hero
ラオウやトキが姿を消してから暫くして、
ヒョウの額に大きな傷が出来た。
理由を尋ねてもカイオウは楽しそうに「さあな」と言うだけで、
何も教えてくれない。
ジュウケイにいたっては「お前が知る必要は無い」とにべも無い。
「ヒョウの傷?
さて、俺は何も聞かされてないからな」
ハンはうっすら笑みを浮かべながら、ルークを動かした。
ケイカは次の一手を考える前にハンの顔を眺めた。
「そう睨んでくれるなよ。
俺はカイオウやヒョウにはまだ遠い。
事情を知るほどでもないさ」
そう言って笑ってごまかそうとしていたが、
ジュウケイが可愛がっているのはヒョウとカイオウ、
そしてもう一人がこのハンなのであった。
彼が知らないといえば、もうお手上げである。
「何故そこまでそんな傷のことで気にかけるんだ。
稽古の最中に傷を負うことくらいあるだろう」
「カイオウが何か隠してるんだもの」
ケイカはそうつぶやいて、クイーンを動かした。
「カイオウが?」
「あれは絶対に何か隠してる」
「よく見ているな。
俺にはいつもと変わらんとしか思えん」
「節穴ね」と
ケイカが言うと、ハンは苦笑しながらキングを動かした。
「仮に隠しているとして、知ってどうする」
ハンが面白がっているのが分かる。
分かるが、嘘をつくなんていう芸当は
ケイカにはできない。
「隠し事されてるのって嫌なのよ」
そう答えると、ハンは「そうだな」と笑った。
ケイカは腹立ち紛れにポーンを動かすと、
ハンはさっとルークを動かして「チェックメイト」と言った。
彼とゲームをするといつも最後は腹を立てているし、負ける。
その対局があって暫くして、
ジュウケイは
ケイカを呼び出した。
「お前はハンに嫁げ」
神妙な顔(ジュウケイはいつも神妙な顔をしているが)で、
そんなことを言った。
「は?」
ケイカはぽかんと口をあけて、間抜けな声を出した。
ジュウケイはいつもの顔のまま、
「ハンと添うのがお前の幸せだ」と言った。
その勝手な言い分に、
ケイカはまたふつふつと怒りが湧いた。
血の都合でカイオウに敗北を強要し、
ヒョウが伝承者になるよう贔屓し、
そして
ケイカとハンを添わせようとする。
「勝手に決めないでよ!
はいそうですか、って返事できることじゃないわ!!」
「お前がカイオウを好いているのは知っている。
しかし、だめだ」
「……何言ってんの?」
ジュウケイは
ケイカの顔をまじまじと眺めながら、
噛んで含めるように言った。
「あれは分家の、己の血を憎んでいる。
お前はどうやってカイオウを救うつもりだ。
宗家の血筋を超えるにしても、
天帝の血でもなければ叶うまい」
がつんと頭を殴られたような気がした。
確かに
ケイカにカイオウを救う手立ては無い。
天帝どころか、
ケイカは捨てられた子どもである。
誇れる血統であるなどと、冗談でも言えない。
「……とにかく、嫌!」
ケイカは部屋を飛び出した。
頭の中をジュウケイの言葉がぐるぐると回っていた。
吐きそうなほど気持ちが悪く、
泣き出したいほど悲しかったが、
悲しみよりも混乱の方が勝り、涙を流すどころではなかった。
宗家の拳の秘密を知るヒョウの記憶が封印された。
正確に言うと忘れた振りをしていたヒョウに、
カイオウが己の手で封印を施した。
それが必要なときが来たら、ジュウケイがその報いを受けるように。
愛弟子に殺される様はさぞや愉快な見ものとなるだろう。
しかし、それは誰にも秘密なのであった。
ヒョウは誰が記憶を消したのか、という記憶もあやふやであったし、
ジュウケイは間抜けにも事態を把握しきれていなかった。
ケイカは何かしら気づいたようだったが、暫くして諦めた。
上々の首尾である。
そんな中、ジュウケイが体調を崩してしばらく入院することになった。
これ幸いと行動を起こしたのはハンだった。
「俺はここを出る。
カイオウ達と違うことをしなければ、
永劫その背に手が届くことも無いだろうからな」
その言い分はもっともで、最良の道に思えた。
カイオウは「またな」と見送った。
暫くしてジュウケイは退院したものの、
病状が安定するまで安静にしておく必要があるとのことだった。
その姿を見ながら、カイオウは考えた。
果たしてこのままここに残るメリットはあるのか、と。
そもそも、ジュウケイはカイオウが強くなることを望んでいない。
彼に従っていたからといって、
この先の成長を阻害されるかもしれない。
ヒョウの身に危険が及ぶたび、
カイオウが殴られるという理不尽な立場も続く。
ならば俺も出ていこう。
折りしも、世界は先だっての核戦争で荒廃しきっていた。
力のある者が全てを掴む。
ならばカイオウとて全てを手に入れられるかもしれない。
そう思うと、道場に縛られ続けることは愚かしいと気がついた。
その頃には
ケイカはぼろぼろ涙を流すことは無かったが、
見晴らしの良い屋根の上で遠くを眺めるという行動は続いていた。
大体の場所は把握しているので、
カイオウはそれほど時間をかけずに彼女を見つけることができた。
「
ケイカ、俺について来るか?」
二人きりのときに、尋ねてみた。
「うん」
別に説明など殆どしなかったが、
ケイカは迷いなく承諾した。
だから共に出ていくことにした。
ケイカには秘密にしていたが、
カイオウはヒョウにも声をかけた。
彼の記憶には、宗家の拳の秘密が隠されている。
手元に置いたほうが都合が良かったからである。
「俺とお前ならばこの荒廃した国も変えられるだろう。
力を貸してくれ」
「そうだな……俺の力が平和を導く支えとなるのなら」
ヒョウは二つ返事でついてきた。
阿呆な男である。
道場を出る段になって、
ケイカは苦虫を噛み潰したような渋面を作った。
何か言う前に目で制した。
理由があるのだ、と。
ケイカは難しい顔をしたまま沈黙した。
ハンが先に出て行き、
カイオウがヒョウと
ケイカを伴って出たことで、
ジュウケイの元には誰もいなくなった。
その状況もまた、胸がすく思いがした。
←
戻
→