理にでも俺の傍に居てもらうと決めた」

カイオウの大きな手が、の肩を抱いた。
顔が近い。
いつもの険しい顔ではなく、
ヒーローのカイオウがそこにいた。
を気遣う優しいカイオウが。

「お前は俺の半身だ。
 たとえお前がどんなに嫌がっても、絶対に離さん」

は動けなかった。
否、動かなかった。
唇が重なって、それ以上の口付けをして、
顔を離して、目が合った。

「私じゃ、何にも変わらないよ?」

そう言うと、カイオウは苦笑した。

以外の女など、どうでも良すぎて区別もつかん」

その言葉にお互いに笑い、口づけ、そして抱き合った。
ずっとそうしたかったのだけれど、
そうしてはいけないのだと己を戒めていた。
その己で作った鎖を解いてくれたのもカイオウだ。

やっぱり、カイオウはヒーローだ。
は嬉しさのあまり泣きながら、力いっぱい抱きついた。





カイオウはヒーローである。
孤高のヒーローである。
鍛え上げられた体躯に、神がかり的な技。
その力は他の追随を許さず、
修羅制度などという無慈悲な制度を導入し、
無数の屍と、無数の猛者の上に君臨する最強のヒーローである。

という女がなれなれしくも傍に仕えていたが、
彼女は女ながらにそれなりの働きを見せていた。
諜報活動に長けた集団は彼女を基点に動いていたし、
消耗必死と思われたハンの軍との戦闘も、
彼女の手引きで被害を最小限に食い止めたのだという話も聞く。

だから放っておいたのに、ついに一線を越えた。

あれは諜報部のトップではない、ただの女だ。
ただの女が孤高のヒーローの傍に居てはならない。
この手で打ち据えてやりたい。

しかし、それも敵わぬほどに自分は弱い。
だから毒を盛ることにした。
が飲むグラスに毒を仕込んだ。

頼まれた飲み物を毒入りのグラスと共にトレーに乗せて部屋に入る。
カイオウは椅子に座り、
は少し離れて立っている。
今までは隣の椅子に座っていたというのに、
妙によそよそしく、それがまた癇に障る。

カイオウの前にはワインのボトルとワイングラスを、
の前には水と氷と毒が入ったグラスを。

さあ飲め。

このグラスに入れた毒を飲めば、たちどころに死に至るだろう。
そうしてカイオウはヒーローに戻るのだ。
馴れ合いなどひとつもない、完全なる孤高のヒーローに。

は何の疑いもなくグラスを手にとり、口をつける。
私は完全なる孤高のヒーローの誕生の瞬間を目に焼き付けるべく、
水を飲むを凝視していた。