hero
カイオウはヒーローらしい。
らしい、というのは、ハンが今も昔もそう思っていないからである。
目標とすべき一人の拳士である。
そして、それはハンが目指すべき道の途中にある通過点である。
通過できるかはさておき。
そのカイオウはやはり強かった。
自分も相当鍛え、腕を上げたと思っていたが、
カイオウはまだまだ遠かった。
その力への憧れから、彼をヒーローと思いたい気持ちは分かる。
しかし、ハンはそんな気持ちは持たない。
それは最強の拳士になるという目標を自ら諦める行為だからである。
カイオウの(おそらく少し加減された)拳が、
ノーガードのわき腹に入った。
破孔を突かれなかっただけマシではあるが、
これは死ぬな、と思った。
そのときだった。
「待ってくれ、カイオウ!」
ヒョウがその殺し合いを止めた。
「ハンは俺達と兄弟のようなものではないか!」
ヒョウはそういう優しさを持つ男である。
今のカイオウは力で人を従わせるが、
ヒョウにはそれとは全く別な感情を持つ。
彼がいずれ目が覚めれば、人から好かれる君主となるだろう。
話は逸れたが、
の読みは正しかった。
カイオウはヒョウの嘆願を聞き入れ、
ハンは降ることを条件に命を永らえたのだった。
「……ということなのだが、どうする?」
ハンは目の前で困ったように笑う
を見た。
昔からカイオウ以外の男など見えていないのは明らかである。
どうせ、ジュウケイの言葉を真に受けでもしたのだろう。
カイオウの血筋の問題である。
ハンも聞いた。
別に誰も隠している訳ではないので、
ヒョウとカイオウの関係も知っている。
知っているが、それが全ての情報なのかは疑問である。
カイオウの方でも特定の女に入れ込んでいる気配は無いので、
おそらく
とそういう関係なのだと思っていたが、
そうでも無いらしいというのは彼女の態度からの推測である。
からの取引をもちかけられたとき、
ハンの頭にはそういう考えもあった。
を奪い取れば、怒り狂ったカイオウがついてくるのでは、と。
「どうするもこうするも、貰ってくれるんでしょう?」
「貰うが、もう暫く待ってくれ。
さすがに俺にも体面がある」
は「それもそうね」と言った。
どういう理解をしたのか知らなかったが、それで良い。
ハンには体力を回復できる程度の猶予が与えられたのだった。
これで何とか怒り狂ったカイオウと対戦が出来そうだ。
がカイオウに別の女を宛がうつもりなのであれば、
彼女の行動と判断は理解できないでもなかった。
昔からボードゲームの類も感情的になると粗が出た。
今は随分落ち着いているから、
予想はあながち間違っては居ないのだろう。
ハンが降ってからというもの、
の態度がおかしい。
どうおかしいのかと説明するのは難しいが、とにかくおかしい。
何か隠し事があるのではないかと思われるが、
金の動きや人の動きに不明瞭な部分はなく、
もやもやと落ち着かない気分になるだけである。
そんな小さな不安はあるが、
軍としてはほぼ全土を統一を果たしたと言っても過言ではなかった。
ハンが味方についた以上、
敵対する勢力に戦力的に目ぼしい人間は皆無である。
内政的な変化といえば、
ハンが領内で布いていた修羅制度を一部利用することになった。
弱者を蹴落とし、
より強い者が地位も名誉も女も手に入れるシステムである。
雑兵が少ないのはその選別の途中で死亡する者が多いためだったので、
新たに採用する地域は『敗北=死』というルールは厳密には運用しない。
生産力もある程度は残さねばならないのが為政者の辛いところである。
その話をしたときにサヤカは眉をひそめたが、
は強い兵が集まりそうだと微笑んだ。
カイオウも
と同じ意見だからこそ採用した。
ヒョウはカイオウの決定に口を挟んだことはあまりない。
今回も努力如何でどうこうできるのだと説得してやると、
強く反対することは無かった。
「あと少しで元々の国のほぼ全域を領有できるわ。
あとは反乱分子の掃討が終われば完了」
は机の上に広げられた地図に、
名前の書かれた駒を並べている。
カイオウやヒョウ、ハンなどの味方の駒とは別に、
勢力圏の外にも数えるほどの駒があり、
圏内にもぱらぱらと駒があった。
「簡単なものだな」
「カイオウが強すぎるから簡単に感じるのよ」
が笑う。
「ねえ、カイオウはまだ宗家が憎い?」
その地図を眺めて笑ったまま、そんなことを言った。
カイオウは
を見てみたが、
俯いているので顔は見えなかった。
「……憎いな」
「そう、良かった。
天帝の血を引く女の子を見つけたの。
たぶん誰よりも高貴な血筋の子になると思う。
どうかな?」
何を聞いているのかカイオウには理解ができなかった。
「どう、とは?」
「宗家を血筋で超えられるんじゃないかって思って。
その子とカイオウに子どもができたら宗家の人間なんか目じゃない」
は俯いたままで顔が見えない。
急に彼女が遠い存在のように思えた。
並んで立っているのに、
が遠い。
「
」
「統一が終わったら、迎える準備に入るから。
次の心配は跡目でしょ?
今みたいにカイオウの近くにいたら変に誤解されそうだし、
ちゃんと私も身の振り方は考えてるから安心して?」
やめてくれ。
その一言が出ない。
が言っていることは聞き取れる。
だが、理解できない。
吐き気のような、眩暈のような、
カイオウはとにかく気分が悪かった。
は言うだけ言って、部屋を出て行った。
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